心のデボーション0141
「然はあれど神は矢にてかれらを射たまふべし かれらは俄かに傷をうけん」 詩篇64:7 明治元訳聖書
「しかし神は矢をもって彼らを射られる。彼らはにわかに傷をうけるであろう。」 口語訳聖書
「神は彼らに矢を射かけ、突然、彼らは討たれるでしょう」 新共同訳聖書(詩篇64:8)
יַֽחְפְּֽשׂוּ־עוֹלֹ֗ת תַּ֭מְנוּ חֵ֣פֶשׂ מְחֻפָּ֑שׂ וְקֶ֥רֶב אִ֝֗ישׁ וְלֵ֣ב עָמֹֽק׃
καὶ ὑψωθήσεται ὁ θεός βέλος νηπίων ἐγενήθησαν αἱ πληγαὶ αὐτῶνLXX詩篇63:8
「射手の名手」
攻撃する者は「毒を含む言葉を矢としてつがえτόξον αὐτῶν πρᾶγμα πικρὸν」、無垢な人を射ようとして構える。(詩篇64:4-5)「毒を含む言葉の矢」は思わぬところから飛んでくる。これをふせぐ手立てはない。しかし、「神は彼らに矢を射かけ、突然、彼らは討たれる」。彼らとてこれをふせぐ手立てはない。ただ、わからないのは、無垢な人の心にも「毒を含む言葉の矢(πικρός 苦い、尖った、刺すような)」を絞る射手の名手がいることだ。
しかし、神は放たれた「毒を含む言葉の矢」を射た者に向ける。(詩篇64:7)神は「彼らの舌のゆえに彼らを滅ぼされる。」(詩篇64:8)
詩篇7:10-13
7:10わたしを守る盾は神である。神は心の直き者を救われる。
7:11神は義なるさばきびと、日ごとに憤りを起される神である。
7:12もし人が悔い改めないならば、神はそのつるぎをとぎ、その弓を張って構え、
7:13また死に至らせる武器を備え、その矢を火矢とされる。
心のデボーション0142
「之に言たまはく汝等わが言を聽け汝らの中にもし預言者あらば我ヱホバ異象において我をこれに知しめまた夢において之と語らん」 民数記12:6 明治元訳聖書
「彼らに言われた、「あなたがたは、いま、わたしの言葉を聞きなさい。あなたがたのうちに、もし、預言者があるならば、主なるわたしは幻をもって、これにわたしを知らせ、また夢をもって、これと語るであろう。」 口語訳聖書
「聞け、わたしの言葉を。あなたたちの間に預言者がいれば、主なるわたしは幻によって自らを示し、夢によって彼に語る」 新共同訳聖書
ַיֹּ֖אמֶר שִׁמְעוּ־נָ֣א דְבָרָ֑י אִם־יִֽהְיֶה֙ נְבִ֣יאֲכֶ֔ם יְהוָ֗ה בַּמַּרְאָה֙ אֵלָ֣יו אֶתְוַדָּ֔ע בַּחֲל֖וֹם אֲדַבֶּר־בּֽוֹ׃
καὶ εἶπεν πρὸς αὐτούς ἀκούσατε τῶν λόγων μου ἐὰν γένηται προφήτης ὑμῶν κυρίῳ ἐν ὁράματι αὐτῷ γνωσθήσομαι καὶ ἐν ὕπνῳ λαλήσω αὐτῷ
「バク枕」
昔、神は預言者に、幻をもって、御自身を知らせ、また夢をもって、彼らと語られた。(民数記12:6)
江戸時代に、箱枕にバクの絵を描く「バク枕」というのが流行した。悪い夢はバクに食べさせて、いい夢だけを見ようというわけである。しかし、「悪い夢」にも深い意味があり、バクに食わせるにはもったいない。人は夢というもう一つの世界をもっている。それは私の知る世界よりもはるかに知恵にみちている。ただ夢を食うだけのバクに夢の意味はわかるまい。「夢ὕπνος 」は「まどろみ、眠り」で「霊的なまどろみ」の意。
心のデボーション0143
「是はその施濟(ほどこし)の隱れん爲なり。さらば隱れたるに見たまふ汝の父は報い給はん」 マタイ6:4 大正文語訳聖書
「それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」 口語訳聖書
「あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます 新改訳聖書
ὅπως ἦ σου ἡ ἐλεημοσύνη ἐν τῷ κρυπτῷ καὶ ὁ πατήρ σου ὁ βλέπων ἐν τῷ κρυπτῷ ἀποδώσει σοι.
