心のデボーション0111
「アサはその治世の三十九年に足を病みその病患つひに劇しくなりしがその病患の時にもヱホバを求めずして醫師を求めたり」 Ⅱ歴代16:12 明治元訳聖書
「アサはその治世の三十九年に足を病み、その病は激しくなったが、その病の時にも、主を求めないで医者を求めた。」 口語訳聖書
「アサはその治世第三十九年に足の病にかかり、その病は極めて重かった。その病の中にあっても、彼は主を求めず、医者に頼った」 新共同訳聖書
וַיֶּחֱלֶ֣א אָסָ֡א בִּשְׁנַת֩ שְׁלוֹשִׁ֨ים וָתֵ֤שַׁע לְמַלְכוּתוֹ֙ בְּרַגְלָ֔יו עַד־לְמַ֖עְלָה חָלְי֑וֹ וְגַם־בְּחָלְיוֹ֙ לֹא־דָרַ֣שׁ אֶת־יְהוָ֔ה כִּ֖י בָּרֹפְאִֽים׃
καὶ ἐμαλακίσθη Ασα ἐν τῷ ἐνάτῳ καὶ τριακοστῷ ἔτει τῆς βασιλείας αὐτοῦ τοὺς πόδας ἕως σφόδρα ἐμαλακίσθη καὶ ἐν τῇ μαλακίᾳ αὐτοῦ οὐκ ἐζήτησεν κύριον ἀλλὰ τοὺς ἰατρούς LXXⅡ歴代16:12
「病と信仰」
アサ王(マタイ1:7)は、年老いて極めて重い足の病にかかった。しかし、彼は病の中にあっても主を求めず、医者に頼った。(Ⅱ歴代16:12)信仰者が病のときに医者を求めることには何の問題もない。しかし、アサ王は病の中に神を見出すことをせず、ひたすらに医者を求めた。患者も医師も、神不在のまま病に向かうことはできない。人が病の中で神を求めるのは癒しのためだけではない。
詩篇41:3
יְֽהוָ֗ה יִ֭סְעָדֶנּוּ עַל־עֶ֣רֶשׂ דְּוָ֑י כָּל־מִ֝שְׁכָּב֗וֹ הָפַ֥כְתָּ בְחָלְיֽוֹ׃
κύριος βοηθήσαι αὐτῷ ἐπὶ κλίνης ὀδύνης αὐτοῦ ὅλην τὴν κοίτην αὐτοῦ ἔστρεψας ἐν τῇ ἀρρωστίᾳ αὐτοῦ LXX詩篇40:4
口語訳聖書
主は彼をその病の床でささえられる。あなたは彼の病む時、その病をことごとくいやされる。
申命記7:15
וְהֵסִ֧יר יְהוָ֛ה מִמְּךָ֖ כָּל־חֹ֑לִי וְכָל־מַדְוֵי֩ מִצְרַ֨יִם הָרָעִ֜ים אֲשֶׁ֣ר יָדַ֗עְתָּ לֹ֤א יְשִׂימָם֙ בָּ֔ךְ וּנְתָנָ֖ם בְּכָל־שֹׂנְאֶֽיךָ׃
καὶ περιελεῖ κύριος ἀπὸ σοῦ πᾶσαν μαλακίαν καὶ πάσας νόσους Αἰγύπτου τὰς πονηράς ἃς ἑώρακας καὶ ὅσα ἔγνως οὐκ ἐπιθήσει ἐπὶ σὲ καὶ ἐπιθήσει αὐτὰ ἐπὶ πάντας τοὺς μισοῦντάς σεLXX申命記7:15
口語訳聖書
主はまたすべての病をあなたから取り去り、あなたの知っている、あのエジプトの悪疫にかからせず、ただあなたを憎むすべての者にそれを臨ませられるであろう。
心のデボーション0112
「今なんぢ我がなんぢとともに造りたりし河馬を視よ 是は牛のごとく草を食ふ」 ヨブ40:15 明治元訳聖書
「河馬を見よ、/これはあなたと同様にわたしが造ったもので、/牛のように草を食う。」 口語訳聖書
「見よ、ベヘモットを。お前を造ったわたしはこの獣をも造った。これは牛のように草を食べる」 新共同訳聖書
הִנֵּה־נָ֣א בְ֭הֵמוֹת אֲשֶׁר־עָשִׂ֣יתִי עִמָּ֑ךְ חָ֝צִ֗יר כַּבָּקָ֥ר יֹאכֵֽל׃
ἀλλὰ δὴ ἰδοὺ θηρία παρὰ σοί χόρτον ἴσα βουσὶν ἐσθίει LXXヨブ記40:15
「ベヒモス Behemoth」
「河馬」と訳されたヘブライ語は「tAmheB.べヒモス」で「動物、家畜、獣」の意味である。LXXθηρίονは「危険な動物、怪獣」の意。ベヒモス(ベヘモット)は神が創られた、尾は「杉の木」、骨は「青銅の管」、肋骨は「鉄の棒」の巨大で強力な生き物である。神はベヒモスについて、ヨブに「あなたと並べてわたしが造ったもの」と言われる。神のつくられたすべての生き物を見よ。大いなる「べヒモスBehemoth」も小なる「べヒモスBehemoth」もみな固有のものとして存在している。自分と「並べて造られたいのち」のすべてを見て、人は自らを誇れようか?
