心のデボーション3661
「なんぢ御言を宣傳へよ、機を得るも機を得ざるも常に勵め、寛容と教誨とを盡して責め、戒め、勸めよ」 Ⅱテモテ4:2 大正文語訳聖書
「 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい」 口語訳聖書
「時が良くても悪くても」
時が「良くてもεὐκαίρως(うまいぐわい、都合がよい)」ても、「悪くἀκαίρως(機会がない、時が悪い)」ても、御言葉を宣べ伝えよ。(Ⅱテモテ4:2) εὐκαίρωςは「εὖよい+καιρός時」で、「時期を得た」の意。ἀκαίρωςは「ἀ否定+καιρός時」で、「時期を得ない」の意。英語訳 be instant in season, out of season(King James Version)である。時の中にいても(時に恵まれ、時の波に乗って、万事が都合よくゆく時も)、時の外に置かれても(時に外され、時に見放され、万事が行き詰まるような時)でも常に励め。
(心のデボーション3661)
心のデボーション3662
「我この書を汝らに贈るは、汝ら眞理を知らぬ故にあらず、眞理を知り、かつ凡ての虚僞の眞理より出でぬことを知るに因る」 Ⅰヨハネ2:21 大正文語訳聖書
「わたしが書きおくったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、また、すべての偽りは真理から出るものでないことを、知っているからである。」 口語訳聖書
「うその仮面」
子どもは時々、大人が感心するほどのうそをつく。本当のことをいうといい子と思ってもらえなくなるという恐怖心が子どもにうそをつかせ、それが子どもにうその仮面をかぶらせるという悪循環になる。子どもが本当のことを打ち明けるには、その方がうそをつくよりずっと良いことだと気づく必要がある。うそをついてもばれなければいいという、ずるさを教えているのは大人ではないか。
「すべての偽りπᾶν ψεῦδος(うそ、不真実、偽り)」は「真理(ἀλήθεια真理、誠実、事実、現実)から出るものでない」(Ⅰヨハネ2:21)
(心のデボーション3662)
心のデボーション3663
「讃むべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神、かれはキリストに由りて靈のもろもろの祝福をもて天の處にて我らを祝し、」 エペソ1:3 大正文語訳聖書
「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、」 口語訳聖書
「天にある霊のもろもろの祝福」
「天上ἐπουράνιος(天の、天にある)」は神のまします所であり、神のまします所は「天」である。神のましますところにキリストもいまし、人間を人間たらしめる営みがある。(エペソ1:3)
(心のデボーション3663)
心のデボーション3664
「ヱホバよねがはくはわが口に門守をおきて わがくちびるの戸をまもりたまへ」 詩篇141:3 明治元訳聖書
「主よ、わが口に門守を置いて、わがくちびるの戸を守ってください。」 口語訳聖書
「点火の詩篇」
人々は夕方になると集まり、ともし火を点火するとき詩篇141篇を唱えた。そこでこの詩篇は「点火の詩篇」と呼ばる。この時刻に、夜廻りは城壁に立ち、町を見張った。人々はそれを思いながら、口に見張り(門守φυλακή
「見張り、番人、監視人」)をおき、ことばを守ってくれるようにと祈ったのである。昼間語った言葉を夜ふりかえるとき、内にもう一つのともし火が点火される。いのちの火がともされるのである。(詩篇141:3)
(心のデボーション3664)
心のデボーション3665
「戸の蝶鉸によりて轉るごとく惰者はその牀に輾轉す」 箴言26:14 明治元訳聖書
「戸がちょうつがいによって回るように、なまけ者はその寝床で寝返りをする。」 口語訳聖書
「寝返り」
戸は蝶番を軸にバタンバタンと開いたり閉じたりしするだけだ。愚か者は狭い寝床でバタンバタンと寝返りを打ち、ため息をつくばかりで、一向に外に出ていこうとはしない。愚か者は怠け者(ῥακά)なのだ。(箴言26:14)
(心のデボーション3665)
心のデボーション3666
「ねがはくは汝われをかくして惡をなすものの陰かなる謀略よりまぬかれしめ不義をおこなふものの喧嘩よりまぬかれしめ給へ」 詩篇64:2 明治元訳聖書
「わたしを隠して、悪を行う者の/ひそかなはかりごとから免れさせ、不義を行う者のはかりごとから免れさせてください。」 口語訳聖書
「神のシェルター」
「わたしを隠してLXXσκεπάζω」は「覆う、保護する」で英訳はshelterである。「わたしをあんたのシェルターに隠してください」と祈る。(詩篇64:2)
(心のデボーション3666)
心のデボーション3667
「これ體のうちに分爭なく、肢々一致して互に相顧みんためなり」 Ⅰコリント12:25 大正文語訳聖書
「それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。」 口語訳聖書
「いたわり」
たいていの夫は、妻が自分のことで「思いわずらう」のをうるさく感じる。聖書で「いたわりμεριμνάω」は「思いわずらい」と同じ一つのことばである。夫と妻が「一つ体」であるがゆえの、痛みである。妻の「思いわずらい」が、自分への「いたわり」なのだと知れば話は別になる。この人と「思いわずらい」を共有しようという気持ちになる。しかし、あれは本当にいたわりなのだろうか。(Ⅰコリント12:25)
(心のデボーション3667)
心のデボーション3668
「アハジアもまたアハブの家の道に歩めり其母かれを敎へて惡をなさしめたるなり」 Ⅱ歴代誌22:3
「アハジヤもまたアハブの家の道に歩んだ。その母が彼の相談相手となって悪を行わせたからである。」 口語訳聖書
「悪しきカウンセラー」
ユダの王ヨラムの子アハズヤはユダの王となったが、母アタルヤの助言(σύμβουλος)を受けて父ヨラムの悪政を継承した。アハズヤがユダの王に即位したのは、彼が43歳になった時であったが、依然として母の支配下にあって、その影響力を排除することができなかった。σύμβουλοςは「忠告者、助言者、相談相手」であり英語counsellorである。(Ⅱ歴代誌22:3)
(心のデボーション3668)
心のデボーション3669
「われ律法また預言者を毀つために來れりと思ふな。毀たんとて來らず、反つて成就せん爲なり」 マタイ5:17 大正文語訳聖書
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」 新共同訳聖書
「毀つ」
「廃するκαταλύω」を大正文語訳聖書は「毀つ」と訳す。「毀つ」は土器などを穴をあけて壊すこと。「廃する」は家を倒壊させることである。ともに一度壊したら元には戻らない。イエスは「毀つ、廃する」ために来られたのではない。完成するために来られた。完成を妨げるものは退けなければならない。(マタイ5:17)
(心のデボーション3669)
心のデボーション3670
「また恩惠をもて年の冕弁としたまへり なんぢの途には膏したたれり」 詩篇65:11 明治元訳聖書
「またその恵みをもって年の冠とされる。あなたの道にはあぶらがしたたる。」 口語訳聖書
「脇見すな」
「主を畏れる人々よ、主の慈しみを待ち望め。道をそれるな。倒れるかもしれないから。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵2:7 フランシスコ会訳聖書)「道をそれるな」を日本聖公会訳聖書は「脇見すな」と訳す。「道をそれるなἐκκρίνω」は「捩じ曲げる、外れる、それる」の意。脇見して道を外れるな。倒れるかもしれない。
(心のデボーション3670)
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