心のデボーション308

デボーション1
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† 心のデボーション 03071

「われは眞實のみちをえらび 恒になんぢのもろもろの審判をわが前におけり」 詩篇119:30  明治元訳聖書

「わたしは真実の道を選び、あなたのおきてをわたしの前に置きました。」 口語訳聖書

 「裏目」

「裏目に出る」の「裏目」はサイコロを振って、期待のとは反対の(裏の)目がでてしまうことから来ている。期待には常に反対の目のあることを知っておくとよい。そもそも、サイコロで物事を決することを聖書は認めていない。つまり、「裏」も「表」もなく、真実だけを求めればよい。

(†心のデボーション03071)

† 心のデボーション 03072

「パウロなほ久しく留りてのち、兄弟たちに別を告げ、プリスキラとアクラとを伴ひ、シリヤに向ひて船出す。早くより誓願ありたれば、ケンクレヤにて髮を剃れり。」 使徒18:18  大正文語訳聖書

「さてパウロは、なお幾日ものあいだ滞在した後、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向け出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは、かねてから、ある誓願を立てていたので、ケンクレヤで頭をそった。」 口語訳聖書

 「似合いの夫婦」

夫婦は結婚する時、必ずしも「お似合い」とはかぎらない。どうして、こういう組み合わせになったのだろうと思わせるカップルが、長い間、生活すると、いつの間にか「似合いの夫婦」になっているようである。アクラは迫害で妻のプリスキラと逃れてきた職人だった。パウロが「プリスキラとアクラ」と妻の名前を先にしているところを見ると、彼らも「長い生活の果ての似合いの夫婦」のにおいがする。

(†心のデボーション03072)

† 心のデボーション 03073

「願ふところは、汝の信仰の交際の活動により、人々われらの中なる凡ての善き業を知りて、榮光をキリストに歸するに至らんことなり。」 ピレモン1:6  大正文語訳聖書

「どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。」 口語訳聖書

 「信仰の交わり」

「信仰の交わり」は「すべての善き事の審(つまびら)かなる知識」(永井直治訳聖書)のうちに「イエス・キリストのためになされるすべての善き業」を証しする。この目的に外れては信仰の交わりは空しい。

(†心のデボーション03073)

† 心のデボーション 03074

「その受け給ひし名の御使の名に勝れるごとく、御使よりは更に勝る者となり給へり。」 ヘブル1:4  大正文語訳聖書

「御子は、その受け継がれた名が御使たちの名にまさっているので、彼らよりもすぐれた者となられた。」 口語訳聖書

 「キリストの嗣業」

イエス・キリストは十字架と復活により、第一のアダムが失った神の相続を、第二のアダムとして祝福の相続権を回復された。それゆえに、地にあるすべての善きものを主に求めよ。神は「受けるべき嗣業としてそれらを与えてくださる」

「わたしに求めよ、わたしはもろもろの国を/嗣業としておまえに与え、地のはてまでもおまえの所有として与える」(詩篇2:7 口語訳聖書)

(†心のデボーション03074)

† 心のデボーション 03075

「視よ、我らは忍ぶ者を幸福なりと思ふ。なんぢらヨブの忍耐を聞けり、主の彼に成し給ひし果を見たり、即ち主は慈悲ふかく、かつ憐憫あるものなり。」 ヤコブ5:11  大正文語訳聖書

「忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである。」 口語訳聖書

 「多くのはらわた」

ギリシャ語で「慈愛 πολύσπλαγχνος」は「多くのはらわた」を意味する。ヘブル思想では、「はらわた」は人間の感情が宿るところと考えられた。やさしい思いやりに満ちた人とは、うれしいとか悲しいという感情を沢山持っている人である。怒りであれ、憎しみであれ、それらの感情からも「やさしさ」が生まれる。「慈愛に富み給う神」と祈るとき、私たちは「多くのはらわた」を豊かに持たれる御方の前に立つのである。(ヤコブ5:11)

(†心のデボーション03075)