ヨブ40:12
רְאֵ֣ה כָל־גֵּ֭אֶה הַכְנִיעֵ֑הוּ וַהֲדֹ֖ךְ רְשָׁעִ֣ים תַּחְתָּֽם׃
ὑπερήφανον δὲ σβέσον σῆψον δὲ ἀσεβεῖς παραχρῆμα LXXヨブ40:12
明治元訳聖書
高ぶる者を視(み)とめて之をことごとく卑くせよ
心のデボーション0113
「いま暫くせば、 來るべき者きたらん、 遲からじ」 ヘブル10:37 大正文語訳聖書
「もうしばらくすれば、/きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。」 口語訳聖書
「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない」 新改訳聖書
ἔτι γὰρ μικρὸν ὅσον ὅσον, ὁ ἐρχόμενος ἥξει καὶ οὐ χρονίσει·
「來るべき者きたらんとき」
日本で最も古いミッションスクールであるフェリス女学院(1875年 創設者キダー Mary Eddy Kidder)は、関東大震災で校舎が崩壊した。第3代校長のミス・カイパー(Jennie M. Kuyper)は倒壊した校舎の下敷きになったが、助けようとする女性を危険だからと制止し、別辞を述べ、賛美歌476「ややにうつりきし」を歌いつつ、猛火に包まれて殉職した。
ややに移(うつ)りきし 夕日かげの
のこるわが生命(いのち) 今か消(き)ゆらん
みつかいよ、つばさをのべ
永遠(とこしえ)の故郷(ふるさと)へ みちびきゆけ
永遠(とこしえ)の故郷(ふるさと)へ みちびきゆけ
賛美歌476「ややにうつりきし」
「故郷πατρίς」は「父の土地」の意。へブル11:16に、神を信じる者が、「自分の故郷を求めて、地上に旅人(寄留者)」とするのは、「天の故郷」を求める信仰であり、神は彼らのために天に「都」を用意される。(へブル11:13-16)
へブル11:16
νῦν δὲ κρείττονος ὀρέγονται, τοῦτ᾽ ἔστιν ἐπουρανίου. διὸ οὐκ ἐπαισχύνεται αὐτοὺς ὁ θεὸς θεὸς ἐπικαλεῖσθαι αὐτῶν, ἡτοίμασεν γὰρ αὐτοῖς πόλιν.