「貧者をあはれむ者はヱホバに貸すなり その施濟はヱホバ償ひたまはん」箴言19:17
「施しの報い」
「施し」という言葉には、するのも、されるのも嫌な響きがある。「施し」の最大の罪はいつまでもその行為を忘れずに覚えていることである。「記憶された施し」は神への貸しとして償いを待つ卑しき心である。
しかし、神は「施しἐλεημοσύνη」とも言えない貧しい行為に償いをせずにはおかれない。神が私に報われる最大のことは、「施しをした」という思いをすっかり忘れさせてくださることである。
「隠れた施し」の「隠れたκρυπτός」には「埋葬する」の意もある。その行為そのものを地に埋め埋葬しなさいとイエスは教えられる。(マタイ6:4)
心のデボーション0144
「かつ寶の匣(はこ)をあけて、黄金・乳香・沒藥など禮物を献げたり」 マタイ2:11 大正文語訳聖書
「そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。」 口語訳聖書
「そして家の中に入ってみると、幼な子は母マリアとともにおられた。博士たちはひれ伏して幼な子を拝んだ。そして宝箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた」 フランシスコ会訳聖書
καὶ ἐλθόντες εἰς τὴν οἰκίαν εἶδον τὸ παιδίον μετὰ Μαρίας τῆς μητρὸς αὐτοῦ, καὶ πεσόντες προσεκύνησαν αὐτῷ καὶ ἀνοίξαντες τοὺς θησαυροὺς αὐτῶν προσήνεγκαν αὐτῷ δῶρα, χρυσὸν καὶ λίβανον καὶ σμύρναν.
「無償の贈り物」
東の博士たちは「寶の匣(はこ)」をあけて黄金と乳香と没薬をささげた。それらは「新しく生まれた王」への貢物であった。だが、これらの値高き品々は、続くイエスのエジプト避難と滞在の費用として貧しいマリヤとヨセフを助けたであろうことは容易に想像できる。(マタイ2:11)
飢饉を逃れてエジプトに渡ったヤコブはエジプト宰相となった息子ヨセフに「黄金と乳香と没薬」を捧げるように助言した。「黄金と乳香と没薬」は王への贈り物であった。(創世記43:11)
「贈り物 δῶρον」は「無償の贈り物、無条件でささげる、理由なしにささげる、見返りを期待しない贈り物」の意。「無償の行為」は、目的以外のところで役割を果たす。神にささげられたものが、意味なく失われることはない。
詩篇95:6
בֹּ֭אוּ נִשְׁתַּחֲוֶ֣ה וְנִכְרָ֑עָה נִ֝בְרְכָ֗ה לִֽפְנֵי־יְהוָ֥ה עֹשֵֽׂנוּ׃
δεῦτε προσκυνήσωμεν καὶ προσπέσωμεν αὐτῷ καὶ κλαύσωμεν ἐναντίον κυρίου τοῦ ποιήσαντος ἡμᾶς LXX詩篇94:6
口語訳聖書
さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。
心のデボーション 00145
「汝は食ひて飽き汝の神ヱホバにその美地(よきち)を己にたまひし事を謝すべし」 申命記8:10 明治元訳聖書
「あなたは食べて飽き、あなたの神、主がその良い地を賜わったことを感謝するであろう。」
「あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい」 新共同訳聖書
וְאָכַלְתָּ֖ וְשָׂבָ֑עְתָּ וּבֵֽרַכְתָּ֙ אֶת־יְהוָ֣ה אֱלֹהֶ֔יךָ עַל־הָאָ֥רֶץ הַטֹּבָ֖ה אֲשֶׁ֥ר נָֽתַן־לָֽךְ׃
καὶ φάγῃ καὶ ἐμπλησθήσῃ καὶ εὐλογήσεις κύριον τὸν θεόν σου ἐπὶ τῆς γῆς τῆς ἀγαθῆς ἧς ἔδωκέν σοι
「美地(よきち)」
私は神より「今日」という、まことに「美地(よきち)τῆς γῆς τῆς ἀγαθῆς」を賜った。この地の味わいはいかがであろうか。神から賜る「良き地」は「良い広い地、乳と蜜の流れる地」である。(申命記8:10)
「良き地」を明治元訳聖書は「美地」として「よきち」と読む。漢字「美」は「羊+大」で「かたちのよい大きな羊」をもって「美しい」をあらわす。
出エジプト3:8
