心のデボーション323

デボーション1
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† 心のデボーション 03221

「「人よりに非ず又人に由ずイエス・キリストと彼を死より甦らしし父なる神に由て立られたる使徒パウロ」 ガラテヤ1:1  大正文語訳聖書

「人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ、」 口語訳聖書

 「イエス・キリストによって」

漢訳聖書は本節を「保羅非由人、非以人、乃以耶蘇基督、及由死甦之神卽父、而爲使徒者。」として、パウロは「人によって 非以人」ではなく、「神によって死人の中からよみがえらせたイエス・キリストよって 以耶蘇基督」使徒に立てられたと訳す。「以」は「原因、理由」をあらわす。ギリシャ語 διὰ ἰησοῦ χριστοῦは、「キリストを ~を通って、通り抜けて 2)~を通じて、~の中に、~の中へ~の故に ~のために」の意である。パウロは「イエス・キリストを死人のなかからよみがえらせられた神」によりイエス・キリストを通して自らも「死人のなかからよみがえらせられる神」によって新しき人によみがえり、使徒と召されたのである。(ガラテヤ1:1)

(†心のデボーション03221)

† 心のデボーション 03222

「汝ら我を選びしにあらず、我なんぢらを選べり。而して汝らの往きて果を結び、且その果の殘らんために、又おほよそ我が名によりて父に求むるものを、父の賜はんために汝らを立てたり。」 ヨハネ15:16 大正文語訳聖書

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。」 口語訳聖書

 「人生が提供するもの」

人生が困難なものであるか、容易であるかは余り問題ではない。ただ、それを本当に生きるかどうかである。人生が提供する問題は、どんなに煩わしくても、自分に引き受けること。そうすれば人生が自分に何を望んでいるかがわかる。引き受ける価値があるかないかなどと迷わないことだ。人生が提供してくれるもので、意味のないものなど一つもないと思えばよい。神が人に選ばれる人生には、神の備えもある。

(†心のデボーション03222)

† 心のデボーション 03223

「牛はその主をしり驢馬はそのあるじの厩をしる 然どイスラエルは識ず わが民はさとらず」 イザヤ1:3  明治元訳聖書

「牛はその飼主を知り、ろばはその主人のまぐさおけを知る。しかしイスラエルは知らず、わが民は悟らない」 口語訳聖書

 「養い」

「牛は飼い主を知り、ロバは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、神の民であるイスラエルは自らを養われる、神を知らない」とイザヤは言う。人は器からのむ一杯の水、口にする食料のとれ一つ、自らで作り得るものはないと知るべきである。神は「いのちの神」である。箴言30:8

(†心のデボーション03223)

† 心のデボーション 03224

「されば兄弟よ、われ神のもろもろの慈悲によりて汝らに勸む、己が身を神の悦びたまふ潔き活ける供物として献げよ、これ靈の祭なり。」 ロマ12:1  大正文語訳聖書

「兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」 口語訳聖書

 「献身」

神に自分をささげる人は、自分をささげる相手とも出会う。自分をささげる相手が見えないというのは、信仰の危機かもしれない。相手と深い絆で結ばれるには、多少の困難があっても、この関係を大切にしていこうという熱意が必要である。相手に自分の時間や心のエネルギーを惜し気もなく注ぎ込む。神との関係は人との関係に変化を与えずにはおかない。

(†心のデボーション03224)

† 心のデボーション 03225

「テモテよ、なんぢ委ねられたる事を守り、妄なる虚しき物語、また僞りて知識と稱ふる反對論を避けよ。」 Ⅰテモテ6:20  大正文語訳聖書

「テモテよ。あなたにゆだねられていることを守りなさい。そして、俗悪なむだ話と、偽りの「知識」による反対論とを避けなさい。」 口語訳聖書

 「まちがった霊知」

「偽りの知識 τῆς ψευδωνύμου γνώσεως」は新改訳聖書「まちがった霊知」と訳される。忘我的、神秘的体験を通じて付与される「グノーシス」を指し、「ψευδώνυμος 不当に名づけられたグノーシス霊的知識」の意である。「まちがった霊知」への誘惑はどの時代にもつねにある。(Ⅰテモテ6:20)

