心のデボーション2_017

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心のデボーション0161

「惡者はその惡のうちにて亡され義者はその死ぬる時にも望あり」 箴言14:32 明治元訳聖書

「悪しき者はその悪しき行いによって滅ぼされ、正しい者はその正しきによって、のがれ場を得る。」 口語訳聖書

「悪者は自分の悪によって打倒され、正しい者は、自分の死の中にものがれ場がある」 新改訳聖書

בְּֽ֭רָעָתֹו יִדָּחֶ֣ה רָשָׁ֑ע וְחֹסֶ֖ה בְמֹותֹ֣ו צַדִּֽיק׃

ἐν κακίᾳ αὐτοῦ ἀπωσθήσεται ἀσεβής ὁ δὲ πεποιθὼς τῇ ἑαυτοῦ ὁσιότητι δίκαιος

 「死ぬる時にも望あり」

正しい者は「自分の死の中にも逃れ場(‎חסה)」がある。「逃れ場」は「避け所」(新共同訳聖書)とも訳される。

「逃れ場」は誤って罪を犯した者が血の復讐から逃れるために設けられた所で、四十八の「逃れの町」が設けられた。(民数記35:6-34)どの町からも一日の道のりで、逃亡者はいずれかの「逃れの町(φυγαδευτήσριον)」にその日のうちに避難することができた。

「死をもたらす者」は速やかに来ていのちを求める。しかし、正しき者には今も「逃れ場」がある。神の逃れの町に至る道を知りたい。自分の死の中でさえも「逃れの場」がある。

逃れの町

民数記36:

35:15これらの六つの町は、イスラエルの人々と、他国の人および寄留者のために、のがれの場所としなければならない。すべてあやまって人を殺した者が、そこにのがれるためである。 
35:22もし恨みもないのに思わず人を突き、または、なにごころなく人に物を投げつけ、 
35:23あるいは人のいるのも見ずに、人を殺せるほどの石を投げつけて死なせた場合、その人がその敵でもなく、また害を加えようとしたのでもない時は、 
35:24会衆はこれらのおきてによって、その人を殺した者と、血の復讐をする者との間をさばかなければならない。 
35:25すなわち会衆はその人を殺した者を血の復讐をする者の手から救い出して、逃げて行ったのがれの町に返さなければならない。その者は聖なる油を注がれた大祭司の死ぬまで、そこにいなければならない。 

ヨブ記13:15-16
13:15見よ、彼はわたしを殺すであろう。わたしは絶望だ。しかしなおわたしはわたしの道を彼の前に守り抜こう。
13:16これこそわたしの救となる。神を信じない者は、神の前に出ることができないからだ。

心のデボーション0162

「視よわれなんぢを煉たり されど白銀の如くせずして患難(なやみ)の爐(ろ)をもてこころみたり」 イザヤ48:10

「見よ、わたしはあなたを練った。しかし銀のようにではなくて、苦しみの炉をもってあなたを試みた。」 口語訳聖書

「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた」 新改訳聖書

הִנֵּ֥ה צְרַפְתִּ֖יךָ וְלֹ֣א בְכָ֑סֶף בְּחַרְתִּ֖יךָ בְּכ֥וּר עֹֽנִי׃

ἰδοὺ πέπρακά σε οὐχ ἕνεκεν ἀργυρίου ἐξειλάμην δέ σε ἐκ καμίνου πτωχείας

 「悩みの炉」

「白銀ἀργύριον」は「銀」のこと。神はイスラエルを練られたが、「銀」のように貴き輝きではなかった。そこで神は「患難(なやみ)の爐(ろ)」でイスラエルをこころみた。

神は先の「白銀の爐」で練ってみたが無駄だった。それでも神はさらに厳しい「患難(なやみ)の爐(ろ)」で練られた。銀が含まれていることを御存じなのだ。(イザヤ48:10)

試みが重なるところになお希望あり。

詩篇66:10-12
66:10神よ、あなたはわれらを試み、しろがねを練るように、われらを練られた。
66:11あなたはわれらを網にひきいれ、われらの腰に重き荷を置き、
66:12人々にわれらの頭の上を乗り越えさせられた。われらは火の中、水の中を通った。しかしあなたはわれらを広い所に導き出された。