口語訳聖書
しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。
心のデボーション0114
「只すこしく人を神よりも卑(ひくく)つくりて榮と尊貴とをかうぶらせ またこれに手のわざを治めしめ萬物をその足下におきたまへり」 詩篇8:6-7 明治元訳聖書
「ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせこれにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下におかれました。」 口語訳聖書
「神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせ、御手によって造れれたものをすべて治めるように、その足もとに置かれました」 新共同訳聖書
וַתְּחַסְּרֵ֣הוּ מְּ֭עַט מֵאֱלֹהִ֑ים וְכָב֖וֹד וְהָדָ֣ר תְּעַטְּרֵֽהוּ׃
תַּ֭מְשִׁילֵהוּ בְּמַעֲשֵׂ֣י יָדֶ֑יךָ כֹּ֝ל שַׁ֣תָּה תַֽחַת־רַגְלָֽיו׃
ἠλάττωσας αὐτὸν βραχύ τι παρ᾽ ἀγγέλους δόξῃ καὶ τιμῇ ἐστεφάνωσας αὐτόν καὶ κατέστησας αὐτὸν ἐπὶ τὰ ἔργα τῶν χειρῶν σου πάντα ὑπέταξας ὑποκάτω τῶν ποδῶν αὐτοῦ LXX詩篇8:6-7
「卑(ひく)き者」
信仰者は心の中を全部神で満たしてはいけない。それは天使であって人間ではない。神は、人を「神よりいくらか劣るもの」(新改訳聖書)と創られた。「神ではない」ところに人の「榮と尊貴」がある。
神は人を「少しく人を神よりも低く」創られ、「榮と尊貴とをかうぶらせ」た。(詩篇8:6)「低くἐλαττόω」は「より少なく、地位を低くする」の意。「低き」に「榮と尊貴」がある。
心のデボーション0115
「これ今よりのち、人の慾に從はず、神の御意に從ひて、肉體に寓れる殘の時を過さん爲なり」 Ⅰペテロ4:2 大正文語訳聖書
「それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。」 口語訳聖書
「こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです」 新改訳聖書
Ⅰペテロ4:2
εἰς τὸ μηκέτι ἀνθρώπων ἐπιθυμίαις ἀλλὰ θελήματι θεοῦ τὸν ἐπίλοιπον ἐν σαρκὶ βιῶσαι χρόνον.
「内なる他者」
自分の生涯は自分で評価しなければならない。人の内には自分を評価する「他者」がいる。両者が一致していないと正確な自己評価はできない。そのために両者は「評価」をめぐっていつも話し合う必要がある。
「地上に残された時」は少ない。自己と内なる他者の成熟した視線の先に「神のみこころのために過ごす日々」がある。
「地上に残された時ἐν σαρκὶ βιῶσαι χρόνον」は「肉体に残された時間」の意。地上に残された時間は肉体に宿っている。それがどの程度のものであっても「もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごし」たい。(Ⅰペテロ4:2)
詩篇143:10
לַמְּדֵ֤נִי׀ לַֽעֲשׂ֣וֹת רְצוֹנֶךָ֮ כִּֽי־אַתָּ֪ה אֱל֫וֹהָ֥י רוּחֲךָ֥ טוֹבָ֑ה תַּ֝נְחֵ֗נִי בְּאֶ֣רֶץ מִישֽׁוֹר׃
τῷ διδόντι τὴν σωτηρίαν τοῖς βασιλεῦσιν τῷ λυτρουμένῳ Δαυιδ τὸν δοῦλον αὐτοῦ ἐκ ῥομφαίας πονηρᾶς δίδαξόν με τοῦ ποιεῖν τὸ θέλημά σου ὅτι σὺ εἶ ὁ θεός μου τὸ πνεῦμά σου τὸ ἀγαθὸν ὁδηγήσει με ἐν γῇ εὐθείᾳ
口語訳聖書
あなたのみむねを行うことを教えてください。あなたはわが神です。恵みふかい、みたまをもって/わたしを平らかな道に導いてください。
心のデボーション0116
「父の我に賜ふものは皆われに來らん、我にきたる者は我これを退けず」 ヨハネ6:37 大正文語訳聖書
