心のデボーション373

デボーション1
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心のデボーション3721

「なんぢら銀をうくるよりは我が敎をうけよ 精金よりもむしろ知識をえよ」 箴言8:10  明治元訳聖書

「あなたがたは銀を受けるよりも、わたしの教を受けよ、精金よりも、むしろ知識を得よ。」 口語訳聖書

 「精金よりも」

銀を得るよりも神の教えを、金を得るよりは知恵を得よ。神の教えはただしく銀を得る道を教え、知恵はその使い方を教える。「精金χρυσίου καθαροῦ」は「純粋な混じりけのない(καθαρός)金」の意で、「純金」である。死蔵された銀や金は、厄介ながらくたにすぎない。(箴言8:10)

(心のデボーション3721)

心のデボーション3722

「キリストの平和をして汝らの心を掌どらしめよ、汝らの召されて一體となりたるはこれが爲なり、汝ら感謝の心を懷け。」 コロサイ3:15  大正文語訳聖書

「キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。」 口語訳聖書

 「感謝の心」

何もすることがないというのはつらい。することがないというよりも、することに意味が感じられなというべきかもしれない。少々の退屈さを我慢して、日常の世界を見据えることである。そうすれば自分や自然に対する目が開かれ、意味が生活に近づいてくる。意味さえつかめば、日常の持つ深さは計り知れない。何かできたことが感謝(εὐχάριστος)なのではなく、人として生かされていることが感謝であり、意味あることなのだ。(コロサイ3:15)

(心のデボーション3722)

心のデボーション3723

「わが督斥にしたがひて心を改めよ 視よわれ我が霊を汝らにそそぎ 我が言をなんぢらに示さん」 箴言1:23 明治元訳聖書

「わたしの戒めに心をとめよ、見よ、わたしは自分の思いを、あなたがたに告げ、わたしの言葉を、あなたがたに知らせる。」 口語訳聖書

 「督斥」

「わたしの戒め‎תּוֹכַחַת(誡め、懲らしめ、)」を明治元訳聖書は「督斥」と訳し「いましめ」と読ませる。(箴言1:23)「督」は「調べみる」、「斥」は「退ける」の意である。神は御言葉をもって私を調べられ、私の心を改められる。ギリシャ語の「いましめἐντολή」は「神のいいつけ、律法、御言葉」である。「それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。」(マタイ5:19)

(心のデボーション3723)

心のデボーション3724

「夜ふけて日近づきぬ、然れば我ら暗黒の業をすてて光明の甲を著るべし。」 ロマ13:12  大正文語訳聖書

「夜はふけ、日が近づいている。それだから、わたしたちは、やみのわざを捨てて、光の武具を着けようではないか。」 口語訳聖書

 「涙をぬぐって」

「夜はふけてἡ νὺξ προέκοψεν」は「夜が進むπροκόπτω(前進する)」で「更ける」の意。夜の闇がいよいよ濃くなる時、昼が近づいている。失いたくないものをとられる時は、良きものが近づいている。目から涙をぬぐいなさい。そうしないと、新しく与えられるものが見えない。失ったものを忘れるためにではない。愛するために新しく与えられるのである。失ったのではない。新しくされるのである。(ロマ13:12)

(心のデボーション3724)

心のデボーション3725

「誠にまことに汝らに告ぐ、わが言をききて我を遣し給ひし者を信ずる人は、永遠の生命をもち、かつ審判に至らず、死より生命に移れるなり。」 ヨハネ5:24  大正文語訳聖書

「よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。」 口語訳聖書

 「死と親しむ」

モンテーニュは「あらかじめ死を考えることは自由を考えることである。死を学んだ者は奴隷であることを忘れた者である。死の習慣はわれわれをあらゆる隷属と拘束から解放する」という。(モンテーニュ「エセー」より)

常に死に親しむ者は「死から命に移る」。(ヨハネ5:24)

(心のデボーション3725)

心のデボーション3726

「汝こころを盡してヱホバに倚賴め おのれの聰明に倚ることなかれ」 箴言3:5  明治元訳聖書

「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。」 口語訳聖書

 「主に信頼せよ」

「心をつくして主に信頼せよ」。(箴言3:5) 「信頼」を明治元訳聖書は「倚賴め」をもって「寄り頼め」と読ませる。「倚」は「よりかかる、たよりにする」の意で、「依」である。「賴」は「頼む、の意で、自力によらず他に依存することをあらわす。LXX πείθωは「ことがらについての真摯な議論を経て、確かな証しによる強い内的確信に満ちた(神への)信頼にいたる」を意味する。

(心のデボーション3726)

心のデボーション3727

「凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。」 Ⅰコリント13:7  大正文語訳聖書

「そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」 口語訳聖書

 「下にとどまる」

心理学者サイドマンは、人がどれだけ電気ショックに耐えられるかという実験をした。それによると、ただ一人で電気ショックを受けるよりも、仲間がいた方がはるかに耐えやすいことがわかった。一人になると、少し電圧を上げただけで悲鳴をあげたという。(サイドマン「自己抑制と自己実現」より) 「耐えるὑπομένω」という言葉は「下にとどまる」で、その場に固く踏みとどまることです。愛する人とならそれが出来る。(Ⅰコリント13:7)

(心のデボーション3727)

心のデボーション3728

「汝すべての途にてヱホバをみとめよ さらばなんぢの途を直くしたまふべし」 箴言3:6  明治元訳聖書

「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」 口語訳聖書

 「すべての道で」

「すべての道で主を認めよἐν πάσαις ὁδοῖς σου γνώριζε αὐτήν」(箴言3:6) 「すべての道でἐν πάσαις ὁδοῖς」と言われる。「πᾶς」は「あらゆる、全部の、ひとつ残らず、例外なく、あらん限りの」の意。どの道にも、神は人とともにあり、その道を「まっすぐにされり(ὀθοτομέωまっすぐに切る、正しくする)」。

(心のデボーション3728)

心のデボーション3729

「誠に汝らに告ぐ、天地の過ぎ往かぬうちに、律法の一點、一畫も廢ることなく、ことごとく全うせらるべし」 マタイ5:18 大正文語訳聖書

「よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」 口語訳聖書

 「神の言葉」

印刷技術のなかった時代に聖書はすべて「手書き」で写された。訓練を受けた聖職者が細心の注意をもって一字一字を写した。完成したものの文字列を斜めに読み、間違いがないかを確認もなされた。しかし、人間の手によるもので完全はなく、そこにも誤字が入り、原文にない文字が書き加えられることがあった。だが、神の言葉の「天地が消え失せても、(そこに書かれている)すべてのことが実現するまでは、律法(と預言書)から、その一点一画といえども決して消え失せない」。 マタイ5:18 塚本虎二訳聖書 

(心のデボーション3729)

心のデボーション3730

「わがたすけは天地をつくりたまへるヱホバよりきたる」 詩篇121:2  明治元訳聖書

「わが助けは、天と地を造られた主から来る。」 口語訳聖書

 「苦難の時」

「主は、慈しみ深く、憐れみ深い方、/わたしたちの罪を赦し、/苦難のときに助けてくださる」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵2:11  新共同訳聖書)「苦難の時」は、バルバロ訳聖書「不幸な日」、フランシスコ会訳聖書「試練の時」、英語訳聖書「in time of trouble」とも訳される。LXXθλῖψιςは「押し付けられる、苦しめる」の意。身に押し付けられたトラブル、不幸の日にも主は助けてくださる。(詩篇121:2)

(心のデボーション3730)

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