心のデボーション0163

「視よわれなんぢを煉たり されど白銀の如くせずして患難(なやみ)の爐(ろ)をもてこころみたり」 イザヤ48:10

「見よ、わたしはあなたを練った。しかし銀のようにではなくて、苦しみの炉をもってあなたを試みた。」 口語訳聖書

「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた」 新改訳聖書

הִנֵּ֥ה צְרַפְתִּ֖יךָ וְלֹ֣א בְכָ֑סֶף בְּחַרְתִּ֖יךָ בְּכ֥וּר עֹֽנִי׃

ἰδοὺ πέπρακά σε οὐχ ἕνεκεν ἀργυρίου ἐξειλάμην δέ σε ἐκ καμίνου πτωχείας

 「炉の底に微量の銀あり」

一つの良い作品のためには、いくつもの失敗作を壊さなければならない。乗り越え難い壁に向かって、工夫しては失敗し、また、新しい工夫をする。何かを作り続けるということは、目の前に越え難い壁を置くことである。

「患難(なやみ、苦しみ)の爐(ろ)ἐκ καμίνου πτωχείας」の底に微量の銀が残る。それでよい。(イザヤ48:10)

Job 23:10 

כִּֽי־יָ֭דַע דֶּ֣רֶךְ עִמָּדִ֑י בְּ֝חָנַ֗נִי כַּזָּהָ֥ב אֵצֵֽא׃

οἶδεν γὰρ ἤδη ὁδόν μου διέκρινεν δέ με ὥσπερ τὸ χρυσίον

口語訳聖書

しかし彼はわたしの歩む道を知っておられる。彼がわたしを試みられるとき、/わたしは金のように出て来るであろう。

箴言17:3 

מַצְרֵ֣ף לַ֭כֶּסֶף וְכ֣וּר לַזָּהָ֑ב וּבֹחֵ֖ן לִבֹּ֣ות יְהוָֽה׃

ὥσπερ δοκιμάζεται ἐν καμίνῳ ἄργυρος καὶ χρυσός οὕτως ἐκλεκταὶ καρδίαι παρὰ κυρίῳ

口語訳聖書

銀を試みるものはるつぼ、金を試みるものは炉、人の心を試みるものは主である。

心のデボーション0164

「小事に忠なる者は大事にも忠なり。小事に不忠なる者は大事にも不忠なり」 ルカ16:10 大正文語訳聖書

「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。」 口語訳聖書

「ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実であり、ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である」 フランシスコ会訳聖書

ὁ πιστὸς ἐν ἐλαχίστῳ καὶ ἐν πολλῶ πιστός ἐστιν, καὶ ὁ ἐν ἐλαχίστῳ ἄδικος καὶ ἐν πολλῶ ἄδικός ἐστιν.

 「大きいは小さい」

大きな仕事は小さなことを続けること。ごく小さなこと(ἐλάχιστος)に耐えられる大きさ。ἐλάχιστοςは「一番小さい、問題にならないくらい小さい」の意、「取るに足らないもの(事)」である。「取るに足りないもの(事)」に忠実(πιστός「信用できる、頼りにする」)である者は「大きなこと(πολύς「激しく、大いなること」)」にも忠実である。(ルカ16:10)

ルカ19:17

καὶ εἶπεν αὐτῶ, εὗγε, ἀγαθὲ δοῦλε, ὅτι ἐν ἐλαχίστῳ πιστὸς ἐγένου, ἴσθι ἐξουσίαν ἔχων ἐπάνω δέκα πόλεων.

口語訳聖書

主人は言った、『よい僕よ、うまくやった。あなたは小さい事に忠実であったから、十の町を支配させる』。

へブル3:2 

πιστὸν ὄντα τῶ ποιήσαντι αὐτὸν ὡς καὶ μωϊσῆς ἐν [ὅλῳ] τῶ οἴκῳ αὐτοῦ.

口語訳聖書

彼は、モーセが神の家の全体に対して忠実であったように、自分を立てたかたに対して忠実であられた。

心のデボーション0165

「斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし」 マタイ3:10 大正文語訳聖書

「斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。」 口語訳聖書

「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」 新共同訳聖書

ἤδη δὲ ἡ ἀξίνη πρὸς τὴν ῥίζαν τῶν δένδρων κεῖται πᾶν οὖν δένδρον μὴ ποιοῦν καρπὸν καλὸν ἐκκόπτεται καὶ εἰς πῦρ βάλλεται.