「父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。」 口語訳聖書
「父がわたしにお与えなる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません」 新改訳聖書
πᾶν ὃ δίδωσίν μοι ὁ πατὴρ πρὸς ἐμὲ ἥξει, καὶ τὸν ἐρχόμενον πρὸς ἐμὲ οὐ μὴ ἐκβάλω ἔξω,
「我にきたる者は我これを退けず」
私はイエスに尋ねた。「何故に、あなたは私を拒まれないのですか?」 するとイエスは答えられる。「あなたは父から私が賜ったゆえに、私に来たのではなかったか?」 そこで私は神に尋ねた。「何故に、あなたは私をイエスに賜ったのですか?」 すると神は答えられた。「イエスがあなたを拒まれないが故に」。
そこで、私はすべての出会いに、「父の我に賜ふものは皆われに來らん」「我にきたる者は我これを退けずτὸν ἐρχόμενον πρὸς ἐμὲ οὐ μὴ ἐκβάλω ἔξω」ということを学んだ。
「退けるἐκβάλλω」は「投げ捨てる、放り出す、見捨てる、拒絶する」の意。神は私を決して見捨て(拒絶し)給わない。
ヨシュア1:5
לֹֽא־יִתְיַצֵּ֥ב אִישׁ֙ לְפָנֶ֔יךָ כֹּ֖ל יְמֵ֣י חַיֶּ֑יךָ כַּֽאֲשֶׁ֨ר הָיִ֤יתִי עִם־מֹשֶׁה֙ אֶהְיֶ֣ה עִמָּ֔ךְ לֹ֥א אַרְפְּךָ֖ וְלֹ֥א אֶעֶזְבֶֽךָּ׃
οὐκ ἀντιστήσεται ἄνθρωπος κατενώπιον ὑμῶν πάσας τὰς ἡμέρας τῆς ζωῆς σου καὶ ὥσπερ ἤμην μετὰ Μωυσῆ οὕτως ἔσομαι καὶ μετὰ σοῦ καὶ οὐκ ἐγκαταλείψω σε οὐδὲ ὑπερόψομαί σε
口語訳聖書
あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨ることもしない。
心のデボーション0117
「人の途はおのれの目にことごとく潔しと見ゆ 惟(ただ)ヱホバ霊魂をはかりたまふ」 箴言16:2 明治元訳聖書
「人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、しかし主は人の魂をはかられる。」 口語訳聖書
「人間の道は自分の目に清く見えるが、主はその精神を調べられる」 新共同訳聖書
כָּֽל־דַּרְכֵי־אִ֭ישׁ זַ֣ךְ בְּעֵינָ֑יו וְתֹכֵ֖ן רוּחֹ֣ות יְהוָֽה׃
ἀκάθαρτος παρὰ θεῷ πᾶς ὑψηλοκάρδιος χειρὶ δὲ χεῖρας ἐμβαλὼν ἀδίκως οὐκ ἀθῳωθήσεται LXX箴言16:2
「魂の重さ」
人は「我ことごとく潔し」というが、「魂」は如何にしてそのように思い込むものなのか? 神はそのような「魂」の重さを量られる。
人は自らの魂を「重い」と感じて満足するが、神には羽毛のように「軽い」。しかし、人が自らの魂を「あまりに軽い」と失望するとき、神は金の塊のように「重く」量られる。(箴言16:2)
山上の垂訓「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。Μακάριοι οἱ πτωχοὶ τῷ πνεύματι, ὅτι αὐτῶν ἐστιν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν.」(マタイ3:3)の「こころの貧しい人たちοἱ πτωχοὶ τῷ πνεύματι」は「魂πνεῦμα」が「πτωχός絶望的に貧しい(軽い)者」である。
詩篇24:4
נְקִ֥י כַפַּ֗יִם וּֽבַר־לֵ֫בָ֥ב אֲשֶׁ֤ר׀ לֹא־נָשָׂ֣א לַשָּׁ֣וְא נַפְשִׁ֑י וְלֹ֖א נִשְׁבַּ֣ע לְמִרְמָֽה׃
ἀθῷος χερσὶν καὶ καθαρὸς τῇ καρδίᾳ ὃς οὐκ ἔλαβεν ἐπὶ ματαίῳ τὴν ψυχὴν αὐτοῦ καὶ οὐκ ὤμοσεν ἐπὶ δόλῳ τῷ πλησίον αὐτοῦ