וָאֵרֵ֞ד לְהַצִּיל֣וֹ׀ מִיַּ֣ד מִצְרַ֗יִם וּֽלְהַעֲלֹתוֹ֮ מִן־הָאָ֣רֶץ הַהִוא֒ אֶל־אֶ֤רֶץ טוֹבָה֙ וּרְחָבָ֔ה אֶל־אֶ֛רֶץ זָבַ֥ת חָלָ֖ב וּדְבָ֑שׁ אֶל־מְק֤וֹם הַֽכְּנַעֲנִי֙ וְהַ֣חִתִּ֔י וְהָֽאֱמֹרִי֙ וְהַפְּרִזִּ֔י וְהַחִוִּ֖י וְהַיְבוּסִֽי׃
καὶ κατέβην ἐξελέσθαι αὐτοὺς ἐκ χειρὸς Αἰγυπτίων καὶ ἐξαγαγεῖν αὐτοὺς ἐκ τῆς γῆς ἐκείνης καὶ εἰσαγαγεῖν αὐτοὺς εἰς γῆν ἀγαθὴν καὶ πολλήν εἰς γῆν ῥέουσαν γάλα καὶ μέλι εἰς τὸν τόπον τῶν Χαναναίων καὶ Χετταίων καὶ Αμορραίων καὶ Φερεζαίων καὶ Γεργεσαίων καὶ Ευαίων καὶ Ιεβουσαίων
口語訳聖書
わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。
詩篇95:4
אֲשֶׁ֣ר בְּ֭יָדוֹ מֶחְקְרֵי־אָ֑רֶץ וְתוֹעֲפ֖וֹת הָרִ֣ים לֽוֹ׃
ὅτι ἐν τῇ χειρὶ αὐτοῦ τὰ πέρατα τῆς γῆς καὶ τὰ ὕψη τῶν ὀρέων αὐτοῦ εἰσινLXX詩篇94:4
口語訳聖書
地の深い所は主のみ手にあり、山々の頂もまた主のものである。
心のデボーション0146
「ヨセフ起きて、夜の間に幼兒とその母とを携へて、エジプトに去りゆき」 マタイ2:14 大正文語訳聖書
「そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、」 口語訳聖書
「約瑟遂起、夜間挈嬰與其母、而往埃及」 漢訳聖書
ὁ δὲ ἐγερθεὶς παρέλαβεν τὸ παιδίον καὶ τὴν μητέρα αὐτοῦ νυκτὸς καὶ ἀνεχώρησεν εἰς Αἴγυπτον,
「手を携へて」
「幼兒とその母とを携へて」は漢訳聖書では「挈 けい」で「刃物で切れ目をつけた所にカギや手をひっかけて引っぱる」こと。「携えるπαραλαμβάνω」は「παρά 傍らに+λαμβάνω 掴む」で「共に連れてゆく」の意。この語は「配偶者を受け入れる」の意にも使われる。(マタイ2:14)ヨセフは夜の道をマリヤとイエスの手をしっかり握り、引っぱるようにしてエジプトに逃れた。
ソドムとゴモラが審判を受けた時、み使いはロトと彼の妻と二人の娘の「手をつかんで」、彼らを町の外に連れ出した。(創世記19:15-16)
東日本大震災のとき津波で、親の手を握っていたが、手を離してしまった人がいた。そのため親を亡くした人は「あの時、手を離さなければ」と深い後悔の念にとらわれている。どれほど強く握っても、離れてしまういのちもある。人がその手を引き助かるいのちも、手を引いたが失われるいのちもある。だが、神は双方の「いのち」を「挈(たづさ)へ往(ゆき)」給う。神はその手を離されることはない。「あの時、離れてしまった手」は神が受け、引かれたのだ。引く手もなく逝かれたのではない。
詩篇54:4
אֱ֭לֹהִים שְׁמַ֣ע תְּפִלָּתִ֑י הַ֝אֲזִ֗ינָה לְאִמְרֵי־פִֽי׃
ἰδοὺ γὰρ ὁ θεὸς βοηθεῖ μοι καὶ ὁ κύριος ἀντιλήμπτωρ τῆς ψυχῆς μου
口語訳聖書
見よ、神はわが助けぬし、主はわがいのちを守られるかたです。
心のデボーション0147
「イスラエルの幼かりしとき我これを愛しぬ我わが子をエジプトより呼いだしたり かれらは呼るるに隨ひていよいよその呼者(よぶもの)に遠ざかり且もろもろのバアルに犠牲をささげ雕たる偶像に香を焚(たけ)り」 ホセア11:1-2 明治元訳聖書
「わたしはイスラエルの幼い時、これを愛した。わたしはわが子をエジプトから呼び出した。わたしが呼ばわるにしたがって、彼らはいよいよわたしから遠ざかり、もろもろのバアルに犠牲をささげ、刻んだ像に香をたいた。」 口語訳聖書
