心のデボーション370

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心のデボーション3691

「彼らは呟くもの、不滿をならす者にして、おのが慾に隨ひて歩み、口に誇をかたり、利のために人に諂ふなり。」 ユダ1:16  大正文語訳聖書

「彼らは不平をならべ、不満を鳴らす者であり、自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人へつらう者である。」 口語訳聖書

 「阿諛追従(あゆついしょう)」

不敬虔な者は「利のために人へつらうθαυμάζοντες πρόσωπα ὠφελείας χάριν」。(ユダ1:16) 「へつらうθαυμάζοντες πρόσωπα」は「θαυμάζω(驚く、驚き恐れる)+πρόσωπον(顔)」で「おせいじを言って褒める、おもねる」の意で、「阿諛追従(あゆついしょう)」である。「阿諛追従」の「阿」は「おもねる」、「諛」は「へつらう」、「追従」は「機嫌を取る」の意。

(心のデボーション3691)

心のデボーション3692

「汝ら斯ヨセフにいふべし汝の兄弟汝に惡をなしたれども冀はくはその罪咎をゆるせと然ば請ふ汝の父の神の僕等の咎をゆるせとヨセフその言を聞て啼泣り」 創世記50:17  明治元訳聖書

「『おまえたちはヨセフに言いなさい、「あなたの兄弟たちはあなたに悪をおこなったが、どうかそのとがと罪をゆるしてやってください」』。今どうかあなたの父の神に仕えるしもべらのとがをゆるしてください」。ヨセフはこの言葉を聞いて泣いた。」口語訳聖書 

 「赦し」

広島で原爆を経験したこの人は、戦禍のサラエボを旅行して、「あなたは原爆を赦したり、忘れることができますか?」と質問されて「忘れることはありません。ただ、赦すことは、忘れることではなく、乗り越えていくことです」と答える。聖書の「赦すἀφίημι」は、ある人、ある状況をそのままにしておくという意味を含んでいる。怒りや悲しみはいじらないで、そのままにしておくのが、真実と向き合い、乗り越えていく作業なのかもしれない。(創世記50:17)

(心のデボーション3692)

心のデボーション3693

「謙だるものを正義にみちびきたまはん その道をへりくだる者にしめしたまはん」 詩篇25:9  明治元訳聖書

「へりくだる者を公義に導き、へりくだる者にその道を教えられる。」 口語訳聖書

 「へりくだる人」

神は「へりくだる者を公義に導き」、「その道を教えられる」。(詩篇25:9) 「へりくだる者πραΰς」は「抑圧された者、へりくだる者、忍耐する者、柔和な者」の意。モーセは「地上のだれよりもまさってへりくだる者πραΰς」であった。(民数12:3)

(心のデボーション3693)

心のデボーション3694

「答へて言ふ「主よ、今年も容したまへ、我その周圍を掘りて肥料せん。」 ルカ13:8  大正文語訳聖書

「すると園丁は答えて言った、『ご主人様、ことしも、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。』」 口語訳聖書

 「実をつけない木」

「実をつけないなら切ってしまえ」と言う薗の主人に番人は「もう一年待ってください。木のまわりを掘って、肥やしをやってみますから」となだめる。(ルカ13:8)それでもやは実をつけないなら、どうするのだろうか。この番人は「どうか切らないでください。この木は祈りの時、気持ちの良い木陰をつくってくれますから」というかもしれない。主人も番人も、実のならないいちじくの木を切る気はないのである。

(心のデボーション3694)

心のデボーション3695

「汝すべての途にてヱホバをみとめよ さらばなんぢの途を直くしたまふべし」 箴言3:6  明治元訳聖書

「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」 口語訳聖書

 「あなたのすべての道で」

「すべての道で主を認めよἐν πάσαις ὁδοῖς σου γνώριζε αὐτήν」(箴言3:6) あなたのすべての道(ἐν πάσαις ὁδοῖς σου)に主はおられ、その道を「直くしたまふ」からである。

(心のデボーション3695)

