心のデボーション3681
「すなはち智慧なんぢの心にいり 知識なんぢの霊魂に樂しからん」 箴言2:10 明治元訳聖書
「これは知恵が、あなたの心にはいり、知識があなたの魂に楽しみとなるからである。」 口語訳聖書
「魂の楽しみ」
智慧が心にはいると「魂נֶפֶשׁ(ephesh)」が喜ぶ。「魂נֶפֶשׁ(ephesh)」は「魂、自己、命」である。LXXψυχήは「息、魂、霊魂、いのち」であり、人間の感情・意志・知性の根源としての精神、自我、自己、思い、心をあらわす。(箴言2:10)魂のよころぶ知恵と知識は主から来る。(箴言2:6)
(心のデボーション3681)
心のデボーション3682
「またヘルモンの露くだりてシオンの山にながるるがごとし そはヱホバかしこに福祉をくだし窮なき生命をさへあたへたまへり」 詩篇133:3 明治元訳聖書
「またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。」 口語訳聖書
「ヘルモンの露」
ヘルモンはパレスチナの山の最高峰で、その頂は雪で白く覆われ消えることがない。ヘルモンにおりる露はどこよりも「重く」、しっとりと地をうるおす。詩人はシオンの山々におりる露は、ヘルモンの露のようだと歌う。シオンは神のみ住まいとして神殿が建てられた山である。(詩篇133:3) 「シオンצִּיוֹן」の語源は「荒地、乾燥地」である。LXXはΣιών。荒れ果てて乾く心に、しっとりと重い恵みの露はおり、いのちに生気を与える。
(心のデボーション3682)
心のデボーション3683
「もし知識を呼求め聰明をえんと汝の聲をあげ」 箴言2:3 明治元訳聖書
「しかも、もし知識を呼び求め、悟りを得ようと、あなたの声をあげ、」 口語訳聖書
「声を上げる」
もし、知恵を得んとするなら黙っていてはいけない。「声をあげקְרָא」なければならない。(箴言2:3)「声をあげקְרָא」は「呼ぶ、叫ぶ、読む」の意である。坐していてはいけない。地を行き廻り、呼び、叫び、そして読め。LXXτῇ συνέσει δῷς φωνήν σου τὴν δὲ αἴσθησιν ζητήσῃς μεγάλῃ τῇ φωνῇ (悟りを得る為に、大きな声を上げなければならない)
(心のデボーション3683)
心のデボーション3684
「一切のこと愛をもて行へ」 Ⅰコリント16:14 大正文語訳聖書
「いっさいのことを、愛をもって行いなさい。」 口語訳聖書
「グロー・アパート」
若い夫婦が成長して、互いの意見の違いに気づき、離婚したりするのをグロー・アパートというそうです。しかし、離婚に向かうアパート「離反」は本当のグロー「成長」だろうか? 互いの違いが明らかになったところで、もう一度、新たに結び合うことができれば、グロー・アパートは再びグローに向かう。違いがわかっても、相手を変えようと思わないほどに、その存在を認めることができるようになれば、それこそ本当のグローである。
(心のデボーション3684)
心のデボーション3685
「みよ我はヱホバなりすべて血氣ある者の神なり我に爲す能はざるところあらんや」 エレミヤ32:27 明治元訳聖書
「見よ、わたしは主である、すべて命ある者の神である。わたしにできない事があろうか」
「すべての肉なるものの神」
神は「すべて命ある者の神である。הנֵּה אֲנִי יְהוָה אֱלהֵי כָּל־בָּשָׂר ἐγὼ κύριος ὁ θεὸς πάσης σαρκός」。(エレミヤ32:27)
「命ある者בָּשָׂר」は「肉、血縁、人類」の意。LXXσάρξは「肉、身体、人間」の意である。神はすべての弱き者の神、主である。神に為し得ないことがあろうか? (エレミヤ32:27)
(心のデボーション3685)
心のデボーション3686
「目を擧て見たるに視よ三人の人其前に立り彼見て天幕の入口より趨(はし)り行て之を迎へ」 創世記18:2 明治元訳聖書
「目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼はこれを見て、天幕の入口から走って行って彼らを迎え、地に身をかがめて、」 口語訳聖書
「握髪吐哺」
「握髪吐哺(あくはつとほ)」という。「握髪」は髪を握る、「吐哺」は口に含むものを吐き出すの意。周公は賢者の訪問を受けると髪を洗っているときは髪を手に握ったまま、食事の途中では口に入れたものを吐き出して出迎えたという故事からきて、賢者に会っては待たすことなく、すぐに出迎えねばならぬ。失った機会は二度と取り戻せない。アブラハムはかくのごとく「出迎えるσυνάντεησις(遭遇、出会い、邂逅)人」であった。(創世18:2)
(心のデボーション3686)
心のデボーション3687
「なんぢ生命の道をわれに示したまはん なんぢの前には充足るよろこびあり なんぢの右にはもろもろの快樂とこしへにあり」 詩篇16:11 明治元訳聖書
「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。」 口語訳聖書
「いのちの道」
変化にはどうしても身構えてしまう。この先どうなるかわからないという不安が心をおびえさせる。しかし、いのちには変化に耐える力がある。もう変化しないという状況に死がおとずれるのである。「いのち道」をゆく人は変化を恐れない。なぜなら、内なるいのちは未知のものの中に「喜びと楽しみτερπνότης(喜ばしい、愉快な、嬉しさ)」のあることを知っていて、変化に新しい可能性を見いだすからである。生きることは変化することである。(詩篇16:11)
(心のデボーション3687)
心のデボーション3688
「汝の後の日に望あり兒子等その境に歸らんとヱホバいひたまふ」 エレミヤ31:17 明治元訳聖書
「あなたの将来には希望があり、あなたの子供たちは自分の国に帰ってくると主は言われる。」 口語訳聖書
「希望」
「主を畏れる人々よ、幸福を望み、永遠の喜びと慈しみを望め。主の報いは喜びを伴う永遠の賜物である。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵2:9 フランシスコ会訳聖書) 主を畏れる人はいかなる状況にあっても「喜び」を失わない。「永遠の喜びと慈しみεὐφροσύνην αἰῶνος καὶ ἔλεος」に希望を置く(ἐλπίζω)からである。その報いは「喜びを伴う永遠の賜物」である。(エレミヤ31:17)
(心のデボーション3688)
心のデボーション3689
「われ律法また預言者を毀つために來れりと思ふな。毀たんとて來らず、反つて成就せん爲なり」 マタイ5:17
大正文語訳聖書
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」 新共同訳聖書
「分解、分析」
「毀つκαταλύω」は「κατά 分解+λύω解く」で、「こわす、破壊する、実を結ばなくする、空しくする」こと。
子どもの頃、古い時計をバラすのは面白かった。しかし、元に戻すことが出来たためしはない。時計を分解したのではなく「壊した」のである。元に戻せないような分解、分析は本物ではない。
(心のデボーション3689)
心のデボーション3690
「御前にて潔く瑕なからしめん爲に、世の創の前より我等をキリストの中に選び、」 エペソ1:4 大正文語訳聖書
「みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、」 口語訳聖書
「選び」
「天地の造られる前から」を新改訳聖書は「世界の基の置かれる前から」と訳す。神は人を世界の基の置かれる前から、キリストの内に選ばれた(ἐκλέγω「引き抜く、選び出す」)。(エペソ1:4) 「基を置く」は「下へ置く、(種を)蒔く」の意。人は世界に種が蒔かれ、事が生じる前に、神のうちに選ばれ、存在し、「きよく傷のない者となるように」、時を得て地に生を受ける。
(心のデボーション3690)
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