† 心のデボーション 03076

「斯て汝の耳を智慧に傾け汝の心をさとりにむけ」 箴言2:2 明治元訳聖書

「あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を悟りに向け、」 口語訳聖書

 「主ご自身が知恵を造られ」

「主ご自身が、知恵を造られ、これを見、これを計り、これを、そのすべての業の上に注がれた。κύριος αὐτὸς ἔκτισεν αὐτὴν καὶ εἶδεν καὶ ἐξηρίθμησεν αὐτὴν καὶ ἐξέχεεν αὐτὴν ἐπὶ πάντα τὰ ἔργα αὐτοῦ 」 旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:9 フランシスコ会訳聖書) 神はすべての知恵を創られ、つらつらそれを見、まさしくそれを計られ(割り当てられ)、しかして、それをすべての業の上に注がれる。神の業から神の知恵を学べ。

(†心のデボーション03076)

† 心のデボーション 03077

「彼は汝らを終まで堅うして、我らの主イエス・キリストの日に責むべき所なからしめ給はん」 Ⅰコリント1:8  大正文語訳聖書

「主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。」 口語訳聖書

 「よけいなお世話」

愛する人の世話をしたいと思うのは自然である。しかし、それは相手を思い通りにすることではない。こまかいことまで口うるさくいわなければ気が済まないのは、自分の心に空虚感があって、それに耐えられなくて人の世話を焼きたがるからではないか。愛は相手を支配するよりも、相手の望むことをしてあげたいと心を配る。「よけいなお世話」といわれる前に、自分を豊かに生きることだ。そうすれば相手が何を望んでいるかがわかる。

(†心のデボーション03077)

† 心のデボーション 03078

「禍害ある者は誰ぞ 憂愁ある者は誰ぞ 爭端をなす者は誰ぞ 煩慮ある者は誰ぞ 故なくして傷をうくる者は誰ぞ 赤目ある者は誰ぞ」 箴言23:29  明治元訳聖書

「災ある者はだれか、憂いある者はだれか、争いをする者はだれか、煩いある者はだれか、ゆえなく傷をうける者はだれか、赤い目をしている者はだれか。」 口語訳聖書

 「わざわい」

モンテーニュが、自分を殺すぞと脅かされたテオドロスが「あなたが、つちはんみょうの力にも匹敵することができたら大したものだ」と答えたという話を紹介している。(モンテーニュ『エセー』より) ツチハンミョウ(土班猫)羽があっても飛べずに地を這う虫で、刺激を受けると身を守るために死んだふりをして、足の関節から毒を出して、相手がひるんだすきに逃げる。ただ、ツチハンミョウの仲間の中には人を殺すほどの猛毒を出すものもいるので注意する必要がある。

(†心のデボーション03078)

† 心のデボーション 03079

「幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん」 マタイ5:4 大正文語訳聖書

「悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる」 新共同訳聖書

 「涙」

人の「涙」は98.0%が水で,その他,約1.5%のナトリウム・カリウム・アルブミン・グロブリンなどに加えて0.5%のたん白質がふくまれている。涙にはナトリウムが含まれているため塩辛く感じるが、それだけではなく、うれしいときや悲しいときに出る涙ストレス反応により分泌されるホルモンの一種である副腎皮質刺激ホルモ(ACTH)が含まれている。そのため、怒ったときに出る涙は、涙の量は少なくナトリウムの多い塩辛い涙になり、それにくらべて悲しみの涙はいくらか水っぽいという。涙は体内にあるストレス物質を排出し、泣いた後はすっきりするのはそのためである。「涙」も出ない悲しみが最もつらいかもしれない。

(†心のデボーション03079)

† 心のデボーション 03080

「忍耐をして全き活動をなさしめよ。これ汝らが全くかつ備りて、缺くる所なからん爲なり。」 ヤコブ1:4  大正文語訳聖書

「だから、なんら欠点のない、完全な、でき上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。」 口語訳聖書

 「忍耐の完全」

「あくまでも忍耐しなさい。そうすれば、完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。」(新共同訳聖書)。まず、人は「忍耐 ὑπομονή」において「完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人」となることができる。この忍耐はキリストの忍耐(Ⅱテサロニケ3:5)から来る。

(†心のデボーション03080)

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