心のデボーション362

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心のデボーション3611

「神いひ給はく、末の世に至りて、 我が靈を凡ての人に注がん。 汝らの子女は預言し、 汝らの若者は幻影を見、 なんぢらの老人は夢を見るべし」 使徒2:17  大正文語訳聖書

「神がこう仰せになる。終りの時には、/わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、/若者たちは幻を見、/老人たちは夢を見るであろう。」 口語訳聖書

 「老人は夢をみる」

「あなたがたのむすこ娘は預言をし、/若者たちは幻を見、/老人たちは夢を見るであろう」(使徒2:17)

娘は「預言しπροφητεύω」、若者は「幻を見るὅρασις」。ὅρασιςは「幻、預言」の意である。老人が見る「夢ἐνύπνιον」は「夢にみる幻(預言)」の意である。人生の危機に、荒野で夢に神の幻をみたヤコブのように、老人は深く神の言葉を聞く者である。

(心のデボーション3611)

心のデボーション3612

「神は傷け又裹み 撃ていため又その手をもて善醫したまふ」 ヨブ5:18  明治元訳聖書

「彼は傷つけ、また包み、/撃ち、またその手をもっていやされる。」 口語訳聖書

 「あたたかく突き放す」

河合隼雄氏は、人に対して「あたたかく抱きしめる」ことが必ずしも一番よい方法とは限らないという。では「冷たく突き放す」のがいいかといえば、そうでもない。あたたかいか、冷たいかのどちらか一方でというのが問題で、「冷たく抱きしめたり、あたたかく突き放したり」が大切だというのである。神が「傷つけるが、それを包み」、「打ち砕くが、その手でいやしてくださる」というのはそれに似ているかもしれない。

(心のデボーション3612)

心のデボーション3613

「愛を追求むる者は人の過失をおほふ 人の事を言ひふるる者は朋友をあひ離れしむ」 箴言17:9  明治元訳聖書

「愛を追い求める人は人のあやまちをゆるす、人のことを言いふらす者は友を離れさせる。」 口語訳聖書

 「愛を追い求める」

人の過ちを赦さないなら、神は私の過ちを赦されない。人の過ちを赦せないのは、過ちが赦せないのではなく、その人を赦せないからではないか。まず、人を愛せよ。愛することができれば、すでにその人を赦し、過ちを赦している。

(心のデボーション3613)

心のデボーション3614

「夫たる者よ、キリストの教會を愛し、之がために己を捨て給ひしごとく、汝らも妻を愛せよ。」 エペソ5:25  大正文語訳聖書

「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。」 口語訳聖書

 「夫婦の幸せ」

「何もしてくれなくても、あなたがいてくれるだけで私は幸せ」、妻にそういわれると悪い気はしない。しかし、すぐに「あなたが何かすると私は不安なの」といわれたような気もしてくる。そう感じるのは私も「何もいわなくても、お前がいてくれるだけで僕は幸せ」と妻にいうことがあるからかもしれない。何をはじめるかわからない夫と、一言多い妻、その部分があって、二人は幸せなのである。そうでしょう?

(心のデボーション3614)

心のデボーション3615

「己の御子を惜まずして我ら衆のために付し給ひし者は、などか之にそへて萬物を我らに賜はざらんや。」 ロマ8:32  大正文語訳聖書

「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。」 口語訳聖書

 「御子のみならず万物をも」

神は世界にたった一人しか存在しないかのように、「私」をご覧になり、「御子のみならず万物をも賜わらないことがあろうかπῶς οὐχὶ καὶ σὺν αὐτῶ τὰ πάντα ἡμῖν χαρίσεται;」と言われる。「賜るχαρίζομαι」は「慈悲深い、恩寵」である。(ロマ8:32)

(心のデボーション3615)

