心のデボーション319

デボーション1
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† 心のデボーション 03181

「また『主は智者の念の虚しきを知り給ふ』とあるが如し。」 Ⅰコリント3:20  大正文語訳聖書

「更にまた、「主は、知者たちの論議のむなしいことをご存じである」と書いてある。」 口語訳聖書

 「生まれつきの愚か者」

知恵ある者の議論は空しい(μάταιος)。「知恵ある者の議論」とは「神を知らない人々の議論」の意である。旧約聖書外典知恵の書13:1は「神を知らない人々はみな、生まれつきの愚か者であるμάταιοι μὲν γὰρ πάντες ἄνθρωποι φύσει οἷς παρῆν θεοῦ ἀγνωσία」。「生まれつきの愚か者 μάταιος」は。「空虚な、無益な」を意味し、本来のものでないことを示す。ここでのμάταιοςは知的な愚か者の意ではなく、「神に関する無知」を意味している。彼の目は見ることができ、その良し悪しを判断する。しかし、「存在」の原因である神を知らない(知ろうとしない、知ることを避ける)。「存在」を認めることができても、その根源、原因を知らずに(無視して、素通りして)存在の意味を知ることができようか? 

(†心のデボーション03181)

† 心のデボーション 03182

「盜する者は今よりのち盜すな、むしろ貧しき者に分け與へ得るために手づから働きて善き業をなせ」 エペソ4:28  大正文語訳聖書

「盗んだ者は、今後、盗んではならない。むしろ、貧しい人々に分け与えるようになるために、自分の手で正当な働きをしなさい。」 口語訳聖書

 「反対された結婚」

それほど好きではなかったのに、親に反対されたために結婚した人もいる。反対されたことへの反発からの結婚だった。そのためか、結婚生活で思い通りにならないことがあると親の反対を押し切って結婚したからだと自分を責める。その人を好きかどうかという「自分の本音」を殺していることが問題であろう。「本音」を取り戻すには一人の人を本気で愛することある。どのような結婚であれ、妻(夫)を愛するということは、本音でなければできない。

(†心のデボーション03182)

† 心のデボーション 03183

「然らば汝らに御靈を賜ひて汝らの中に能力ある業を行ひ給へるは、律法の行爲に由るか、聽きて信ずるに由るか。」 ガラテヤ3:5  大正文語訳聖書

「すると、あなたがたに御霊を賜い、力あるわざをあなたがたの間でなされたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。」 口語訳聖書

 「惜しみなく」

神は「聞いて信じる者」に「御霊を賜う ἐπιχορηγέω」(ガラテヤ3:5)ἐπιχορηγέωは「惜しみなく与える、気前よく豊かに与える」の意である。出し惜しみせずに聖霊を与え、力ある業を行われる。(ガラテヤ3:5)

(†心のデボーション03183)

† 心のデボーション 03184

「かくてその耳ひらけ、舌の縺ただちに解け、正しく物いへり。」 マルコ7:35  大正文語訳聖書

「すると彼の耳が開け、その舌のもつれもすぐ解けて、はっきりと話すようになった。」 口語訳聖書

 「エパタ」

主イエスがガリラヤ湖にこられると、人々が「耳が聞こえず、口のきけない人」を連れてきた。すると、主はその人の両耳に指を差し入れ、唾をしてその人の舌に触られ、「エパタ ἐφφαθα(開け)」と言われるとn彼の耳が開け、舌のもつれが解けた。(マルコ7:32-35)奇跡とは私の耳が開けて神のことばを聞き、舌のもつれが解けて神を賛美するようになったことである。

(†心のデボーション03184)

† 心のデボーション 03185

「モーセ云けらくヱホバの寶位にむかひて手を擧ることありヱホバ世々アマレクと戰ひたまはん」 出エジプト17:16  明治元訳聖書

「そしてモーセは言った、「主の旗にむかって手を上げる、主は世々アマレクと戦われる」。」 口語訳聖書

 「丘の頂」

アマレク人との戦いにおいて、若いヨシュアがイスラエルを率い、モーセは丘の頂に立って祈った。モーセが手を上げて祈るとイスラエルが優勢になり、手を降ろすとアマレクが優勢になった。老いた者の祈りが若き者の戦いを支える。今、若き者が戦う力を失っているのは、老いた者の祈りの手が降りてしまったからではないか。「丘の頂」は老いた者の戦場である。