「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。それなのに、彼らを呼べば呼ぶほど、彼らはいよいよ遠ざかり、バアルたちにいけにえをささげ、刻んだ像に香をたいた」 新改訳聖書
「呼ぶ者の声」
神は「エジプト」のイスラエルを「呼ばれたμετακαλέω(迎えようとして呼びにやる)」が、彼らは呼ばれれば呼ばれるほど、「その呼者(よぶもの)に遠ざかった」(ホセア11:2)。神は私をあるべき「私」に呼ばれる。しかし、人は神が呼べば呼ぶほど、自分という存在から遠ざかり、己の偶像に香を焚く。
イザヤ30:8-11
30:8いま行って、これを彼らの前で札にしるし、書物に載せ、後の世に伝えて、とこしえにあかしとせよ。
30:9彼らはそむける民、偽りを言う子ら、主の教を聞こうとしない子らだ。
30:10彼らは先見者にむかって「見るな」と言い、預言者にむかっては「正しい事をわれわれに預言するな、耳に聞きよいことを語れ、迷わしごとを預言せよ。
30:11大路を去り、小路をはなれ、イスラエルの聖者について語り聞かすな」と言う。
心のデボーション0148
「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり」 ロマ12:19 大正文語訳聖書
「愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである。」 口語訳聖書
「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐はわたしのすること、わたしが復讐する』と主は言われると書いてあります」 新共同訳聖書
μὴ ἑαυτοὺς ἐκδικοῦντες, ἀγαπητοί, ἀλλὰ δότε τόπον τῇ ὀργῇ, γέγραπται γάρ, ἐμοὶ ἐκδίκησις, ἐγὼ ἀνταποδώσω, λέγει κύριος.
「復讐は我になし」
「復讐する最良の方法は相手と同じような者にならぬこと」(マルクス・アウレリュウス『自省録』) アウレュウスの復讐が成功するのは極めて稀である。そのつもりでいても、気がつけば自分が憎んだ相手と同じになっている。
「復讐するἐκδικέωe」は「権利を擁護する」の意。「神の怒りに任せる」とは、復讐に関する正当な権利を神に譲り、権利を放棄することである。(ロマ12:19)
ロマ12:17
μηδενὶ κακὸν ἀντὶ κακοῦ ἀποδιδόντες· προνοούμενοι καλὰ ἐνώπιον πάντων ἀνθρώπων·
口語訳聖書
だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人に対して善を図りなさい。
レビ19:18
לֹֽא־תִקֹּ֤ם וְלֹֽא־תִטֹּר֙ אֶת־בְּנֵ֣י עַמֶּ֔ךָ וְאָֽהַבְתָּ֥ לְרֵעֲךָ֖ כָּמ֑וֹךָ אֲנִ֖י יְהוָֽה׃
καὶ οὐκ ἐκδικᾶταί σου ἡ χείρ καὶ οὐ μηνιεῖς τοῖς υἱοῖς τοῦ λαοῦ σου καὶ ἀγαπήσεις τὸν πλησίον σου ὡς σεαυτόν ἐγώ εἰμι κύριος
口語訳聖書
あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。
心のデボーション0149
「ここにヘロデ、博士たちに賺(すか)されたりと悟りて」 マタイ2:16 大正文語訳聖書
「さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。」 口語訳聖書
「さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った」 新共同訳聖書
Τότε ῾Ηρῴδης ἰδὼν ὅτι ἐνεπαίχθη ὑπὸ τῶν μάγων ἐθυμώθη λίαν, καὶ ἀποστείλας ἀνεῖλεν πάντας τοὺς παῖδας τοὺς ἐν Βηθλέεμ καὶ ἐν πᾶσι τοῖς ὁρίοις αὐτῆς ἀπὸ διετοῦς καὶ κατωτέρω, κατὰ τὸν χρόνον ὃν ἠκρίβωσεν παρὰ τῶν μάγων.
