心のデボーション307

デボーション1
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† 心のデボーション 03061

「ウジヤ王のしにたる年われ高くあがれる御座にヱホバの坐し給ふを見しにその衣裾は殿にみちたり」 イザヤ6:1  明治元訳聖書

「ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。」 口語訳聖書

 「知恵の本性」

預言者イザヤはウジヤ王が死んだ年に高くあげられた王座に座しておられる神を見た。

「ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。」 (イザヤ6:1~4 口語訳聖書)

イザヤの見た「主」をシラ書も見ている。「賢く、もっとも畏るべき方は、ただひとり。その方は玉座に座っておられる。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:8 フランシスコ会訳聖書)知恵の本性は「高くあげられた王座に座しておられる神」である。

(†心のデボーション03061)

† 心のデボーション 03062

「彼ゆきて、イエスの如何に大なる事を己になし給ひしかを、デカポリスに言ひ弘めたれば、人々みな怪しめり。」 マルコ5:20  大正文語訳聖書

「そこで、彼は立ち去り、そして自分にイエスがしてくださったことを、ことごとくデカポリスの地方に言いひろめ出したので、人々はみな驚き怪しんだ。」 口語訳聖書

 「愛の宣教師」

イエスは汚れた霊から解放された男を小さな宣教師として「家族」に遣わされた。しかし、彼はデカポリスにまで福音を伝えている。デカポリスとは「十の都市」という意味である。男はたった一人でヨルダンの東の世界に、イエスと自分の出会いを語って歩いた。自分を回復した彼は、家族を回復し、人々との関係を回復する。愛を取り戻す時、人は、世界の意味を新しくする。

(†心のデボーション03062)

† 心のデボーション 03063

「汝らに患難を加ふる者に患難をもて報い、患難を受くる汝らに、我らと共に安息をもて報い給ふは、神の正しき事なり。」 Ⅱテサロニケ1:6 大正文語訳聖書

「すなわち、あなたがたを悩ます者には患難をもって報い、悩まされているあなたがたには、わたしたちと共に、休息をもって報いて下さるのが、神にとって正しいことだからである。」 口語訳聖書

 「休息」

患難にも神による「休息 ἄνεσις」がある。「休息 ἄνεσις」は「軽減、緩和、休養」の意である。神は患難に一時の「休息」を与えられる。患難を担いやすくするためである。(マタイ11:28)

(†心のデボーション03063)

† 心のデボーション 03064

「昔話と窮りなき系圖とに心を寄する事なからしめよ。此等のことは信仰に基ける神の經綸の助とならず、反つて議論を生ずるなり。」 Ⅰテモテ1:4  大正文語訳聖書

「作り話やはてしのない系図などに気をとられることもないように、命じなさい。そのようなことは信仰による神の務を果すものではなく、むしろ論議を引き起させるだけのものである。」 口語訳聖書

 「作り話」

「作り話 μῦθος」は「伝説、寓話」である。テトス1:14「ユダヤ人の空想話 προσέχοντες ᾽Ιουδαϊκοῖς」と言われているところから、旧約聖書を寓話的に解釈した伝説、物語をさす。それらは無用な議論を起こさせるだけで魂に益することは一つもない。(Ⅰテモテ1:4)

(†心のデボーション03064)

† 心のデボーション 03065

「是において彼等の目倶に開て彼等其裸體なるを知り乃ち無花果樹の葉を綴て裳を作れり」 創世記3:7  明治元訳聖書

「すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。」 口語訳聖書

 「いちじくの葉」

アダムとエバは罪を犯して後、いちじくの葉をつづり合わせたもので裸を隠す。初めて人が服に選んだ素材は、惨めなものだった。いちじくの葉は固くてあつかいにくく、すぐにやぶれ、おまけにチクチク肌をさしたのである。以来、人が自分の悪を隠す「服」は、どこか着心地が悪く、身体になじまない。いつまでも着ているわけにはいかない。しかし、人は誰でも、この「服」を一度は着なければならないようだ。

(†心のデボーション03065)

† 心のデボーション 03066

「また神の榮光の勢威に隨ひて賜ふもろもろの力によりて強くなり、凡ての事よろこびて忍び、かつ耐へ、」 コロサイ1:11  大正文語訳聖書

「更にまた祈るのは、あなたがたが、神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、」 口語訳聖書

 「欠点や弱点」

「他人の欠点や弱点は、それがどんなものであろうと、努めて耐え忍びなさい。あなたもまた他人が忍ばねばならぬ多くの欠点があるからである」 (トマス・アケンピス『キリストにならいて』より)自分が耐える他人の欠点の量よりも、他人が耐えてくれている自分の欠点のほうがはるかに多い。

(†心のデボーション03066)

† 心のデボーション 03067

「イエス『マリヤよ』と言ひ給ふ。マリヤ振反りて『ラボニ』(釋けば師よ)と言ふ」 ヨハネ20:16  大正文語訳聖書

「イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。」 口語訳聖書

 「復活のいのち」

復活のイエスに最初に出会ったのはマグダラのマリヤであった。彼女はすぐに弟子たちにイエスの復活を知らせたが、男たちは直ちには信じることができなかったようである。死と復活について、女性は男性よりずっと深くを知っている。男性はものごとを合理的に判断するが、女性は合理的なものを超えて深みに達するからである。男性はものを造るが、女性はいのちを宿す。男性は女性から死と復活のメッセージを学ぶ。

(†心のデボーション03067)

† 心のデボーション 03068

「我なんぢの涙を憶え、わが歡喜の滿ちん爲に汝を見んことを欲す。」 Ⅱテモテ1:4  大正文語訳聖書

「わたしは、あなたの涙をおぼえており、あなたに会って喜びで満たされたいと、切に願っている。」 口語訳聖書

 「あなたの涙をおぼえている」

聖徒は互いの「涙をおぼえている μεμνημένος σου τῶν δακρύων」。「覚えている μιμνῄσκομαι」は「思い起こす、忘れない」の意である。兄弟姉妹とは「同じ涙を流す者」のことである。(Ⅱテモテ1:4)

(†心のデボーション03068)

† 心のデボーション 03069

「幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん」 マタイ5:4 大正文語訳聖書

「悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる」 新共同訳聖書

 「悲しみの時代」

悲しみを表わす英語の「sad」の語源は「satiate =飽食する」である。「十分に満たされると飽きた(sated)気持ちになり、少し物悲しく(sad)なることである」(『シップリー英語語源辞典』)

「飽食の時代」とは「悲しみの時代」でもあるのだろうか。

(†心のデボーション03069)

† 心のデボーション 03070

「われ書を同じ信仰によりて我が眞實の子たるテトスに贈る。願はくは父なる神および我らの救主キリスト・イエスより賜ふ恩惠と平安と、汝にあらんことを。」 テトス1:4  大正文語訳聖書

「信仰を同じうするわたしの真実の子テトスへ。父なる神とわたしたちの救主キリスト・イエスから、恵みと平安とが、あなたにあるように。」 口語訳聖書

 「信仰を同じうするわたしの真実の子」

テトスはギリシャ人で異邦人であったが(ガラテヤ2:3)パウロの伝道によって救われ、パウロのよき同労者になった。パウロはテモテを「τιμοθέῳ γνησίῳ τέκνῳ ἐν πίστει· 信仰による私の真実の子」と呼ぶのと同様に、テトスを「τίτῳ γνησίῳ τέκνῳ κατὰ κοινὴν πίστιν 信仰を同じくするわたしの真実の子」と呼ぶ。信仰者の間には人種や民族の差別は一切存在しない。(テトス1:4)

(†心のデボーション03070)

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