(†心のデボーション03185)

† 心のデボーション 03186

「聽く耳ある者は聽くべし」 マルコ4:23  大正文語訳聖書

「聞く耳のある者は聞くがよい」 口語訳聖書

 「耳ありて聽ゆる者は」

「すべての譬はただ内的な敏感な耳にだけ聞きうる深い意味をもっている」。(A・リチャードソン)「聞く耳のある者は聞くがよい εἴ τις ἔχει ὦτα ἀκούειν ἀκουέτω.」(口語訳聖書)は明治元訳聖書は「耳ありて聽ゆる者は聽べし」とある。耳はあっても「聞く意思」がなければ何も聞こえない。(マルコ4:23)

(†心のデボーション03186)

† 心のデボーション 03187

「汝ら人を視て審判すべからず小き者にも大なる者にも聽べし人の面を懼るべからず審判は神の事なればなり汝らにおいて斷定がたき事は我に持きたれ我これを聽ん」 申命1:17  明治元訳聖書
「あなたがたは、さばきをする時、人を片寄り見てはならない。小さい者にも大いなる者にも聞かなければならない。人の顔を恐れてはならない。さばきは神の事だからである。あなたがたで決めるのにむずかしい事は、わたしのところに持ってこなければならない。わたしはそれを聞くであろう』。」 口語訳聖書

 「さばき」

「さばきつかさ」は「知恵と悟りと経験のある人」で、民のもめ事をさばくために立てられた。「さばきつかさ」のつとめは「よく聞くこと」だった。モーセは彼らの手にあまるようなら、「私がそれを聞く」と語る。もめ事は「聞く」ことによっておさまる。「深く聞かれる」ことによって、心は癒される。神は「私を聞いて」くださる。

(†心のデボーション03187)

† 心のデボーション 03188

「汝錐を取て彼の耳を戸に刺とほすべし然せば彼は永く汝の僕たるべし汝の婢にもまた是のごとくすべし」 申命記15:17  明治元訳聖書

「あなたは、きりを取って彼の耳を戸に刺さなければならない。そうすれば、彼はいつまでもあなたの奴隷となるであろう。女奴隷にもそうしなければならない。」 口語訳聖書

 「きりの穴」

古代イスラエルでは、奴隷は従順の義務の証しとして、きりで耳に穴をあけ戸に刺す儀式が行われた。傾聴を意味するヘブライ語シャーマーにはギリシャ語ὑπακούω(耳を傾ける、聞き入れる、聞き従う、傾聴する、服従する)があてられる。キリストに聴く者の耳には「きりの穴」がある。(申命記15:17)

(†心のデボーション03188)

† 心のデボーション 03189

「幸福なるかな、柔和なる者。その人は地を嗣がん」 マタイ5:5 大正文語訳聖書

「柔和な人は幸いである、その人は地を受け継ぐであろう」 フランシスコ会訳聖書

 「地の相続者」

「地を嗣ぐ κληρονομέω  クれーロノメノー」は「相続する、受け継ぐ」の意味で、「支配、所有」ではない。 

「神を畏れる弱き人」は「地の相続者」である。神からの預かり物として「柔和」に扱う。(マタイ5:5)

(†心のデボーション03189)

† 心のデボーション 03190

「イエス言ひたまふ『更に幸福なるかな、神の言を聽きて之を守る人は』」 ルカ11:28  大正文語訳聖書

「しかしイエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」。」 口語訳聖書

 「めぐまれているのは」

「幸い μακάριος」は「祝福された、羨むべき、至福の」の意味である。(マタイ5:1-12) 口語訳聖書は「めぐまれているのは」と訳す。羨むほどな恵みにあずかるのは「神の言を聞いてそれを守る人」である。ギリシャ語μακάρω νῆσοι(幸福な死者の棲む島)はそのような人々の島であろうか。(ルカ11:28)

(†心のデボーション03190)

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