心のデボーション366

デボーション1
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
Filter by Categories

心のデボーション3651

「讃むべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神、かれはキリストに由りて靈のもろもろの祝福をもて天の處にて我らを祝し、」 エペソ1:3 大正文語訳聖書

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、」 口語訳聖書

 「霊のもろもろの祝福をもて」

「霊πνεῦμα」は人間をして人間たらしめるものの座である。「霊的祝福ἐν πάσῃ εὐλογίᾳ πνευματικῇ」とは、あらゆる変化に対して人間を人間たらしめるいのちの働きの現れである。(エペソ1:3)

(心のデボーション3651)

心のデボーション3652

「死よ、なんぢの勝は何處にかある。死よ、なんぢの刺は何處にかある」 Ⅰコリント15:55  大正文語訳聖書

「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」 口語訳聖書

 「ほほえみ」

長年、多くの人を看取ってきた医師が、「死の床にある人は一瞬、ほほえみをみせることがある」と語っている。もう、家族の呼びかけにも応えることがなくなったのに、おだやかな笑顔をうかべるのだそうである。よほど、うれしいものを見ているのではないだろうか。死の床にもほほえむことができるのなら、その日のために、とっておきのほほえみを残しておきたいと思う。今よりずっといい顔であるに違いない。

(心のデボーション3652)

心のデボーション3653

「また朝には「そら赤くして曇る故に、今日は風雨ならん」と言ふ。なんぢら空の氣色を見分くることを知りて、時の徴を見分くること能はぬか。」 マタイ16:3  大正文語訳聖書

「また明け方には『空が曇ってまっかだから、きょうは荒れだ』と言う。あなたがたは空の模様を見分けることを知りながら、時のしるしを見分けることができないのか。」 口語訳聖書

 「見分ける能力」

「見分けるδιακρίνω」は「分離する、分解する、評価する」の意。知恵の始めは「物事を見分ける」ことである。新生児はまもなく母親とそうではない者を見分けるようになる。見分ける能力の獲得がその後の生存に欠くのことできない能力となる。「見分けるδιακρίνω」には「疑う」の意もあり、見分けるには疑うことから始まる。(マタイ16:3)

(心のデボーション3653)

心のデボーション3654

「また不法みつるに因て多の人の愛情ひややかに爲べし」 マタイ24:12  大正文語訳聖書

「また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。」 口語訳聖書

 「愛の冷え」

愛が「冷たくなるψύχω」は、「吹いて冷たくする」という意味である。たとえ、氷の中に入れても愛は冷えはしない。しかし、冷たい息のひと吹きで、愛は簡単に冷えてしまう。そのときは、冷えた体を抱きしめるしかない。      冷えた心をまるごと抱くのである。そうやって、自分を抱きしめても「冷え」は心のどこかに残るだろう。ただ、それが愛の一部に変わっていくような気がするのである。(マタイ24:12)

(心のデボーション3654)

心のデボーション3655

「汝おのれの目に自らを智慧ある者とする人を見るか 彼よりも却て愚なる人に望あり」 箴言26:12  明治元訳聖書

「自分の目に自らを知恵ある者とする人を、あなたは見るか、彼よりもかえって愚かな人に望みがある。」 口語訳聖書

 「自ら知恵ありとする者」

自らを知恵ある者とする者よりも、自らを「愚か者」と認識する人の方に望みがある。彼は決して「愚か者」ではない。

「なまけ者は自分の目に、良く答えることのできる七人の者よりも、自らを知恵ありとする。」(箴言26:16)

(心のデボーション3655)

心のデボーション3656

「直き者のために暗きなかにも光あらはる 彼は惠ゆたかに憐憫にみつる義しきものなり」 詩篇112:4  明治元訳聖書

「光は正しい者のために暗黒の中にもあらわれる。主は恵み深く、あわれみに満ち、正しくいらせられる。」 口語訳聖書

 「光」

正しくあれば、「暗きなかにも光あらはるἐξανέτειλεν ἐν σκότει φῶς τοῖς εὐθέσινLXX詩篇111:4」(詩篇112:4)

「あらわれるἐξανατέλλω」は「芽を出す、飛び出る」の意。「暗黒σκότος」は道徳的、宗教的暗黒の意味にも使われる。正しい者のためには道徳的、宗教的暗黒の中にあっても、神の光は恵み深く照らされる。

(心のデボーション3656)

心のデボーション3657

「常に喜べ」 Ⅰテサロニケ5:16  大正文語訳聖書

「いつも喜んでいなさい。」 口語訳聖書

 「喜びのジェットコースター」

いつも喜ぶ者(χαίρω)でありたいと思う。しかし、喜び過ぎないように自分を守るのも大切ではないか。喜びにはジェットコースターのように人を急上昇させて有頂天にし、それから、些細なことで急降下させて谷底に突き落とす側面もある。信仰は「今」この時に神がなされることを感謝し喜ぶ。神のみ旨を越えて喜ことは、やがて、喜びそのものを人から奪い取る。(Ⅰテサロニケ5:16)

(心のデボーション3657)

心のデボーション3658

「惠をほどこし貸ことをなす者はさいはひなり かかる人は審判をうくるときおのが訴をささへうべし」 詩篇112:5  明治元訳聖書

「恵みを施し、貸すことをなし、その事を正しく行う人はさいわいである。」 口語訳聖書

 「恵みを施す」

「恵みを施し、貸すことをなし、正しく行う人」は幸いである。裁きのときに彼のことばは信頼を受ける。(詩篇112:5)「恵みを施しοἰκτείρω」は「憐れむ」の意。「あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。μακάριοι οἱ ἐλεήμονες, ὅτι αὐτοὶ ἐλεηθήσονται.」(マタイ5:7)

(心のデボーション3658)

心のデボーション3659

「われ律法また預言者を毀つために來れりと思ふな。毀たんとて來らず、反つて成就せん爲なり」 マタイ5:17 大正文語訳聖書

「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」 新共同訳聖書

 「廃止する」

「廃止する καταλύω」は「κατά  分解+λύω 解く」で「こわす、破壊する、実を結ばなくする、空しくする」こと。「破壊者」はものごとをバラバラに分解して実を結ばせまいとする。破壊からは破壊しか生まれない。ものごとは「満たされ、充填され、実現する」ことによって展開し、次を生む。 

(心のデボーション3691)

心のデボーション3660

「かれら言ふ『義人にして神を畏れ、ユダヤの國人の中に令聞ある百卒長コルネリオ、聖なる御使より、汝を家に招きて、その語ることを聽けとの告を受けたり』」 使徒10:22  大正文語訳聖書

「彼らは答えた、「正しい人で、神を敬い、ユダヤの全国民に好感を持たれている百卒長コルネリオが、あなたを家に招いてお話を伺うようにとのお告げを、聖なる御使から受けましたので、参りました」。」 口語訳聖書

 「百卒長コルネリオ」

コルネリオは「正しい人で、神を敬い、ユダヤの全国民に好感を持たれている百卒長」であった。(使徒10:22) 「好感を持たれているμαρτυρέω」は「よい証言を得ている、称賛される」の意で、明治元訳聖書は「ユダヤの國人の中に令聞(よき聞こえ)ある百卒長」と訳す。「令」は「清らかな言葉、よい評判」の意である。コルネリオは軍人であったが、神を畏れ、心根の清らかな人であった。(使徒10:22)

(心のデボーション3660)

コメント