(†心のデボーション03225)

† 心のデボーション 03226

「ヱホバ其上に立て言たまはく我は汝の祖父アブラハムの神イサクの神ヱホバなり汝が偃臥ところの地は我之を汝と汝の子孫に與へん」 創世28:13  明治元訳聖書

「そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。」 口語訳聖書

 「ベテル」

神は荒野で石を枕に横たわるヤコブにご自身を現わされ、彼のそばに立たれた。(創世28:13) 神は「おまえと共に」(創世28:15)、「おまえの傍らに」(創世28:13)と言われる。そこでヤコブは枕にした石を柱とし油を注いで神を礼拝し、その所を「ベテル 神の家」と呼んだ。(創世28:16-17)

(†心のデボーション03226)

† 心のデボーション 03227

「その噂あまねくシリヤに弘り、人々すべての惱めるもの、即ちさまざまの病と苦痛とに罹れるもの、惡鬼に憑かれたるもの、癲癇および中風の者などを連れ來りたれば、イエス之を醫したまふ。」 マタイ4:24  大正文語訳聖書

「そこで、その評判はシリヤ全地にひろまり、人々があらゆる病にかかっている者、すなわち、いろいろの病気と苦しみとに悩んでいる者、悪霊につかれている者、てんかん、中風の者などをイエスのところに連れてきたので、これらの人々をおいやしになった。」 口語訳聖書

 「癒し」

人々はさまざまな病気と痛みに苦しむ病人をイエスのもとに連れてきた。イエスは、その一人一人を「いやされた」。聖書で「いやす θεραπεύω」は「仕える、奉仕する」という意味である。イエスは病と痛みに仕え、下僕として動き回わられる。私たちに人の痛みをいやすことはできない。ただ、痛みと苦しみの一日を、少しでも豊かに生きられるよう、仕え、奉仕することができる。(マタイ4:24)

(†心のデボーション03227)

† 心のデボーション 03228

「是において彼等の目倶に開て彼等其裸體なるを知り乃ち無花果樹の葉を綴て裳を作れり」 創世3:7  明治元訳聖書

「すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。」 口語訳聖書

Today’s English Version

Gen 3:7 As soon as they had eaten it, they were given understanding and realized that they were naked; so they sewed fig leaves together and covered themselves.

 「罪の現実化」

アダムとエバは罪を犯し、「自分たちの裸であることがわかった」。Today’s English Versionは「realized that they were naked」と訳す。Realizeは「real 現実+ize する」で「知る」の意味と「実現する」の意味をあわせもつ。「現実のものとして認識する、現実化する」の意である。アダムとエバは罪に対して「目が開け」、自分たちの犯した罪を現実化した。それで「彼らはいちじくの葉をつづり合わせて体を覆った。」のである。

(†心のデボーション03228)

† 心のデボーション 03229

「幸福なるかな、憐憫ある者。その人は憐憫を得ん」 マタイ5:7 大正文語訳聖書

「あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。」 口語訳聖書

 「快き助け」

「憐れみ深い人々 ἐλεήμων」は憐れみを与えるばかりでなく、「受ける ἐλεέω」ことのできる人である。成熟した人はその両方に魂が開かれている。憐れみは与えるが、受けたくないというのは傲慢である。快き心をもて助ける人は、快き助けを受ける。「快き助け」を拒むな。(マタイ5:7) 

(†心のデボーション03229)

† 心のデボーション 03230

「我は汝らに審かれ、或は人の審判によりて審かるることを最小き事とし、また自らも己を審かず。」 Ⅰコリント4:3  大正文語訳聖書

「わたしはあなたがたにさばかれたり、人間の裁判にかけられたりしても、なんら意に介しない。いや、わたしは自分をさばくこともしない。」 口語訳聖書

 「自己をさばかず」

パウロは「わたしは自分をさばくこともしない」(口語訳聖書)という。(Ⅰコリント4:3) 「さばく ἀνακρίνω」は「取り調べる、問いただす、尋問する」の意である。自己を是とも否とも裁くな。正しく裁かれる(取り調べる、問いただす、尋問する)のは神のみである。(Ⅰコリント4:3)

(†心のデボーション03230)

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