 「斧ははや樹の根に置かる」

「私」という樹は「私」以外の実を結ばない。「私」でないものをつける樹は茂っていても切り倒すしかない。人生が「斧」をふるうだろう。

私は「私」について考えるとき、「斧は既に木の根元に置かれている」という緊張感を拭うことができない。

切るべきは、「良い実を結ばない木δένδρον μὴ ποιοῦν καρπὸν」は、「結ぶべき実、うるわしく健全な実」の意で、本来あるべき実をつけようとしない木」である。(マタイ3:10)

詩篇1:3 

וְֽהָיָ֗ה כְּעֵץ֮ שָׁת֪וּל עַֽל־פַּלְגֵ֫י מָ֥יִם אֲשֶׁ֤ר פִּרְי֨וֹ׀ יִתֵּ֬ן בְּעִתּ֗וֹ וְעָלֵ֥הוּ לֹֽא־יִבּ֑וֹל וְכֹ֖ל אֲשֶׁר־יַעֲשֶׂ֣ה יַצְלִֽיחַ׃

καὶ ἔσται ὡς τὸ ξύλον τὸ πεφυτευμένον παρὰ τὰς διεξόδους τῶν ὑδάτων ὃ τὸν καρπὸν αὐτοῦ δώσει ἐν καιρῷ αὐτοῦ καὶ τὸ φύλλον αὐτοῦ οὐκ ἀπορρυήσεται καὶ πάντα ὅσα ἂν ποιῇ κατευοδωθήσεται

口語訳聖書

このような人は流れのほとりに植えられた木の/時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。

詩篇92:13-15
92:13彼らは主の家に植えられ、われらの神の大庭に栄えます。
92:14彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、
92:15主の正しいことを示すでしょう。主はわが岩です。主には少しの不義もありません。

心のデボーション0166

「斧ははや樹の根に置かる。されば凡て善き果を結ばぬ樹は、伐られて火に投げ入れらるべし」 マタイ3:10 大正文語訳聖書

「斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。」 口語訳聖書

「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」 新共同訳聖書

ἤδη δὲ ἡ ἀξίνη πρὸς τὴν ῥίζαν τῶν δένδρων κεῖται πᾶν οὖν δένδρον μὴ ποιοῦν καρπὸν καλὸν ἐκκόπτεται καὶ εἰς πῦρ βάλλεται.

 「青い実」

若い柿の木は春に沢山の花を咲かせるが、地面がうまるくらいに青い実を落とす。自身の幹を太らせるのに夢中で実を多くはつけない。実(καρπός)を豊かにつけるのは老木である。

老木になってもなお幹の太さを気にして、青い実を大量に落とすようなら、「伐られて火に投げ入れらる」も仕方があるまい。(マタイ3:10)

この老木は「葡萄園の中のいちじくの木」(ルカ13:6-9)であろう。三年も待ったが実をつけず、番人が「ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから」ととりなしたので、きりた押されずに残され、もう一年を猶予されたのである。

マラキ4:1

כִּֽי־הִנֵּ֤ה הַיּוֹם֙ בָּ֔א בֹּעֵ֖ר כַּתַּנּ֑וּר וְהָי֨וּ כָל־זֵדִ֜ים וְכָל־עֹשֵׂ֤ה רִשְׁעָה֙ קַ֔שׁ וְלִהַ֨ט אֹתָ֜ם הַיּ֣וֹם הַבָּ֗א אָמַר֙ יְהוָ֣ה צְבָא֔וֹת אֲשֶׁ֛ר לֹא־יַעֲזֹ֥ב לָהֶ֖ם שֹׁ֥רֶשׁ וְעָנָֽף׃

διότι ἰδοὺ ἡμέρα κυρίου ἔρχεται καιομένη ὡς κλίβανος καὶ φλέξει αὐτούς καὶ ἔσονται πάντες οἱ ἀλλογενεῖς καὶ πάντες οἱ ποιοῦντες ἄνομα καλάμη καὶ ἀνάψει αὐτοὺς ἡ ἡμέρα ἡ ἐρχομένη λέγει κύριος παντοκράτωρ καὶ οὐ μὴ ὑπολειφθῇ ἐξ αὐτῶν ῥίζα οὐδὲ κλῆμα 

口語訳聖書

万軍の主は言われる、見よ、炉のように燃える日が来る。その時すべて高ぶる者と、悪を行う者とは、わらのようになる。その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝も残さない。 