「賺(すか)される」
「だまされるἐμπαίζω」は「ἐν中で+παίζω 遊ぶ、戯れる、子どものように遊ぶ」からなり、「子どものように弄ばれる、嘲弄される」の意。明治元訳聖書は「賺(すか)される」と訳す。ヘロデは博士たちを「賺(すか)して」うまくやろうとしたが、自分が「賺(すか)された」と気づき激しく怒る。「賺(すか)す」は「だまして高く買わせる」から「だます、なだめる」の意。「宥め賺す(なだめすかす)」は、相手の喜びそうなものを餌にして、より大きなものを手に入れようとする(だまして高く買わせる)姑息な手段である。子どもには効果があっても、大人には向かない。最初にその手を使ったのはヘロデであったが、今や自分が「賺(すか)された」と思い込む。ヘロデは自分が「虚仮にされた」と感じたのである。(「虚仮」の「虚」は「偽り」、「仮」は「実体のない」で「真実ではないこと」の意)(マタイ2:16)
「宥め賺す(なだめすかす)」を弄んではならない。この感情にとらわれると真実が見えなくなる。
詩篇5:6
לֹֽא־יִתְיַצְּב֣וּ הֽ֭וֹלְלִים לְנֶ֣גֶד עֵינֶ֑יךָ שָׂ֝נֵ֗אתָ כָּל־פֹּ֥עֲלֵי אָֽוֶן׃
ἀπολεῖς πάντας τοὺς λαλοῦντας τὸ ψεῦδος ἄνδρα αἱμάτων καὶ δόλιον βδελύσσεται κύριος LXX詩篇5:7
口語訳聖書
あなたは偽りを言う者を滅ぼされる。主は血を流す者と、人をだます者を忌みきらわれる。
心のデボーション0150
「風は己が好むところに吹く、汝その聲を聞けども、何處より來り何處へ往くを知らず。すべて靈によりて生るる者も斯くのごとし」 ヨハネ3:8 大正文語訳聖書
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである。」 口語訳聖書
「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くのかを知らない」 新改訳聖書
τὸ πνεῦμα ὅπου θέλει πνεῖ, καὶ τὴν φωνὴν αὐτοῦ ἀκούεις, ἀλλ᾽ οὐκ οἶδας πόθεν ἔρχεται καὶ ποῦ ὑπάγει· οὕτως ἐστὶν πᾶς ὁ γεγεννημένος ἐκ τοῦ πνεύματος.
「お助け風」
乗鞍岳の林道を歩くと溶岩石の積もったところに小さな「風穴」があり、岩の間から冷たい風が吹いてくる。登山者にはありがたい冷風の吹き出し口で、これを「お助け風」という。岐阜県の蒲田川上流の左俣谷にもあり「左俣谷のお助け風」と呼ばれる。
「πνεῦμα」は「風、息、呼吸」の意と共に「霊、聖霊」の意である。思わぬところで気持ちの良い冷風を送ってくれる。急な岩場をあえぎながら歩く者への「お助け風」である。(ヨハネ3:8)
ヨブ記37:9-12; 14-15
37:9つむじ風はそのへやから、寒さは北風から来る。
37:10神のいぶきによって氷が張り、広々とした水は凍る。
37:11彼は濃い雲に水気を負わせ、雲はそのいなずまを散らす。
37:12これは彼の導きによってめぐる。彼の命じるところをことごとく世界のおもてに行うためである。
37:14ヨブよ、これを聞け、立って神のくすしきみわざを考えよ。
37:15あなたは知っているか、神がいかにこれらに命じて、その雲の光を輝かされるかを。
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