心のデボーション378

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心のデボーション3771

「惡き途よりすくひ虚偽をかたる者より救はん」 箴言2:12  明治元訳聖書

「悪の道からあなたを救い、偽りをいう者から救う。」 口語訳聖書

 「偽り」

「偽りψεῦδος」は、しばしば、巧妙に組み込まれ、時を経てそれと知られぬかたちで現れる。あまりに深く、規模の大きな偽りは、疑われることもない。しかし、偽りは永久のいのちを持たない。主はあらゆる偽りから人を救われる。(箴言2:12) 「あなたは偽り事に遠ざからなければならない。あなたは罪のない者と正しい者とを殺してはならない。わたしは悪人を義とすることはないからである」(出エジプト2:12)

(心のデボーション3771)

心のデボーション3772

「また弟子の一人いふ『主よ、先づ、往きて、我が父を葬ることを許したまへ』」 マタイ8:21  大正文語訳聖書

「また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。」 口語訳聖書

 「今、それを」

「わたしについて来なさいἀκολουθέω」とイエスに招かれて、この弟子は「まず行って、わたしの父を葬ることを許してください」と答える。この人が急に「孝行息子」になったのは、今は、イエスに従いたくなかったからに過ぎない。「今、それを」という神の声を聞けば、ただちに「自分の網を捨ておいて」従うことである。父を葬るまで延ばす人は、母も子も葬りたくなる(θάπτω)に違いない。(マタイ8:21-22)

(心のデボーション3772)

心のデボーション3773

「これ汝らが信仰のはたらき、愛の勞苦、主イエス・キリストに對する望の忍耐を、我らの父なる神の前に絶えず念ふに因りてなり。」 Ⅰテサロニケ1:3 大正文語訳聖書

「あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。」 口語訳聖書

 「耐え忍ぶ力」

「耐え忍ぶ力を失ったお前たちは不幸だ。主が訪れる時、お前たちはどうするのか。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵2:14  フランシスコ会訳聖書) 「耐え忍ぶ力ὑπομονη」はは「ὑπο下に+μονη 滞在する」から来て「下にとどまる」ことをあらわす。Ⅰテサロニケ1:3には、ὑπομονηはキリストへの希望の下に身を寄せることである。キリストへの希望に生きる力を失った者は不幸である。彼らは主の日を失う。

(心のデボーション3773)

心のデボーション3774

「この故に我らは落膽せず、我らが外なる人は壞るれども、内なる人は日々に新なり。」 Ⅱコリント4:16  大正文語訳聖書

「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。」 口語訳聖書

 「活力のある人」

活力のある人とは状況を変えていく人のことである。それには鋭い問題意識が求められる。座して問題を論じたり、分析したりするだけでは状況を変えられない。状況を変えるための具体的な行動をおこすことが求められる。問題解決の核心に触れる行動は、頭で考えるというよりも、心の深部から出てくるようである。内的な自己を「日々新たにἀνακαινόω」生きるという営みがあって、この行動は生まれてくるのだと思う。(Ⅱコリント4:16)

(心のデボーション3774)

心のデボーション3775

「我らも多くあれど、キリストに在りて一つ體にして、各人たがひに肢たるなり。」 ロマ12:5  大正文語訳聖書

「わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。」 口語訳聖書

 「犬も朋輩鷹も朋輩」

「犬も朋輩鷹も朋輩」という言葉がある。犬と鷹は役割も仕事も待遇も異なるが同じ主人に仕えるの意。われらは「キリストにあって一つのからだἓν σῶμά」である。(ロマ12:5) 「思うべき限度を越えて思いあがることなく、むしろ、神が各自に分け与えられた信仰の量りにしたがって、慎み深く」生きたい。(ロマ12:3,5)

(心のデボーション3775)

心のデボーション3776

「また坑をほりてふかくし己がつくれるその溝におちいれり」 詩篇7:14  明治元訳聖書

「彼は穴を掘って、それを深くし、みずから作った穴に陥る。」 詩篇7:15  口語訳聖書

 「射られた鷲」

一羽の鷲が岩の上で兎を狙っているところを弓で射られた。矢は鷲の肉を貫通し、羽のついた矢筈が鷲の目の前に止まった。鷲はこれを見て「これはまた私には別な苦しみだ、自分の羽で殺されるとは!」と言った。(人は自分のものが原因で危険に陥った場合は、苦痛の刺をいっそう耐え難く感ずるものです)(山本光雄訳「イソップ寓話集」岩波文庫版7「射られた鷲」より) 自分の自慢の羽で狙われては逃げようもない。(詩篇7:14)

(心のデボーション3776)

心のデボーション3777

「なんぢらヱホバの恩惠ふかきを嘗ひしれ ヱホバによりたのむ者はさいはひなり」 詩篇34:8  明治元訳聖書

「主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。」 口語訳聖書

 「やさしきおん者」

「主の恵みふかきことχρηστός」は直訳すると「主の善であること」となる。フランシスコ会訳はこのところを、「深く味わい知れ、ヤーウエは、やさしきおん者」と訳す。人はみな「善なるやさしさ」を宿している。ただ、時たま、それが感じられなくなる。その時は「神に身を避け」、「やさしきおん者」としての神を味わい知る(γέυω)ことである。やさしさがよみがえってくる。(詩篇34:8)

(心のデボーション3777)

心のデボーション3778

「世と世の慾とは過ぎ往く、されど神の御意をおこなふ者は永遠に在るなり。」 Ⅰヨハネ2:17  大正文語訳聖書

「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。」 口語訳聖書

 「憂き世」

この世を「浮世」という。「浮世」は「憂き世」からきて、「憂」の会意は頁(あたま)+心+夊(足を引きずる)で、頭と心が心配事で物思いに沈み、足も滞る様をあらわす。生きているかぎり「憂」は去らない。しかし、「神の御旨を行う者」には、「この世ὁ κόσμος παράγεται(通り過ぎる世)」の「憂」もまた深い意味をもつ。(Ⅰヨハネ2:17)

(心のデボーション3778)

心のデボーション3779

「この故にもし此等のいと小き誡命の一つをやぶり、且その如く人に教ふる者は、天國にて最小き者と稱へられ之を行ひ、かつ人に教ふる者は、天國にて大なる者と稱へられん」 マタイ5:19 大正文語訳聖書

「それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。」 口語訳聖書

 「神は細部に宿る」

「神は細部に宿るDer liebe Gott steckt im Detail」と言われる。建築家ミース・ファン・デル・ローエが語ったデザイン上の言葉とされる。ローエルは「少ないことは豊かなこと」とも語っている。いと小さきἐλάχιστος誡めの一つにも、神は宿っておられる。(マタイ5:19)

(心のデボーション3779)

心のデボーション3780

「御前にて潔く瑕なからしめん爲に、世の創の前より我等をキリストの中に選び、」 エペソ1:4  大正文語訳聖書

「みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、」 口語訳聖書

 「天地の造られる前から」

「天地の造られる前から(a προ καταβολης κοσμου)」は「世界の基の置かれる前から」(新改訳聖書)。神はキリストにあって(ἐν αὐτῷ)わたしたちを選ばれた(ἐκλέγω「引き抜く、選び出す」)。(エペソ1:4) 神の選び(引き抜き)の理由はキリストにあって、人にはない。神は選ばれる理由(資格)のない者を選ばれる。

(心のデボーション3780)

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