口語訳聖書
手が清く、心のいさぎよい者、その魂がむなしい事に望みをかけない者、偽って誓わない者こそ、その人である。
詩篇103:1
לְדָוִ֙ד׀ בָּרֲכִ֣י נַ֭פְשִׁי אֶת־יְהוָ֑ה וְכָל־קְ֝רָבַ֗י אֶת־שֵׁ֥ם קָדְשֽׁוֹ׃
τῷ Δαυιδ εὐλόγει ἡ ψυχή μου τὸν κύριον καί πάντα τὰ ἐντός μου τὸ ὄνομα τὸ ἅγιον αὐτοῦ
口語訳聖書
わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。
心のデボーション0118
「是は猜疑(うたがひ)の禮物(そなえもの)記念(おぼえ)の禮物(そなえもの)にして罪を誌(おぼ)えしむる者なればなり」 民数記5:15 明治元訳聖書
「夫は妻を祭司のもとに伴い、彼女のために大麦の粉一エパの十分の一を供え物として携えてこなければならない。ただし、その上に油を注いではならない。また乳香を加えてはならない。これは疑いの供え物、覚えの供え物であって罪を覚えさせるものだからである。
「これは嫉妬した場合の献げ物、すなわち罪の判定のための献げ物である」 新共同訳聖書
וְהֵבִ֨יא הָאִ֣ישׁ אֶת־אִשְׁתּוֹ֮ אֶל־הַכֹּהֵן֒ וְהֵבִ֤יא אֶת־קָרְבָּנָהּ֙ עָלֶ֔יהָ עֲשִׂירִ֥ת הָאֵיפָ֖ה קֶ֣מַח שְׂעֹרִ֑ים לֹֽא־יִצֹ֨ק עָלָ֜יו שֶׁ֗מֶן וְלֹֽא־יִתֵּ֤ן עָלָיו֙ לְבֹנָ֔ה כִּֽי־מִנְחַ֤ת קְנָאֹת֙ ה֔וּא מִנְחַ֥ת זִכָּר֖וֹן מַזְכֶּ֥רֶת עָוֹֽן׃
καὶ ἄξει ὁ ἄνθρωπος τὴν γυναῖκα αὐτοῦ πρὸς τὸν ἱερέα καὶ προσοίσει τὸ δῶρον περὶ αὐτῆς τὸ δέκατον τοῦ οιφι ἄλευρον κρίθινον οὐκ ἐπιχεεῖ ἐπ᾽ αὐτὸ ἔλαιον οὐδὲ ἐπιθήσει ἐπ᾽ αὐτὸ λίβανον ἔστιν γὰρ θυσία ζηλοτυπίας θυσία μνημοσύνου ἀναμιμνήσκουσα ἁμαρτίαν
「濡れ衣」
あらぬ疑いをかけられ、「濡れ衣」を着せられるのはたまらない。何故「濡れ衣」というのか諸説あるが、その一つは、疑わしい人に「濡れた衣」を着せて、いつまでもかわかなければ有罪、早くかわけば無罪とされたところから来たというもので、衣をわずかに濡らして誤魔化す者もあったという。
べっとりと肌にはりつく気持ち悪さに、一刻も早くぬいでしまいたい「衣」である。一旦着せられると、めったなことではかわかない。
申命記には、「あらぬ疑い」が生じた時、それを神に持って行き、大麦の粉を「猜疑(うたがひ)の禮物(θυσία ζηλοτυπίας(嫉妬の生贄)」としてささげることが定められている。(民数記15:5)「あらぬ疑い」を「記念(おぼえ)」として正しく裁かれる神にささげよ。
へブル10:22
προσερχώμεθα μετὰ ἀληθινῆς καρδίας ἐν πληροφορίᾳ πίστεως, ῥεραντισμένοι τὰς καρδίας ἀπὸ συνειδήσεως πονηρᾶς καὶ λελουσμένοι τὸ σῶμα ὕδατι καθαρῶ·
口語訳聖書
心はすすがれて良心のとがめを去り、からだは清い水で洗われ、まごころをもって信仰の確信に満たされつつ、みまえに近づこうではないか。
心のデボーション0119
「我わが契約を我と汝および汝の後の世々の子孫との間に立て永久の契約となし汝および汝の後の子孫の神となるべし」 創世記17:7 明治元訳聖書
「わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう。」 口語訳聖書
「わたしは、お前との間に、またお前の跡に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする」 新共同訳聖書
וַהֲקִמֹתִ֨י אֶת־בְּרִיתִ֜י בֵּינִ֣י וּבֵינֶ֗ךָ וּבֵ֨ין זַרְעֲךָ֧ אַחֲרֶ֛יךָ לְדֹרֹתָ֖ם לִבְרִ֣ית עֹולָ֑ם לִהְיֹ֤ות לְךָ֙ לֵֽאלֹהִ֔ים וּֽלְזַרְעֲךָ֖ אַחֲרֶֽיךָ׃
