心のデボーション306

デボーション1
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† 心のデボーション 03051

「神は大にして測りがたき事を行ひたまふ 其不思議なる事を爲たまふこと數しれず」 ヨブ5:9  明治元訳聖書

「彼は大いなる事をされるかたで、測り知れない、/その不思議なみわざは数えがたい。」 口語訳聖書

 「知恵のもたらす知識」

「〔知恵のもたらす知識は誰に示されたか。その豊かな道を誰が理解できたか。〕」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:7 フランシスコ会訳聖書 本節は底本には削除されている。Latin Vulgateによって挿入した)

知恵はすべての人にもたらされている。しかし、すべての人が知恵を理解するわけではない。知恵は意外な人にもたらされ、意外な人が理解するとしても驚くべきではない。神はそれを受けるに値しない器に知恵のもたらす知識を示され、心の貧しき者がそれを理解するからである。知恵の道は不思議の道である。

(†心のデボーション03051)

† 心のデボーション 03052

「あしき者はものかりて償はず 義きものは惠ありて施しあたふ」 詩篇37:21  明治元訳聖書

「悪しき者は物を借りて返すことをしない。しかし正しい人は寛大で、施し与える。」 口語訳聖書

 「借金」

昔から、借金の申し込みとそれを断わるのは難しい事とされてきた。この二つを上手にできれば「男も一人前」なのだそうである。どちらも気苦労で疲れる。しかし、現代の借金はボタンを押すだけにった。その気軽さが、「一人前の男」になる機会を奪っているのかもしれない。気軽に「借りられたもの」は、返さないことにも気軽でいられるもののようだ。

(†心のデボーション03052)

† 心のデボーション 03053

「御意のままにイエス・キリストに由り愛をもて己が子となさんことを定め給へり。」 エペソ1:5 大正文語訳聖書

「わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」 口語訳聖書

 「神の定め」

神はひとりひとりを「御旨のよしとするところに従い κατὰ τὴν εὐδοκίαν τοῦ θελήματος αὐτοῦ」、「イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと」あらかじめ定めてくださった。神はそうされる資格のない者をみ旨のよしとするままに、愛をもって神の子と定め給うのである。

(†心のデボーション03053)

† 心のデボーション 03054

「是なんぢら初の日より今に至るまで、福音を弘むることに與るが故なり。」 ピリピ1:5  大正文語訳聖書

「あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している。」 口語訳聖書

 「福音にあずかる」

パウロはピリピの信徒たちのことを思うごとに神に感謝し(ピリピ1:3)、感謝の内容を1:5に記す。それは彼らが福音を伝えられた「最初の日から、今日にいたるまで」、彼らと共に「福音にあずかる ἐπὶ τῇ κοινωνίᾳ ὑμῶν εἰς τὸ εὐαγγέλιον」ことができたことである。「福音にあずかる ἐπὶ τῇ κοινωνίᾳ ὑμῶν εἰς τὸ εὐαγγέλιον」の直訳は「福音の中にあなたとの交わりの故に」となり、神のことばを広げる福音に共にあずかり、共に担うことを成らせ給う神への感謝と喜びの告白である。(ピリピ1:5)

(†心のデボーション03054)

† 心のデボーション 03055

「平和の繋のうちに勉めて御靈の賜ふ一致を守れ。」 エペソ4:3  大正文語訳聖書

「平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。」 口語訳聖書

 「平和のきずな」

アメリカの言語学者デボラ・タネンの調査によると、ドライブで道を間違えた時、女性が男性に間違いを指摘すると、男性が女性にする場合よりもはるかにこじれる場合が多かったそうである。男性は女性よりも、間違いを指摘されることに弱い。「道を間違えたけど、新しい風景を見られたからよかったわ」などといってもらえれば嬉しい。男性はいつでも「平和のきずな」で結ばれていたいのである。

(†心のデボーション03055)

† 心のデボーション 03056

「我は汝らの衷に善き業を始め給ひし者の、キリスト・イエスの日まで之を全うし給ふべきことを確信す。」 ピリピ1:6  大正文語訳聖書

「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。」 口語訳聖書

 「善き業」

わたしたちのうちに「善い業 ἔργον ἀγαθὸν」を「はじめられた ἐνάρχομαι」神は、「キリスト・イエスの日までに ἄχρι ἡμέρας χριστοῦ ἰησοῦ」、それを「完成 ἐπιτελέω」してくださる。「完成ἐπιτελέω」は「仕上げる、終える」の意味である。善きことを起こし給う神は仕上げまで共におられる。(ピリピ1:6)

(†心のデボーション03056)

† 心のデボーション 03057

「惡を離るるは直き人の路なり おのれの道を守るは霊魂を守るなり」 箴言16:17  明治元訳聖書

「悪を離れることは正しい人の道である、自分の道を守る者はその魂を守る。」 口語訳聖書

 「洗脳願望」

洗脳されたがる人が少なくない時代なのかもしれない。洗脳の結果が何であれ、自分というものが感じられるのなら、その方がずっと良いと思うのだろうか。それほどに心が空虚なのだ。しかし、それは魂を失うかもしれない危険な誘惑である。心がどんなに空虚でも、そのむなしさを「監視する」ことである。「いのちの泉」は心からしか沸き上がることがない。(箴言4:23)

(†心のデボーション03057)

† 心のデボーション 03058

「この福音は全世界にも及び、果を結びて増々大になれり。汝らが神の恩惠をききて眞に之を知りし日より、汝らの中に然りしが如し。」 コロサイ1:6  大正文語訳聖書

「そして、この福音は、世界中いたる所でそうであるように、あなたがたのところでも、これを聞いて神の恵みを知ったとき以来、実を結んで成長しているのである。」 口語訳聖書

 「福音の成長」

福音は「世界中いたる所で ἐν παντὶ τῶ κόσμῳ」、「実を結んで成長している καρποφορούμενον καὶ αὐξανόμενον」。「成長 αὐξάνω」は「増加・成長・発展」である。世界の何時、何処であっても、福音は自ら結実し、増加、発展する。「私」において、福音の届かないところはない。(コロサイ1:6)

(†心のデボーション03058)

† 心のデボーション 03059

「幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん」 マタイ5:4 大正文語訳聖書

「悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる」 新共同訳聖書

 「ユーモアへの意志」

ラテン語の格言に「Difficile est tristi fingere mente jocum 悲しみの心で冗談を作ることは困難である」という。「悲しみの心から冗談は生まれない」くらいの意味か。V・Eフランクルはアウシュビッツで一緒に働いていた外科医の友人と、少なくとも一日に一つ愉快な話をみつけることをお互いの義務にしようと提案した。それをフランクルは「ユーモアへの意志」と呼んでいる。(V・Eフランクル『夜と霧』) 悲しみの心で冗談を作ることは困難であるが、不可能ではない。

(†心のデボーション03059)

† 心のデボーション 03060

「かくて汝らは大なる患難のうちにも、聖靈による喜悦をもて御言をうけ、我ら及び主に效ふ者となり、」 Ⅰテサロニケ1:6  大正文語訳聖書

「そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり、」 口語訳聖書

 「聖霊による喜び」

「多くの患難」を耐える力は「聖霊による喜び χαρᾶς πνεύματος ἁγίου」から来る。「聖霊による喜び(聖霊による感動された喜び)」をもって御言葉を受け入れよ。この喜び(χαρά )は神の御言葉から来る。(Ⅰテサロニケ1:6)

(†心のデボーション03060)

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