† 心のデボーション 03041
「我は福音を恥とせず、この福音はユダヤ人を始めギリシヤ人にも、凡て信ずる者に救を得さする神の力たればなり。」 ロマ1:16 大正文語訳聖書
「わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。」 口語訳聖書
「知恵の根源」
「知恵の根はたれに啓示せられしや。その賢明なるはかりごとを知る者はたれぞ。ῥίζα σοφίας τίνι ἀπεκαλύφθη καὶ τὰ πανουργεύματα αὐτῆς τίς ἔγνω」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:6 日本聖公会訳) 「知恵の根 ῥίζα σοφίας」の「根 ῥίζα」は「根」または「根株から生える芽生え」を意味する。「知恵の根源 ῥίζα σοφίας」はキリストである。(ロマ1:16~17
(†心のデボーション03041)
† 心のデボーション 03042
「たれかおのれの過失をしりえんや ねがはくは我をかくれたる愆より解放ちたまへ」 詩篇19:11 明治元訳聖書
「あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。これらを守れば、大いなる報いがある。」 口語訳聖書
「微妙なずれ」
どんなにつつしみ深くても、心の底で自分は間違っていないと思うのが自然でろう。しかし、そこに現実との微妙なずれが見えなくなるという落とし穴がある。自分が間違っている可能性はいつでもあるという心の余裕があれば、小さなずれはすぐにわかる。悟り切れない、隠された「数々のあやまち」を主が教えて下さるからである。ただし、小さなずれはすぐに修正しょうとしない姿勢も大切にしたい。そこにも大切な意味が含まれていることが少なくないからである。
(†心のデボーション03042)
† 心のデボーション 03043
「此の預言の言を讀む者と之を聽きて其の中に録されたることを守る者どもとは幸福なり、時近ければなり。」 黙示1:3 大正文語訳聖書
「この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。」 口語訳聖書
「時が近づいている」
終末の証しは、「時の接近」である。「時が近づいている καιρὸς ἐγγύς」。「近づく ἐγγύς」は「近い、目前に迫っている」の意味である。神のみことばに聞く人は近づきつつある時を見失うことはない。(黙示1:3)
(†心のデボーション03043)
† 心のデボーション 03044
「我等その御名の爲にもろもろの國人を信仰に從順ならしめんとて、彼より恩惠と使徒の職とを受けたり。」 ロマ1:5 大正文語訳聖書
「わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのであり、」 口語訳聖書
「異邦人の耳」
イエス・キリストの福音は「すべての異邦人 ἐν πᾶσιν τοῖς ἔθνεσιν」に伝えられる。「異邦人」である我らは、「内なる異邦人」に向けて福音を語らなければならない。異邦人の耳をもって福音を聞かねばならない。それを成し遂げるのは聖霊である。(ロマ1:5)
(†心のデボーション03044)
† 心のデボーション 03045
「是故に人は其父母を離れて其妻に好合ひ二人一體となるべし」 創世記2:24 明治元訳聖書
「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。」 口語訳聖書
「ふたりは一体となる」
結婚して、これでこの人は私のものと考えるのは大きな誤解というしかない。たしかに、聖書は結婚を祝福し「ふたりは一体となる」と語る。直訳では「ふたりは一つの肉になる」である。それは「あなたはわたしではない、しかし二人は一つ」ということではないか。お互いの違いをはっきりさせることは愛を壊さない。互いの違いを許さない愛が互いを壊す。
(†心のデボーション03045)
† 心のデボーション 03046
「これキリストの證なんぢらの中に堅うせられたるに因る。」 Ⅰコリント1:6 大正文語訳聖書
「キリストのためのあかしが、あなたがたのうちに確かなものとされ、」 口語訳聖書
「豊かさの証明」
あなたがたの「ことばといい、知識といい」すべてが豊かにされたのは、「キリストのためのあかし 」が、確かなものとされたからである。(Ⅰコリント1:5~6)「あかし μαρτύριον 」は「証明、証拠」の意である。「ことばと知識」の豊かさを証明するのは、内なるキリストである。(Ⅰコリント1:6)
(†心のデボーション03046)
† 心のデボーション 03047
「父の我を愛し給ひしごとく、我も汝らを愛したり、わが愛に居れ。」 ヨハネ15:9 大正文語訳聖書
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。」 口語訳聖書
「見られる不安」
自分だけならどうということもないのに、他人に知られると悩みになることがある。 それがこうじると自分の秘密が他人にもれていると感じたり、いつもどこかに自分を窺う「視線」を感じるようになることもある。もっと自分に寛容であっていいのではないか。少しくらいの失敗や欠点があっても人は生きていける。神はそういう弱さを知った上で、あなたを愛しておられる。
(†心のデボーション03047)
† 心のデボーション 03048
「そはキリストの苦難われらに溢るる如く、我らの慰安も亦キリストによりて溢るればなり」 Ⅱコリント1:5 大正文語訳聖書
「それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。」 口語訳聖書
「満ち溢れる慰め」
苦難の満ち溢れる(περισσεύω)ところに、慰めも満ち溢れる(περισσεύω)。「満ち溢れる περισσεύω」は「充分にありあまる、溢れ出る、増し加えられる」の意味である。苦難と同量の慰めがキリストから溢れ出る。(Ⅱコリント1:5) 「罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた」(ロマ5:20 口語訳聖書
(†心のデボーション03048)
† 心のデボーション 03049
「幸福なるかな、悲しむ者。その人は慰められん」 マタイ5:4 大正文語訳聖書
「悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる」 新共同訳聖書
「心の底から泣く者」
「心の底から泣く者は、そのとき不思議と、どこかに助けがあるように感じます」「心より泣くことは、それだけですてに慰めであります」(ホイヴェルス神父『日本人への贈り物』)
(†心のデボーション03049)
† 心のデボーション 03050
「此は福音と言ふべき者にあらず、ただ或人々が汝らを擾してキリストの福音を變へんとするなり。」 ガラテヤ1:7 大正文語訳聖書
「それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。」 口語訳聖書
「向きを変えるもの」
異なる福音とは、キリストの福音を曲げようとするもので、福音というべきものではない。「曲げる μεταστρέφω」は「反対の方向に向きを変える、ひっくり返す」の意味である。もっともらしい詭弁をもって巧みに神の言葉の向きを変える。福音に聞く者は「聞き分ける者」である。(ガラテヤ1:7)
(†心のデボーション03050)
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