καὶ στήσω τὴν διαθήκην μου ἀνὰ μέσον ἐμοῦ καὶ ἀνὰ μέσον σοῦ καὶ ἀνὰ μέσον τοῦ σπέρματός σου μετὰ σὲ εἰς γενεὰς αὐτῶν εἰς διαθήκην αἰώνιον εἶναί σου θεὸς καὶ τοῦ σπέρματός σου μετὰ σέ
「後の子孫」
神はアブラハムに「我は汝の神となるべし」と現われ、「汝の後の子孫(τοῦ σπέρματός σου)の神となるべし」と約束された。(創世記17:7) 私と共なる神は、今この時「私の後の子孫の神」として身を現し給う。
そこで私は今日の老いた自分にやがて生まれる「後の子孫」が宿り在るのを知ったのである。
私の「後の子孫」よ、健やかであれ。
「後の子孫」とは「信仰による霊的な子孫」である。
ロマ4:16
διὰ τοῦτο ἐκ πίστεως, ἵνα κατὰ χάριν, εἰς τὸ εἶναι βεβαίαν τὴν ἐπαγγελίαν παντὶ τῶ σπέρματι, οὐ τῶ ἐκ τοῦ νόμου μόνον ἀλλὰ καὶ τῶ ἐκ πίστεως ἀβραάμ ὅς ἐστιν πατὴρ πάντων ἡμῶν,
口語訳聖書
このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、
心のデボーション0120
「汝何故に預言してヱホバかく云たまふといふや」 エレミヤ32:3 明治元訳聖書
「ユダの王ゼデキヤが彼を閉じ込めたのであるが、王は言った、「なぜあなたは預言して言うのか、『主はこう仰せられる、見よ、わたしはこの町をバビロンの王の手に渡し、彼はこれを取る。』」 口語訳聖書
「なぜ、お前はこんなことを預言するのか」 新共同訳聖書
אֲשֶׁ֣ר כְּלָא֔וֹ צִדְקִיָּ֥הוּ מֶֽלֶךְ־יְהוּדָ֖ה לֵאמֹ֑ר מַדּוּעַ֩ אַתָּ֨ה נִבָּ֜א לֵאמֹ֗ר כֹּ֚ה אָמַ֣ר יְהוָ֔ה הִנְנִ֨י נֹתֵ֜ן אֶת־הָעִ֥יר הַזֹּ֛את בְּיַ֥ד מֶֽלֶךְ־בָּבֶ֖ל וּלְכָדָֽהּ׃
ἐν ἧ κατέκλεισεν αὐτὸν ὁ βασιλεὺς Σεδεκιας λέγων διὰ τί σὺ προφητεύεις λέγων οὕτως εἶπεν κύριος ἰδοὺ ἐγὼ δίδωμι τὴν πόλιν ταύτην ἐν χερσὶν βασιλέως Βαβυλῶνος καὶ λήμψεται αὐτήν
「カッサンドラーの予言」
トロイの女王カッサンドラーは、ある日、予言する能力を与えられた。しかし、彼女が約束を守らなかったので、誰ひとり、その予言を信じなくされてしまう。「カッサンドラーの予言」はいつでも正しい、しかし、誰からも信じられない。誰も彼女のことばを信じなくても、その予言は実現する。
罰を与えられたのはカッサンドラーだろうか? それとも、ことばを信じられなくされている人間だろうか?
「預言προφητεύω」は「あらかじめ言う、予告」の意で、神の口から出た言葉は、果されることなく神の口に戻ることはない。
イザヤ55:11
כֵּ֣ן יִֽהְיֶ֤ה דְבָרִי֙ אֲשֶׁ֣ר יֵצֵ֣א מִפִּ֔י לֹֽא־יָשׁ֥וּב אֵלַ֖י רֵיקָ֑ם כִּ֤י אִם־עָשָׂה֙ אֶת־אֲשֶׁ֣ר חָפַ֔צְתִּי וְהִצְלִ֖יחַ אֲשֶׁ֥ר שְׁלַחְתִּֽיו׃
οὕτως ἔσται τὸ ῥῆμά μου ὃ ἐὰν ἐξέλθῃ ἐκ τοῦ στόματός μου οὐ μὴ ἀποστραφῇ ἕως ἂν συντελεσθῇ ὅσα ἠθέλησα καὶ εὐοδώσω τὰς ὁδούς σου καὶ τὰ ἐντάλματά μου
口語訳聖書
このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。
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