心のデボーション0167

「貧者をあはれむ者はヱホバに貸すなり その施濟はヱホバ償ひたまはん」 箴言19:17 明治元訳聖書

「貧しい者をあわれむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる。」 口語訳聖書

「貧しい人に憐れみを施す者は、主に貸す人。彼が立て替えたものを、主が返してくださる」 フランシスコ会訳聖書

מַלְוֵ֣ה יְ֭הוָה חֹ֣ונֵֽן דָּ֑ל וּ֝גְמֻלֹ֗ו יְשַׁלֶּם־לֹֽו׃

δανίζει θεῷ ὁ ἐλεῶν πτωχόν κατὰ δὲ τὸ δόμα αὐτοῦ ἀνταποδώσει αὐτῷ

 「神の振込」

フランシスコ会訳聖書は「貧しい人に憐れみを施す者は、主に貸す人。彼が立て替えたものを、主が返してくださる」と訳す。

貧者への施しは、主への「貸出しδανείζω(利息をとって貸し出す)」である。貧しい人への「立て替え(δόμα)」で、決済は神がなさる。利子を含めて立て替えをしのぐ返済が振り込まれるのが通常である。ただ、時々通帳を調べないと振込に気づかない。(箴言19:17)

箴言11:24-25
11:24施し散らして、なお富を増す人があり、与えるべきものを惜しんで、かえって貧しくなる者がある。
11:25物惜しみしない者は富み、人を潤す者は自分も潤される。

箴言28:27
28:27貧しい者に施す者は物に不足しない、目をおおって見ない人は多くののろいをうける。

心のデボーション0168

「おのれの家をくるしむるものは風をえて所有とせん」 箴言11:29 明治元訳聖書

「自分の家族を苦しめる者は風を所有とする、愚かな者は心のさとき者のしもべとなる。」 口語訳聖書

「自分の家族を煩わせる者は風を相続し、愚か者は心に知恵のある者のしもべとなる」 新改訳聖書

עֹוכֵ֣ר בֵּ֭יתֹו יִנְחַל־ר֑וּחַ וְעֶ֥בֶד אֱ֝וִ֗יל לַחֲכַם־לֵֽב׃

ὁ μὴ συμπεριφερόμενος τῷ ἑαυτοῦ οἴκῳ κληρονομήσει ἄνεμον δουλεύσει δὲ ἄφρων φρονίμῳ

 「二つの風」

「家族を煩わす者」は「風を所有とする」(口語訳聖書)、「風を相続し」(新改訳聖書)、「風を嗣業とする」(新共同訳聖書)、「風を手にし」(バルバロ訳聖書)、「風を受け継ぐ」(フランシスコ会訳聖書)箴言11:29。

この「風」は「シロッコ Siricco」(アラビア語「ハムシン」)と呼ばれる砂漠の熱気と砂塵を運び、一夜にして作物を枯死させる烈風である。LXXἄνεμοςは「風、嵐」である。自分の家族を苦しめる者は家に嵐をもちこむ。

しかし、「シロッコ」は、夕方に海から吹く冷風は湿気を含み、霜を結んで野菜の成長を助ける。

神の「霊」は「風」と訳される。「家を煩わす者」は恐ろしい「シロッコ」をもたらすが、風向きが変われば恵みの「風」になる。彼は二つの風を所有している。

ホセア8:7

כִּ֛י ר֥וּחַ יִזְרָ֖עוּ וְסוּפָ֣תָה יִקְצֹ֑רוּ קָמָ֣ה אֵֽין־ל֗וֹ צֶ֚מַח בְּלִ֣י יַֽעֲשֶׂה־קֶּ֔מַח אוּלַ֣י יַֽעֲשֶׂ֔ה זָרִ֖ים יִבְלָעֻֽהוּ׃

ὅτι ἀνεμόφθορα ἔσπειραν καὶ ἡ καταστροφὴ αὐτῶν ἐκδέξεται αὐτά δράγμα οὐκ ἔχον ἰσχὺν τοῦ ποιῆσαι ἄλευρον ἐὰν δὲ καὶ ποιήσῃ ἀλλότριοι καταφάγονται αὐτό