心のデボーション3696

「父その榮光の富にしたがひて、御靈により力をもて汝らの内なる人を強くし、」 エペソ3:16  大正文語訳聖書

「どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、」 口語訳聖書

 「累卵」

韓非子に「危うきこと累卵のごとし」とある。「累卵」は積まれた卵で、大国に挟まれた小国は危ういの意。しかし、卵は握力の強い人でも指で割ることは難しく、孵化する雛が内側からつつくと簡単に割れる構造になっている。小国の危うさは大国の外圧ではなく、内からの崩壊ではないか。(ちなみに卵殻の研究は自動車の理想的なフロントガラス製造の研究に役立つという。)

「内なる人τὸν ἔσω ἄνθρωπον」は、「霊的生命、霊的人格」の意。「内なる人」が強ければ「外なる人」も強い。(エペソ3:16)

(心のデボーション3696)

心のデボーション3697

「四十年を歴て後シナイ山の荒野にて、御使、柴の焔のなかに現れたれば、」 使徒7:30  大正文語訳聖書

「四十年たった時、シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。」 口語訳聖書

 「枯らした金属」

精密機械は数年使ってみると精度が怪しくなるのに、その会社で作られる機械は狂いがこない。そこでわけを尋ねると、「特別のことをしていません。ただ、機械を作る材料に四、五年枯らした金属を使っています」という返事が返ってきたという。モーセは民を導く前に四十年をミデアンの荒野(ἔρημος)で過ごす。神はそこでモーセを「枯らした」のであろう。狂いのない正確な働きはそこからはじまる。(使徒7:30)

(心のデボーション3697)

心のデボーション3698

「白髮の人の前には起あがるべしまた老人の身を敬ひ汝の神を畏るべし我はヱホバなり」 レビ記19:32  明治元訳聖書

「あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」 口語訳聖書

 「安車蒲輪」

昔、中国では「安車蒲輪(あんしゃほりん)」という老人向けの車が作られたという。「安車」は座席のある車で、「蒲輪」は蒲の葉で車輪をつつみ振動を和らげる車である。老人(πολίος「白髮の人、尊敬すべき人)をいたわるの意に用いられる。今どきは、若者の乗った「安車蒲輪」を老人が引くのをよく見かけはしないか? (レビ19:32)

(心のデボーション3698)

心のデボーション3699

「誠に汝らに告ぐ、天地の過ぎ往かぬうちに、律法の一點、一畫も廢ることなく、ことごとく全うせらるべし」 マタイ5:18 大正文語訳聖書

「よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである」 口語訳聖書

「アーメン、わたしは言う」 塚本虎二訳 

 「アーメンたる者」

「はっきり言っておくἀμὴν γὰρ λέγω ὑμῖν」。「アーメン」はヘブル語 amen で「まことに、はっきりと、おごそかに」を意味し、祈り、讃美に「まことに」と同意を示す言葉。重要なことを強調して、相手の注意を喚起する時に用いられる。イエスは「アーメンたる者」と呼ばれる(黙示録3:13)。 

昔、日本の街頭で伝道すると、「アーメンが来た」と言われた。「アーメン」は「はっきり言う」の意味があり、クリスチャンとは「はっきりもの言う」者である。言うべき言葉を持つのは祝福だが、言うべきでないことをはっきりいうこととは区別したい。

(心のデボーション3699)

心のデボーション3700

「また彼等とともに集りゐて命じたまふ『エルサレムを離れずして、我より聞きし父の約束を待て。』」 使徒1:4  大正文語訳聖書

「そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。」 口語訳聖書

 「塩を共に食する」

ギリシャ語συναλίζομαιには「食事を共にしているとき」(口語訳聖書)と「いっしょにいるとき」(新改訳聖書)の二つの訳がある。前者はσυναλίζομαιの語根をἅλας(塩)と同じ語として「共に塩を食する」から「食事を共にする」の意味ととる。F・Fブルースは脚注に後者の「一緒にいる」を不適当として、「共にとどまる」とする。(F・Fブルース「使徒行伝」脚注) 弟子たちが共にとどまり、塩を共に食している(一緒に食事をしている)時に復活の主は「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。」と言われたのであろう。(使徒1:4)

(心のデボーション3700)

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