心のデボーション377

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心のデボーション3761

「この民は口唇にて我を敬ふ、 されど其の心は我に遠ざかる。」 マタイ15:8  大正文語訳聖書

「この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。」 口語訳聖書

 「怠惰な心」

「怠惰な心は災いだ。それは信じないからである。/それゆえ、主の守りは得られない。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵2:13  聖書協会共同訳聖書) 「怠惰な心οὐαὶ καρδίᾳ παρειμένῃ」は「παρίημι(見逃す、見過ごす、やり過ごす)心」である。何事も何とかなるとやり過ごしていては、「主の守りは得られない」。

(心のデボーション3761)

心のデボーション3762

「人の贈物はその人のために道をひらき かつ貴きものの前にこれを導く」 箴言18:16  明治元訳聖書

「人の贈り物は、その人のために道をひらき、また尊い人の前に彼を導く。」 口語訳聖書

 「贈り物」

英国の宣教師バーネットは病院に行くとき、ポケットに生卵を忍ばせたという。病室に入ると、太った体から手品のように生卵を取り出して病人に渡した。卵が貴重だった時代とはいえ、思いがけないプレゼントは嬉しいものだった。ポケットの生卵を割らないように病院まで運ぶ、そのやさしさが生卵一つを「その人のために道を開き」、「高貴な人の前にも彼を導く」。贈り物(δόμα)よりも、贈り物をしてくれる友が大切である。(箴言18:16)

(心のデボーション3762)

心のデボーション3763

「すべての操守べき物よりもまさりて汝の心を守れ そは生命の流これより出ればなり」 箴言4:23  明治元訳聖書

「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」 口語訳聖書

 「油断することなく」

「田舎の学問より京の昼寝」という。田舎で一人励むよりも、人の集まる都で昼寝しているほうが得ることが多いの意。しかし、インターネットの時代では、田舎と京の境を取り払ってしまった。これが人の集まる京と思えたところが出会う人のない田舎ということもあり、その逆もある。どこであれ、安心して昼寝のできるところなどどこにもないということだ。(箴言4:23)

(心のデボーション3763)

心のデボーション3764

「ペテロ言ふ『金銀は我になし、然れど我に有るものを汝に與ふ、ナザレのイエス・キリストの名によりて歩め』」 使徒3:6  大正文語訳聖書

「ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。」 口語訳聖書

 「金銀はわれになし」

ペテロは施しを求める男に「金銀は私にはないἀργύριον καὶ χρυσίον οὐχ ὑπάρχει μοι」と告げる。ここには、与えるべきものを持たないことへのうしろめたさも、言い訳もない。「金銀は私にはない」と告げられる人だけが、次に、「ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい」と語ることができる。多少の金銀があっても、あえて、「ない」と断定するところからことばは生まれるようだ。(使徒3:6)

(心のデボーション3764)

心のデボーション3765

「最終には月足らぬ者のごとき我にも現れ給へり。」 Ⅰコリント15:8  大正文語訳聖書

「そして最後に、いわば、月足らずに生れたようなわたしにも、現れたのである。」 口語訳聖書

 「月足らずに生れたようなわたし」

パウロは自分をさして、「月足らずに生れたようなわたしτῶ ἐκτρώματι」という。ἔκτρωμαは「早産の子」の意。民数記12:12では「母の胎から肉が半ば滅びうせて出る死人」と表現される。パウロは、かつてはイエスと教会を激しく迫害した、いわば霊的死者であったが、今は恵みによりイエスに仕える者とされ、生きる者となったことへの感謝からくる証しであろう。(Ⅰコリント15:8)

(心のデボーション3765)

心のデボーション3766

「われ患難と憂とにかかれども 汝のいましめはわが喜樂なり」 詩篇119:143  明治元訳聖書

「悩みと苦しみがわたしに臨みました。しかしあなたの戒めはわたしの喜びです。」 口語訳聖書

 「苦しみの本質」

医学の「病態生理学pathophysiology」は病気の原因を明らかにする学問である。この語は「身にふりかかる苦しみ、惨事、災厄」を意味するギリシャ語πάθοςと、「物事の本質をただす」 φυσιολογέωからなる。苦しみの本質を見つめる学問である。

(心のデボーション3766)

心のデボーション3767

「そは我を得る者は生命をえ ヱホバより恩寵を獲ればなり」 箴言8:35   明治元訳聖書

「それは、わたしを得る者は命を得、主から恵みを得るからである。」 口語訳聖書

 「いのちを見いだす」

自分を見いだす者(‎מצא)はいのちを見いだし、いのちを見いだす者は神を見いだす。そして、自分を見いだす者は、他者を見いだす。神と自分と他者と、いずれを欠いてもいのちを見いだすことにはならない。しかし、その一つを真に見いだす者は、他の二つに至る。喜びは、ここに集約される。(箴言8:35)

(心のデボーション3767)

心のデボーション3768

「たとひ虚偽をもてその恨をかくすとも その惡は會集の中に顯はる」 箴言26:26  明治元訳聖書

「たとい偽りをもってその憎しみをかくしても、彼の悪は会衆の中に現れる。」 口語訳聖書

 「恨」

「憎しみ(μισέω)」は、たとへ一時隠せても、やがて人々の目の前に暴かれ、すべての人の知るところとなる。「憎しみ」を明治元訳聖書は「恨(うらみ)」と訳す。「恨」は「心+艮(もとる、さからう)」で、方位では丑と寅の中間の北東をさし、陰陽道では鬼門を意味する。(箴言26:26)

(心のデボーション3768)

心のデボーション3769

「この故にもし此等のいと小き誡命の一つをやぶり、且その如く人に教ふる者は、天國にて最小き者と稱へられ、之を行ひ、かつ人に教ふる者は、天國にて大なる者と稱へられん」 マタイ5:19 大正文語訳聖書

「それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう」 口語訳聖書

 「為し、かつ教える者」

「それを守りποιέω」は「造る、来らせる」こと。天にて「大いなる者」とは、ことばを「教える者」ではなく、「為し、かつ教える者」である。「為し」、かつ「教える」が、一つであるのが真実な人である。「為す」が「教える」であり、「教える」が「為す」である。(マタイ5:19) 

(心のデボーション3769)

心のデボーション3770

「その政事と平和とはましくははりて窮りなし 且ダビデの位にすわりてその國ををさめ今よりのちとこしへに公平と正義とをもてこれを立これを保ちたまはん 萬軍のヱホバの熱心これを成たまふべし」 イザヤ9:7  明治元訳聖書

「そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって/これを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。」 口語訳聖書

 「神の熱心」

今より後、神の国は公平と正義をもってかたく立ち、「万軍の主の熱心(ὁ ζῆλος κυρίου σαβαωθ)がこれをなされる」。(イザヤ9:7) 神のζῆλος(熱意、熱情、熱望)に触れて、心に燃えない者がいるだろうか?

(心のデボーション3770)

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