心のデボーション3616

「また神の榮光の勢威に隨ひて賜ふもろもろの力によりて強くなり、凡ての事よろこびて忍び、かつ耐へ、」 コロサイ1:11  大正文語訳聖書

「更にまた祈るのは、あなたがたが、神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、」 口語訳聖書

 「我慢せよ」

「身にふりかかるすべてのことを甘んじて受けよ。屈辱を受けることさえ、耐え忍べ。ὅτι ἐν πυρὶ δοκιμάζεται χρυσὸς καὶ ἄνθρωποι δεκτοὶ ἐν καμίνῳ ταπεινώσεως.」。(旧約聖書外典ベン=シラの知恵2:4  フランシスコ会訳聖書)「身にふりかかるἐπάγω」は「自分の身の上にもたららされる災い」、「屈辱ταπείνωσις」は「卑しめられること」の意。ふりかかる、災いや屈辱をさえ耐え忍べ。「耐え忍ぶμακροθυμέω」は「忍耐強く待つ、耐え忍ぶ、ほっておく」の意である。聖書協会共同訳聖書「辛抱せよ」、新共同訳聖書「我慢せよ」と訳す。「我慢」は「神に、ほっておく」である。(コロサイ1:11)

(心のデボーション3616)

心のデボーション3617

「心のうちの隱れたる人、すなはち柔和、恬靜なる靈の朽ちぬ物を飾とすべし、是こそは神の前にて價貴きものなれ。」 Ⅰペテロ3:4  大正文語訳聖書

「かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。」 口語訳聖書

 「値踏みを変える」

「かくれた内なる人κρυπτός」とは「柔和で穏やかな霊という朽ちることのないも(ἄφθαρτος)のを持つ、心の中の隠れた人がら」である。(Ⅰペテロ3:4 新改訳聖書)「隠れた人がら」にこそ価値がある、これからはそれを「飾り」にしなさいとペテロは語る。「隠れた人がら」とは、これまで。ありふれてつまらないときめつけてきたものかもしれない。そんなものにたいした価値があるはずがないと、見向きもしてこなかったところの「自分」である。ありふれたものこそが「神の御前に価値あるもの」である。人生を新しくするとは、これまでの「値踏み」を変えることからくる。

(心のデボーション3617)

心のデボーション3618

「煨火に炭をつぎ火に薪をくぶるがごとく爭論を好む人は爭論を起す」 箴言26:21  明治元訳聖書

「おき火に炭をつぎ、火にたきぎをくべるように、争いを好む人は争いの火をおこす。」 口語訳聖書

 「争いの火」

争いを好む人は、「おき火に炭をつぎ、火にたきぎをくべるように」(箴言26:21)「争いの火」をおこす。己がことばを励まして止めどがない。「火に油を注ぐ」だけの反論(ἀντιλογία)は、やがて自らの火に焼かれる。(へブル6:16)

(心のデボーション3618)

心のデボーション3619

「かくのごとく汝らの光を人の前にかがやかせ。これ人の汝らが善き行爲を見て、天にいます汝らの父を崇めん爲なり」 マタイ5:16 大正文語訳聖書

「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」 新改訳聖書

 「栄光を神に」

「神に榮光を歸せよδὸς δόξαν τῶ θεῶ」(ヨハネ9:24「神の前で正直に答えなさい」新共同訳聖書)。

サタンはイエスに「ひれ伏してわたしを拝む(προσκυνέω)ならば」(マタイ4:9)とイエスを誘惑した。

自分が「崇められるδοξάζω」ことを願うなら、私はサタンと同じことを求めている。(マタイ5:16)

(心のデボーション3619)

心のデボーション3620

「蓋わが民はふたつの惡事をなせり即ち活る水の源なる我をすて自己水溜を掘れりすなはち壞れたる水溜にして水を有たざる者なり」 エレミヤ2:13  明治元訳聖書

「それは、わたしの民が二つの悪しき事を行ったからである。すなわち生ける水の源であるわたしを捨てて、自分で水ためを掘った。それは、こわれた水ためで、水を入れておくことのできないものだ。」 口語訳聖書

 「壞れた水溜」

イスラエルの民は「活る水の源」である神を捨て、自分で「壞れたる水溜」を掘り、「活けるいのちの水の源」を自ら断った。「壞れたる水溜λάκκους συντετριμμένους」は「踏みつぶされ、こなごなに砕かれた(συντρίβω)水溜」である。いのちの源をこなごなに砕いてしまったのだ。(エレミヤ2:13)

(心のデボーション3620)

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