心のデボーション375

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心のデボーション3741

「また彼に根ざしてその上に建てられ、かつ教へられし如く信仰を堅くし、溢るるばかり感謝せよ。」 コロサイ2:7  大正文語訳聖書

「また、彼に根ざし、彼にあって建てられ、そして教えられたように、信仰が確立されて、あふれるばかり感謝しなさい。」 口語訳聖書

 「いつも月夜と米の飯」

「いつも月夜と米の飯」は月夜と米の飯が続けられるなら申し分ないという、まことに無欲な生き方を言う。しかし、月夜も米の飯も続けば、いつか当たり前になるのが自然で、むしろ、たまに見上げる満月とめったには食べられない米の飯のほうが感動する。感動を失った「いつも月夜と米の飯」ほど、味気ないものはない。

「あふれるばかり感謝しなさいπερισσεύοντες ἐν εὐχαριστίᾳ」(コロサイ2:7)は「περισσεύω十分すぎる程に、充ち溢れて感謝せよ」である。

(心のデボーション3741)

心のデボーション3742

「又はらみなき婦に家をまもらせ おほくの子女のよろこばしき母たらしめたまふ ヱホバを讃まつれ」 詩篇113:9  明治元訳聖書

「また子を産まぬ女に家庭を与え、多くの子供たちの喜ばしい母とされる。主をほめたたえよ。」 口語訳聖書

 「不妊」

不妊に悩む女性にとって「子どもはまだ?」という言葉ほどつらいものはない。詩篇113:9を、自分に向けられた神のことばと受け取る不妊に悩む女性は、最初のうちでこそ希望となるが、やがて、苦悩に変る。詩篇113:9は、捕囚後のイスラエルに「神の恵み」が「民族の拡大」であることを示す比喩として読むべきである。子どもは神からの恵みである。そして、理由はわからないが、不妊(στεῖρα)もまた神の祝福の内にある。

(心のデボーション3742)

心のデボーション3743

「朝になんぢの仁慈をきかしめたまへ われ汝によりたのめばなり わが歩むべき途をしらせたまへ われわが霊魂をなんぢに擧ればなり」 詩篇143:8  明治元訳聖書

「あしたに、あなたのいつくしみを聞かせてください。わたしはあなたに信頼します。わが歩むべき道を教えてください。わが魂はあなたを仰ぎ望みます。」 口語訳聖書

 「夜明け前」

詩人は「あしたに(πρωΐ́)、あなたのいつくしみを聞かせてください」と祈る。(詩篇143:8)「あしたπρωΐ́」は「朝早く、夜明け前に」の意。物事の始まる前に神に聞き、「歩むべき道」を問う。

(心のデボーション3743)

心のデボーション3744

「願はくは長き世のあひだ隱れたれども」 ロマ16:25  大正文語訳聖書

「願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、」 口語訳聖書

 「神の福音」

福音(εὐαγγέλιον)は「長き世々にわたって、隠されていた」が、「今やあらわされ」、「もろもろの国人に告げ知らされ」た。(ロマ16:25) 今や「神の福音の奥儀」はあますところなく、すべての人に明らかにされたのである。偽預言はそれを隠して、「いまだに隠された秘儀をあなたがたに伝える」と「自らの福音」を説く。これに惑わされてはならない。(ロマ16:25)

(心のデボーション3744)

心のデボーション3745

「かくて彼らに言ひたまふ『全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣傳へよ。』」 マルコ16:15  大正文語訳聖書

「そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」 口語訳聖書

 「全世界に出て行って」

「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」(マルコ16:15)。「全世界κόσμος」は「世界」とともに「この世」の意味をもつ。福音を伝えるべき「全世界κόσμος」は、海のかなたにではなく、目の前にある。

(心のデボーション3745)

心のデボーション3746

「この人々はみな女たち及びイエスの母マリヤ、イエスの兄弟たちと共に、心を一つにして只管いのりを務めゐたり。」 使徒1:14  大正文語訳聖書

「彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。」 口語訳聖書

 「心を一つにして」

イエスが復活されると、弟子たちはエルサレムに集まり、「心を合わせて、ひたすら祈をしていた。」(使徒1:14) 「心を合わせὁμοθυμαδὸν」は「ὁμός同一の+ θυμός心」からなり「心を一つにして」の意。「ὁμός」は英語the sameに相当し、同じもの同士をあらわし、homo sapiensは「人間、ヒト」である。「θυμός」は「呼吸、魂、生命、生気、欲求、激情、怒り」など喜怒哀楽を含む人間の基本的営みをあらわす。

(心のデボーション3746)

心のデボーション3747

「反つて己を空しうし、僕の貌をとりて人の如くなれり。」 ピリピ2:7  大正文語訳聖書

「かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、」 口語訳聖書

 「自分を無にして」

キリストは「ご自分を無にして、仕える者の姿をとられ」た。自分を無にしなければ、人に仕えることはできない。「無」とは自分をなくすことではなく、自分を「からっぽ」で「むなしいもの」とすることである。自分を愚かにする、ばかにすることができないと、人に仕えることができない。キリストは、「ご自分を無にして仕える者の姿」をとられた。しかし、私たちの場合は、つまり、ありのままでよい。

(心のデボーション3747)

心のデボーション3748

「彼その聲を和らかにするとも之を信ずるなかれ その心に七の憎むべき者あればなり」 箴言26:25  明治元訳聖書

「彼が声をやわらげて語っても、信じてはならない。その心に七つの憎むべきものがあるからだ。」 口語訳聖書

 「きれいごと」

心に憎しみを抱く者(μισέω)が「声をやわらげて語っても(「口できれいごとを言っても」フランシスコ会訳聖書)、信じてはならない」、「その心に七つの憎むべきものがあるからだ」(箴言26:25) 「七つの憎むべきもの」が何かはわからない。ようするにその心に数えきれないほどの「憎むべきもの」が隠されているからである。

(心のデボーション3748)

心のデボーション3749

「この故にもし此等のいと小き誡命の一つをやぶり、且その如く人に教ふる者は、天國にて最小き者と稱へられ、之を行ひ、かつ人に教ふる者は、天國にて大なる者と稱へられん」 マタイ5:19 大正文語訳聖書

「それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。」 口語訳聖書

「だから、最も小さなおきての一つでもこれを無視し、またそうするように人々に教える者は、天の国で最も小さな者と呼ばれるであろう。しかし、おきてを行ない、またそうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれるであろう」 フランシスコ会訳聖書

 「小さな掟」

「凡そ人、萬物卽一であり、一つに萬物帰着することを暁(さと)って、又一つの中に萬物を見ることのできるならば、その人は常に安固の心を宿らせて、そして晏然(あんぜん)として神に静息し得るのである」 (トマス・アケンピス『基督のまねび』)

神の教えには「小さい、とるに足りない、つまらない」小さな掟(ἐλάχιστος)もある。「小さく」ても全体であって、その一つを破ることは全体を損うことである。(マタイ5:19)

(心のデボーション3749)

心のデボーション3750

「生命にいたる門は狹く、その路は細く、之を見出す者すくなし。」 マタイ7:14  大正文語訳聖書

「命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。」 口語訳聖書

 「生命にいたる門」

「生命にいたる門ἡ πύλη εἰς τὴν ζωὴν」は狭く、その道は細く、その道を見い出す(εὑρίσκω「探した末に見つける」)ことは難しい。(マタイ7:14)それは人が見出すというよりも、神が知らせてくださる道だからである。「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある」(詩篇16:11)

(心のデボーション3750)

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