心のデボーション326

デボーション1
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† 心のデボーション 03251

「ヱホバはその能をもて地をつくり其智慧をもて世界を建てその明哲をもて天を舒べたまへり」 エレミヤ10:12  明治元訳聖書

「主はその力をもって地を造り、その知恵をもって世界を建て、その悟りをもって天をのべられた。」 口語訳聖書

 「力と知恵と悟りをもって」

神は「力をもって地を造り」、「知恵をもって世界を建て」、「悟りをもって天をのべられ」る。人間がいかなる罪を犯そうと、悪が審判を受けずに終わったためしはない。
(†心のデボーション03251)

† 心のデボーション 03252

「わが年老ぬるとき我をすてたまふなかれ わが力おとろふるとき我をはなれたまなかれ」 詩篇71:9  明治元訳聖書

「わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。」 口語訳聖書

 「奇蹟の人」

詩人は若い頃、人に「奇蹟」と思われた。それほど彼の人生は賛美と栄光に満ちていたのである。しかし、老人になって彼は、「私を見放さないでください」と祈る。年老いても、このように祈れる人になりたいものだ。詩人はこの祈りの後に「神は私を再び生き返らせる」と確信するのである。彼は人々から「本当の奇蹟」と呼ばれたに違いない。

(†心のデボーション03252)

† 心のデボーション 03253

「まことに汝らに告ぐ、もし汝ら飜へりて幼兒の如くならずば、天國に入るを得じ。」 マタイ18:3  大正文語訳聖書

「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。」 口語訳聖書

 「幼子のごとく」

「幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできない」。「幼な子 παιδίον」は「小さな子、生まれたばかりの子」の意。「悔い改めて新たないのちに生まれた者」をさす。人は日々新しくされるのでなければ決して神の国を見ることはできない。(ヨハネ3:3)

(†心のデボーション03253)

† 心のデボーション 03254

「友を賣る者・放縱なる者・傲慢なる者・神よりも快樂を愛する者、」 Ⅱテモテ3:4  大正文語訳聖書

「裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、」 口語訳聖書

 「慢心」

「慢心 τυφόω」の原義は「煙る」で、そこから、「思いあがる、高慢になる」の意味にった。たき火からふくれ上がる黒煙のように、心はふくれて、まい上がる。やがて、煙は周囲を包み、視野をさえぎる。自分もひとかどのものになったと感じるとき、心は何も見えなくなっている。ふくれ上がった心に水をかけ、うぬぼれの炎を消せば、再び、視野は開け、見えるようになる。(Ⅱテモテ3:4)

(†心のデボーション03254)

† 心のデボーション 03255

「外國の人にも自己の國の人にもこの法は同一なり我は汝らの神ヱホバなり」 レビ24:22  明治元訳聖書

「他国の者にも、この国に生れた者にも、あなたがたは同一のおきてを用いなければならない。わたしはあなたがたの神、主だからである」 口語訳聖書

 「異邦人の神」

「イスラエルの子を裁くのと同じ法律をよそから来た人たち、つまり異なった神話をもつ人たちを裁くべしというのは古代イスラエルの歴史における大きな一歩であった」(ロロ・メイ『自分探しの神話』)神はイスラエルの神であるとともに異邦人の神である。それは「異なる神話をもつ異邦人」を裁くためでなく、恵みに招くためであった。

(†心のデボーション03255)

† 心のデボーション 03256

「イスラエルの女等よサウルのために哀けサウルは絳き衣をもて汝等を華麗に粧ひ金の飾を汝等の衣に着たり」 Ⅰサムエル1:24  明治元訳聖書

「イスラエルの娘たちよ、サウルのために泣け。彼は緋色の着物をもって、はなやかにあなたがたを装い、あなたがたの着物に金の飾りをつけた。」 口語訳聖書

 「シオンの娘」

ダビデを殺害せんとしたサウル王は瀕死の重傷を負い、アマレク人の若者に自ら「殺してくれ」と頼み打たれた。それを知ったダビデはサウル王の死を悼み、「イスラエルの娘たちよ、サウルのために泣け」(Ⅱサムエル:24)と告げた。サウル王はイスラエル(シオン)の娘を「緋色の着物をもって、はなやかにあなたがたを装い、着物に金の飾りをつけた」。「緋色」は「高貴の色」である。それでシオンの娘はサウル王のために舞った。しかし、サウル王は倒れた。「今はサウルのために泣け」というのである。「勇士たちは戦いのさなかに倒れた」からである。(Ⅱサムエル1:25)いかなる悪王であっても、その惨めな死を嗤うな。

(†心のデボーション03256)

† 心のデボーション 03257

「イエス告げし者に答へて言ひたまふ『わが母とは誰ぞ、わが兄弟とは誰ぞ』 」 マタイ12:48  大正文語訳聖書

「イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」 口語訳聖書

 「老いた母親」

老いた母親とどうつき合ったらよいだろうか。人の心には実母とは違う「内なる母親」が生きてる。人が自分を生きるには、この「内なる母親」の支配的な力と対決する必要がある。しかし、この内的な戦いが実母との間に移される時、老いた母親との間に争いごとが絶えなくなる。イエスは「わたしの母とはだれですか」と問われる。対決すべきは「老いた母親」ではない。

(†心のデボーション03257)

† 心のデボーション 03258

「すなはち灌木の中にて藜を摘み苕の根を食物となす」 ヨブ30:4  明治元訳聖書

「彼らは、ぜにあおいおよび灌木の葉を摘み、/れだまの根をもって身を暖める。」 口語訳聖書

 「おかひじき」

身分の低い者の若者までがヨブを嘲笑った。(ヨブ30:1)人を蔑む者は、「ぜにあおいおよび灌木の葉を摘み、/れだまの根をもって身を暖める」。(ヨブ30:4)「ぜにあおい」はヒユ科の植物で海岸に生える「おかひじき Salt-wort」で貧者の食物とされた。

(†心のデボーション03258)

† 心のデボーション 03259

「幸福なるかな、憐憫ある者。その人は憐憫を得ん」 マタイ5:7 大正文語訳聖書

「あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう」 口語訳聖書

「矜恤(あはれみ)ある者は福(さいはひ)なり、彼等矜恤(あはれみ)を得んとすればなり」 日本正教会訳聖書

 「憐憫」

「憐憫 ἐλεήμων」を意味する英語merciful(慈悲深い、好都合の)の語根 mercはラテン語merere(利益を得る、買う)である。ここからmercon(交易する、 commercial(コマーシャル)などの言葉が派生した。「交易」は本来「慈悲深い」行為であった。しかし、現代は「好都合」の面だけが強調されるようになったようだ。「交易」に「慈悲深さ」を求める時代は終わったのだろうか。(マタイ5:7)

(†心のデボーション03259)

† 心のデボーション 03260

「汝らは價をもて買はれたる者なり、然らばその身をもて神の榮光を顯せ。」 Ⅰコリント6:20  大正文語訳聖書

「あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」 口語訳聖書

 「〔高い〕代価」

「あなたがたは、〔高い〕代価(τιμή)を払って買いとられたのだ」。「〔高い〕代価」を払うにふさわしいからではない。代価を払うにふさわしくない者に、神が「主イエス」という、この上ない「〔高い〕代価」を払われたことを通して、「私の新しい存在の価値」が明らかにされたのである。だから「その身をもて神の榮光を顯せ」と命じられるのである。(Ⅰコリント6:20)

(†心のデボーション03260)

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