心のデボーション321

デボーション1
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† 心のデボーション 03201

「キリスト・イエスの僕、召されて使徒となり、神の福音のために選び別たれたるパウロ――」 ロマ1:1  大正文語訳聖書

「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから――」 口語訳聖書

 「母の胎内にある時から」

パウロは「キリスト・イエスの僕」として「神の福音のために選び別たれ(た)」と語る。(ロマ1:1) 「選び分かたれた ἀφορίζω」を漢訳聖書 新約全書美華書店1863年「區別以傳神之福音」と訳す。「神の福音を伝える為に別に分かたれた」の意である。ἀφορίζωは「分離する、えり分ける」の意である。ガラテヤ1:15にパウロは「母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになった」と語る。神はまだ「母の胎内にある時から」人を神の業のために「選び分かたれる。

(†心のデボーション03201)

† 心のデボーション 03202

「なんぢを創造し なんぢを胎内につくり又なんぢを助くるヱホバ如此いひたまふ わがしもベヤコブよわが撰みたるヱシュルンよおそるるなかれ」 イザヤ44:2 明治元訳聖書

「あなたを造り、あなたを胎内に形造り、あなたを助ける主はこう言われる、『わがしもべヤコブよ、わたしが選んだエシュルンよ、恐れるな。』」 口語訳聖書

 「タイプ」

「タイプ」ということばはギリシャ語の「τύπος」からきている。「τύπος」は「刻印されたもの、型」の意である。つまり、人のタイプは「母の胎内にいる時から」神が「刻みつけられたもの」、「人の型」である。したがって、自分のタイプは変えようとしても変えられないし、変える必要もない。自分に「あなたのようなタイプを私は好き」と自分にいうがよい。(イザヤ44:2)

(†心のデボーション03202)

† 心のデボーション 03203

「汝若善を行はば擧ることをえざらんや若善を行はずば罪門戸に伏す彼は汝を慕ひ汝は彼を治めん」 創世4:7 明治元訳聖書

「正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。」 口語訳聖書

 「細部」

LXXは本節を「οὐκ ἐὰν ὀρθῶς προσενέγκῃς ὀρθῶς δὲ μὴ διέλῃς ἥμαρτες ἡσύχασον πρὸς σὲ ἡ ἀποστροφὴ αὐτοῦ καὶ σὺ ἄρξεις αὐτοῦ  そしてあなたが捧げものを捧げても、正しく分けなければ、罪を犯すことになる」と訳す。

神に対する信仰は行為の細部まで正しく、教えられ通りになすべきである。カインはそうしなかったために捧げものは神に退けられたのである。

(†心のデボーション03203)

† 心のデボーション 03204

「いざわれら拝みひれふし我儕をつくれる主ヱホバのみまへに曲跪くべし」 詩篇95:6  明治元訳聖書

「さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。」 口語訳聖書

 「他人と異なる権利」

1970年10月、パリの「ル、モンド」紙にアインシュタイン博士の顔写真に、「彼は長髪だった」と添えられた奇妙な広告が載せられたそうである。若者の間で長髪が流行しはじめ、それをとがめる人もいた頃のことである。作家の住井すゑさんは、それを紹介しながら「人間には他人と異なる権利がある」と書いている。そして今、私は「人間には他人と同じである責任もある」と感じるのである。権利はいつも反対側の責任をともなう。

(†心のデボーション03204)

† 心のデボーション 03205

「汝らは恩惠により、信仰によりて救はれたり、是おのれに由るにあらず、神の賜物なり。」 エペソ2:8  大正文語訳聖書

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。」 口語訳聖書

 「神の賜物」

神は人求めるものではなく、神ご自身が人に求めるものを与えられる。人は神が与えてくださるものを通して、自分が何を必要としているかを知るのである。神が人に求め給う信仰を求めよ。その信仰を神は喜ばれる。

(†心のデボーション03205)

† 心のデボーション 03206

「ヱホバいふ我汝に膏藥を貼り汝の傷を醫さんそは人汝を棄られし者とよび尋る者なきシオンといへばなり」 エレミヤ30:17 明治元訳聖書

「主は言われる、わたしはあなたの健康を回復させ、あなたの傷をいやす。それは、人があなたを捨てられた者とよび、『だれも心に留めないシオン』というからである。」 口語訳聖書

 「穏やかな健康の花」

「知恵の冠は主を畏れることである。それは、平和と穏やかな健康の花を咲かせる。Στέφανος σοφίας φόβος κυρίου ἀναθάλλων εἰρήνην καὶ ὑγίειαν ἰάσεως. 」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:18  フランシスコ改訳聖書) 主を畏れる者の内に、智慧は「平和と穏やかな健康の花を咲かせる」。「花を咲かせる ἀναθάλλω」は「再び花咲く」の意である。神の知恵は、平和と穏やかな健康(全き、癒されし健康)の花を再び咲かせる。(エレミヤ30:17)

(†心のデボーション03206)

† 心のデボーション 03207

「地に言へ然ばなんぢに敎へん 海の魚もまた汝に述べし」 ヨブ12:8  明治元訳聖書

「あるいは地の草や木に問うてみよ、/彼らはあなたに教える。海の魚もまたあなたに示す。」 口語訳聖書

 「メダカの子」

メダカが卵を産んだ。その中から一匹がふ化し、器の中をからだをふるわせるようにして泳ぐ。透き通ったスリムな体で、なかなかの美人である。じっと見つめると、ツッとすばやい動きで視界から消えたり、あらぬ方角からいきなり現われたりする。からかわれているのかもしれない。疲れたら、神のつくられた生きものと遊んでみる。楽しいおしゃべりの相手をしてくれる。

(†心のデボーション03207)

† 心のデボーション 03208

「ああ神よわがために清心をつくり わが衷になほき霊をあらたにおこしたまへ」 詩篇51:10  明治元訳聖書

「神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。」 口語訳聖書

 「清い心」

「清い心」とは、「新しく、正しい心」である。それは「砕かれた、罪を悔いた心」(詩篇51:17)である。「清い心(新しく、砕けた心)」は神がわたしのためにわたしの内に絶えずつくられ、生きた心である。その業が止むことはない。

(†心のデボーション03208)

† 心のデボーション 03209

「幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん」 マタイ5:6 大正文語訳聖書

「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。」 口語訳聖書

「福(さいはひ)なる者は義に飢ゑ且つ渇く者[なり]。そは彼等は饜(あ)かさるべければなり」 永井直治訳

 「義の饗宴」

「その人は飽くことを得ん」は永井直治訳では「彼等は饜(あ)かさるべければなり」とある。

「饜」は「厭 えん」+「食」で「食べ飽きる、嫌になるほど食べる」である。

彼らは神の食卓で「義」の饗宴にあずかり、神のことばを、もうこれ以上腹に入らぬと思うほどに食べて満たされる。恵みの饗宴である

(†心のデボーション03209)

† 心のデボーション 03210

「されど我なんぢの爲に、その信仰の失せぬやうに祈りたり、なんぢ立ち歸りてのち兄弟たちを堅うせよ』」 ルカ22:32  大正文語訳聖書

「しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。」 口語訳聖書

 「立ち直る」

「立ち直る ἐπιστρέφω」は「立ち返る、再び戻る」の意である。信仰は神への「立ち返り」である。再び神に立ち返る魂に神が求められることは、「公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩む」(ミカ6:8)ことである。(ルカ22:32)

(†心のデボーション03210)

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