心のデボーション329

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† 心のデボーション 03281

「御國の來らんことを。御意の天のごとく地にも行はれん事を。」 マタイ6:10  大正文語訳聖書

「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」 口語訳聖書

 「日々の食卓」

「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください」(マタイ6:11  口語訳聖書)と祈るとき、我が家の食卓のためだけでなく、祝福が全地に及ぶように祈るべきである。天に行われることが全地に及ぶことが神の御心だからである。

(†心のデボーション03281)

† 心のデボーション 03282

「拙者の違逆はおのれを殺し 愚なる者の幸福はおのれを滅さん」 箴言1:32  明治元訳聖書

「思慮のない者の不従順はおのれを殺し、愚かな者の安楽はおのれを滅ぼす。」 口語訳聖書

 「安全なはけ口」

弱い人は失うものがないと確認してから相手を攻撃する。しかし、それは自分の弱さをあらわにするだけに、むなしさが残る。そのやり口で傷つくのは自分自身でもある。反撃されない相手だから安全だという、その思いこそが「愚か」で「身を滅す」と聖書は警告する。強い人になろうとする必要はない。ただ、自分にとって安全なはけ口にできる相手など存在しないと知れば充分である。

(†心のデボーション03282)

† 心のデボーション 03283

「また『視よ、此處に在り」「彼處に在り」と人々言はざるべし。視よ、神の國は汝らの中に在るなり』」 ルカ17:21  大正文語訳聖書

「また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」 口語訳聖書

 「神のお取り仕切り」

「神の国 ἡ βασιλεία τοῦ θεοῦ」。Βασιλείαの動詞βασιλεύωは「統治する、取り仕切る」の意である。山浦玄嗣気仙沼語訳聖書は「神のお取り仕切り」と訳す。「神のお取り仕切り」が「実にあなたがたのただ中(人と人の交わり、関係)にある」。(ルカ17:27)

(†心のデボーション03283)

† 心のデボーション 03284

「茲にヨセフ夢をみてその兄弟に告ければ彼等愈これを惡めり」 創世37:5  明治元訳聖書

「ある時、ヨセフは夢を見て、それを兄弟たちに話したので、彼らは、ますます彼を憎んだ。」 口語訳聖書

 「ストレートな生き方」

ヨセフは二度も、兄弟たちが自分を伏し拝むという夢を語って、兄たちからひんしゅくを買った。兄たちは憎しみをあらわにするが、ヨセフには通じない。父親の寵愛を受けて育ったヨセフには、他人の気持ちを理解することができず、ストレートに自分を表現し、それで他人が傷つくことがわからないのである。自分は何を話しても赦されるというのは甘えである。自分の内に秘めておくことができないと、本当の自分に生きることもできない。

(†心のデボーション03284)

† 心のデボーション 03285

「温柔き舌は生命の樹なり 悖れる舌は霊魂を傷ましむ」 箴言15:4  明治元訳聖書

「優しい舌は命の木である、乱暴な言葉は魂を傷つける。」 口語訳聖書

 「優しい舌」

「優しい舌は命の木である」(口語訳聖書)、「穏やかな舌はいのちの木」(新改訳聖書)、「癒しをもたらす舌は命の木」(新共同訳聖書)、「慰めの言葉は命の木(フランシスコ改訳聖書)。「優しさ」は「穏やか」でありながら「慰め」と「癒し」をもたらす力である。

(†心のデボーション03285)

† 心のデボーション 03286

「白髮の人の前には起あがるべしまた老人の身を敬ひ汝の神を畏るべし我はヱホバなり」 レビ19:32  明治元訳聖書

「あなたは白髪の人の前では、起立しなければならない。また老人を敬い、あなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。」 口語訳聖書

 「老いた烏」

「こくるま烏においては、若い烏が恐怖を示しても他のものは注意を払わないが、もし年老いた雄の烏が警告を発するときは、みな飛び立つという」(シモーヌ・ボーヴォアール『老い』より) 人間の場合は老人が警告を発しても若者は、容易には飛び立たない。それは現代の老人の危機への感覚を失ったためなのか、それとも若者が老人の経験に聞くことを失ったためなのか。

(†心のデボーション03286)

† 心のデボーション 03287

「なんぢおのが子輩の子をみるべし 平安はイスラエルの上にあり」 詩篇128:6  明治元訳聖書

「またあなたの子らの子を見るであろう。どうぞ、イスラエルの上に平安があるように。」 口語訳聖書

 「桃太郎」

桃太郎は犬とキジとサルを従えて鬼退治に出かける。しかし、もともと桃太郎は一日中ゴロ寝をするだけのグズだった。村が鬼に襲われた時にも、寝ていて役に立たなかったのである。しかし、やがてグズの桃太郎が立ち上がるのがこの物語のミソである。グズの桃太郎に「日本一」の旗を背負わせ、きびだんごを持たせて鬼退治の旅に出してやるおじいさん、おばあさんが陰の主役かもしれない。

(†心のデボーション03287)

† 心のデボーション 03288

「我知る汝は一切の事をなすを得たまふ また如何なる意志にても成あたはざる無し」 ヨブ42:2  明治元訳聖書

「わたしは知ります、/あなたはすべての事をなすことができ、/またいかなるおぼしめしでも、/あなたにできないことはないことを。」 口語訳聖書

 「神のご計画」

神から出た計画は、どのようなものも成し遂げられる。神にはすべてのことをなすことがおできになるからである。「神には、なんでもできないことはありません」(ルカ1:27  口語訳聖書)

(†心のデボーション03288)

† 心のデボーション 03289

「幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん」 マタイ5:8 大正文語訳聖書

「心の清い人は幸いである、その人は神を見るであろう」 フランシスコ会訳聖書

 「心の清き人の罪」

「心の清き人の罪」というものがある。キリスト者はしばしば「清さκαθαρός」に関してどこまでも高みを求めることに疑問をもたない。しかし、自分を超えた清さは罪をはらんでいる。気づくことを拒否することでその罪は深まる。「神が上のほうに大空を固め、深淵の源を堅く定め、海にその境界を置き、水がその境界を越えないようにし、地の基を定められたとき」(箴言8:29~30) 神は人の「清さ」にも「境界」をおき、それを「越えないように」定められている。(マタイ5:3)

(†心のデボーション03289)

† 心のデボーション 03290

「神の善き言と來世の能力とを味ひて」 へブル6:5  大正文語訳聖書

「また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、」 口語訳聖書

 「きたるべき恵み」

「神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちがκαλὸν γευσαμένους θεοῦ ῥῆμα δυνάμεις τε μέλλοντος αἰῶνος」。「神の良き(美しい)み言葉」を「味わうγεύομαι(食べる、経験する)者」は、「きたるべき世の力(恵みの力)」を先取りする。「やがて現れようとする栄光(δόξα)にあずかる者」。(1ペテロ5:1 口語訳聖書)(へブル6:5)

(†心のデボーション03290)

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