心のデボーション381

デボーション1
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心のデボーション3801

「義者には何の禍害も來らず 惡者はわざはひをもて充さる」 箴言12:21  明治元訳聖書

「正しい人にはなんの害悪も生じない、しかし悪しき者は災をもって満たされる。」 口語訳聖書

 「義者には何の禍害も來らず」

「正しい人(δίκαιος)にはなんの害悪も生じない」。(箴言12:21) New King James VersionはNo grave trouble will overtake the righteous,(正しい人を襲う深刻な問題はない)と訳す。Graveの語源はgravis(重い)で、「深刻な状況、危機的状況」をあらわす。正しい人は「嘆き悲しみ‎אנה」に襲われることがない。

(心のデボーション3801)

心のデボーション3802

「否、からだの中にて最も弱しと見ゆる肢は、反つて必要な」 Ⅰコリント12:22

「そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、」 口語訳聖書

 「鼻たれ小僧」

極寒の地では凍傷をふせぐのに鼻水を顔に塗るそうである。デリケートな鼻の粘膜を守るくらいだから、顔にも副作用のない、上質なローションなのかもしれない。そういえば、私の子どものころは、鼻水は服のそででぬぐうもので、カゼでもひけば顔に塗るも同じだった。そうやって、鼻たれ小僧は寒さから顔を保護していたわけである。鼻水を顔に塗りたくはないが、せめて「汚い」と決めつけるのはやめようと思う。

(心のデボーション3802)

心のデボーション3803

「聖書はみな神の感動によるものにして、教誨と譴責と矯正と義を薫陶するとに益あり。」 Ⅱテモテ3:16  大正文語訳聖書

「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」 口語訳聖書

 「薫陶」

聖書は、よく人を「教え、戒め、正しくし、義に導く(ἐπανόρθωσις)」。(Ⅱテモテ3:16) 「導くἐπανόρθωσις」を大正文語訳聖書は「薫陶する」と訳す。「薫陶」の「薫」は香をたいて薫りをしみこませる、「陶」は土をこね、形を整えて陶器を作るの意。「薫陶」は宋時代の歴史書「宗史」にある「四字熟語「薫陶成性」からきたとされ、香り高きをもって、形よく整えて高潔な人を教育するの意である。ギリシャ語ἐπανόρθωσιςは「修正、矯正、修復」の意である。

(心のデボーション3803)

心のデボーション3804

「この默示はなほ定まれる時を俟てその終を急ぐなり 僞ならず 若し遲くあらば待べし 必ず臨むべし 濡滯りはせじ」 ハバクク2:3  明治元訳聖書

「この幻はなお定められたときを待ち、終りをさして急いでいる。それは偽りではない。もしおそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。」 口語訳聖書

 「それを待て」

箴言13:12には「期待が長びくと心は病む」とある。人は待つことにも疲れ、心は空しさに沈むこともある。何故、神は待たせられるのだろうか? いつまで待てばいいのだろうか? 神が私を待たせられる(ὑπομένω)のは、待つ価値があるからである。遅れているのではない。時はゆっくりと熟し、そして、いきなり充ちる。(ハバクク2:3)

(心のデボーション3804)

心のデボーション3805

4:29 神ソロモンに智慧と聰明を甚だ多く賜ひ又廣大き心を賜ふ海濱の沙のごとし」 Ⅰ列王記4:29  明治元訳聖書

「神はソロモンに非常に多くの知恵と悟りを授け、また海べの砂原のように広い心を授けられた。」 口語訳聖書

 「海べの砂原のように広い心」

神はソロモンに多くの知恵と悟りを授け、「海べの砂原のように広い(χύμα)心を授けられた」。(Ⅰ列王記4:29) 明治元訳聖書は、「広ろい心」を「廣大き心」と訳し、「ひろきこころ」と読ませる。「廣大」の「廣」は「广(大屋根)+音符「黃」で「大きな屋根に支えられる四方に広がる、大きな空間」の意である。
(心のデボーション3805)

心のデボーション3806

「ヱホバを畏るることは智慧の訓なり 謙遜は尊貴に先だつ」 箴言15:33  明治元訳聖書

「主を恐れることは知恵の教訓である、謙遜は、栄誉に先だつ。」 口語訳聖書

 「崇高な精神」

崇高な精神とは、低いところにいる人のところに降りていくことではない。そこには自分は高いという思いがある。しかし、人を自分よりも高く見ることでもない。そこには自分への偽りがある。崇高な精神とは人と同じところに自分を置けることである。それが「謙遜ταπεινοφροσύνη」ということではないだろうか。高くもなく低くもない。(箴言15:33)

(心のデボーション3806)

心のデボーション3807

「おのが道をなほくしてヱホバの律法をあゆむ者はさいはひなり」 詩篇119:1  明治元訳聖書

「おのが道を全くして、主のおきてに歩む者はさいわいです。」 口語訳聖書

 「主のおきてに歩む」

「主を畏れる者は、その言葉に背かず、主を愛する者は、その道を守る」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵2:15  フランシスコ会訳聖書) 「主を愛する者は、その道を守る(συντηρέω)」。Συντηρέωは「σύν完全に+τηρέω守る、保存する」で、「しっかり守る、長もちさせる、心の中に留める」の意。主の御言葉がその心を「συντηρέωしっかり守る、長もちさせる、心の中に留める」。(詩篇119:1)

(心のデボーション3807)

心のデボーション3808

「我なんぢらに告ぐ、汝らの義、學者・パリサイ人に勝らずば、天國に入ること能はず」 マタイ5:20 大正文語訳聖書

「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない」 新共同訳聖書

 「健全な信仰」

律法学者やパリサイ派は、律法を厳格に学び、遂行する人々だった。異常な信仰は異常な熱心を生む。そこに人々は魅かれる。「過ち」ほど、人を魅きつけるものはない。だが、「健全な信仰」は彼らの熱意をはるかに上回るものである。異常な熱意を促す信仰は注意しなければならない。しかし、正常な信仰にはそれ以上の熱意が宿る(περισσεύω「十分すぎるほどに上回る、上回って溢れる」)のでなければならない。義への熱き想いなくして神の国に入ることは断じてない。(マタイ5:20)

(心のデボーション3808)

心のデボーション3809

「我は汝らが斯くも速かにキリストの恩惠をもて召し給ひし者より離れて、異なる福音に移りゆくを怪しむ。」 ガラテヤ1:6  大正文語訳聖書

「あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。」 口語訳聖書

 「異なる福音」

「異なる福音ἕτερον εὐαγγέλιον」に注意せよ。「異なるἕτερος」は「二つのうちの一方、道ならぬ、反対の」の意。それは福音というべきものではなく、キリストの福音を変えようとするものである。「異なる福音ἕτερον εὐαγγέλιον」は内にも外にも発生する。外なる「異なる福音」に心するとともに、内なる「異なる福音」をも注視しなければならない。(ガラテヤ1:6)

(心のデボーション3809)

心のデボーション3810

「イエス彼に『見ることを得よ、なんぢの信仰なんぢを救へり』と言ひ給へば、」 ルカ18:42  大正文語訳聖書

「そこでイエスは言われた、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」 口語訳聖書

 「出会い」

「会うも不思議、会わぬも不思議」という。出会いの不思議には、出会わなかった不思議が隠されている。一つの意味ある出会いは、多くの意味なき出会いに導かれている。意味なきものと思われるものがより深い意味に繋がる。目を開き、見える者(ἀναβλέπω)となりたい。(ルカ18:42)

(心のデボーション3810)

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