口語訳聖書

彼らは風をまいて、つむじ風を刈り取る。立っている穀物は穂を持たず、また実らない。たとい実っても、他国人がこれを食い尽す。

心のデボーション0169

「そは智慧を獲(う)るは銀を獲るに愈(まさ)りその利は精金よりも善ければなり」 箴言3:14 明治元訳聖書

「知恵によって得るものは、銀によって得るものにまさり、その利益は精金よりも良いからである。」 口語訳聖書

「知恵によって得るものは、銀によって得るものにまさり、彼女によって収穫するものは金にまさる」 新共同訳聖書

כִּ֤י טֹ֣וב סַ֭חְרָהּ מִסְּחַר־כָּ֑סֶף וּ֝מֵחָר֗וּץ תְּבוּאָתָֽהּ׃

κρεῖττον γὰρ αὐτὴν ἐμπορεύεσθαι ἢ χρυσίου καὶ ἀργυρίου θησαυρούς

 「智慧の儲け」

「智慧σοφία」の「儲け」は「銀の儲けにまさり」(新改訳聖書)、「その途(みち)は樂しき途なり」(箴言3:17)という。儲け過ぎて困ることはない。ただ、退蔵された智慧はもはや銀ではない。(箴言3:14)

箴言2:4; 8:10,11,19; 16:16
2:4銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば、
2:5あなたは、主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる。

8:10あなたがたは銀を受けるよりも、わたしの教を受けよ、精金よりも、むしろ知識を得よ。
8:11知恵は宝石にまさり、あなたがたの望むすべての物は、これと比べるにたりない。
8:19わたしの実は金よりも精金よりも良く、わたしの産物は精銀にまさる。
16:16知恵を得るのは金を得るのにまさる、悟りを得るのは銀を得るよりも望ましい。

心のデボーション0170

「かくて三日の朝にいたりて雷と電および密雲山の上にあり又喇叭の聲ありて甚だ高かり營にある民みな震ふ」 出エジプト19:16 明治元訳聖書

「三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。」 口語訳聖書

「三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた」 新共同訳聖書

ַיְהִי֩ בַיּ֨וֹם הַשְּׁלִישִׁ֜י בִּֽהְיֹ֣ת הַבֹּ֗קֶר וַיְהִי֩ קֹלֹ֨ת וּבְרָקִ֜ים וְעָנָ֤ן כָּבֵד֙ עַל־הָהָ֔ר וְקֹ֥ל שֹׁפָ֖ר חָזָ֣ק מְאֹ֑ד וַיֶּחֱרַ֥ד כָּל־הָעָ֖ם אֲשֶׁ֥ר בַּֽמַּחֲנֶֽה׃

ἐγένετο δὲ τῇ ἡμέρᾳ τῇ τρίτῃ γενηθέντος πρὸς ὄρθρον καὶ ἐγίνοντο φωναὶ καὶ ἀστραπαὶ καὶ νεφέλη γνοφώδης ἐπ᾽ ὄρους Σινα φωνὴ τῆς σάλπιγγος ἤχει μέγα καὶ ἐπτοήθη πᾶς ὁ λαὸς ὁ ἐν τῇ παρεμβολῇ

 「時ならぬ雷」

三月の啓蟄のころに鳴る雷を「虫出雷(むしだしかみなり)」という。春になっても外に這い出そうとしない虫が、時ならぬ雷に驚いて穴から出てくるという。居心地がよくて穴から出ようとしない虫には「時ならぬ雷」が有効かもしれない。

エジプトを脱出したイスラエルの民は第三の月の新月の日にシナイの荒野に入った。モーセは神のことばを受ける為に山に登り、「三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音が鋭く鳴り響いたので、宿営にいた民は皆、震えた」(出エジプト19:16)それは、イスラエル人には「時ならぬ雷φωνή(קוֹל雷は「音、声」)」だったかもしれない。

時々、「主の山の上」に「時ならぬ雷」が鳴るのを聞く。

ヨブ記37:1-12
37:1これがためにわが心もまたわななき、その所からとび離れる。
37:2聞け、神の声のとどろきを、またその口から出るささやきを。
37:3彼はこれを天が下に放ち、その光を地のすみずみまで至らせられる。
37:4その後、声とどろき、彼はそのいかめしい声をもって鳴り渡られる。その声の聞える時、彼はいなずまを引きとめられない。
37:5神はその驚くべき声をもって鳴り渡り、われわれの悟りえない大いなる事を行われる。
37:6彼は雪に向かって『地に降れ』と命じ、夕立および雨に向かって『強く降れ』と命じられる。
37:7彼はすべての人の手を封じられる。これはすべての人にみわざを知らせるためである。
37:8その時、獣は穴に入り、そのほらにとどまる。
37:9つむじ風はそのへやから、寒さは北風から来る。
37:10神のいぶきによって氷が張り、広々とした水は凍る。
37:11彼は濃い雲に水気を負わせ、雲はそのいなずまを散らす。
37:12これは彼の導きによってめぐる。彼の命じるところをことごとく世界のおもてに行うためである。

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