心のデボーション304

デボーション1
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† 心のデボーション 03031

「御子は神の榮光のかがやき、神の本質の像にして、己が權能の言をもて萬の物を保ちたまふ。また罪の潔をなして、高き處にある稜威の右に坐し給へり」 ヘブル1:3  大正文語訳聖書

「御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。」 口語訳聖書

 「御言葉によって」

万物は神の「彼〔キリスト〕の力ある言葉  τῶ ῥήματι τῆς δυνάμεως αὐτοῦ」によって保たれている。(ヘブル1:3)「王の言葉は決定的である。だれが彼に「あなたは何をするのか」と言うことができようか。」(伝道8:4  口語訳聖書)「保つ φέρω」は「運ぶ、担う」を意味し、万物は神の力ある言葉に担われ(運行)される。

(†心のデボーション03031)

† 心のデボーション 03032

「我は柔和にして心卑ければ、我が軛を負ひて我に學べ、さらば靈魂に休息を得ん。」 マタイ11:29  大正文語訳聖書

「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」 口語訳聖書

 「弦をゆるめる」

「安らぎ ἀνάπαυσις 」は、「竪琴の弦をゆるめる」ということばからきている。琴は使用しない間、弦をゆるめて「休ませ」る。琴は弦をゆるめ、力を抜き、静かに待つ。とらわれを解き放つには何もしないことである。何もしないで、内に充ちてくるものを待つ。安らぎが聴くのは美しく透明な響きである。琴がもう響かなくなったのは、弦をゆるめるのを怠ったからかもしれない。(マタイ11:29)

(†心のデボーション03032)

† 心のデボーション 03033

「そは汝らの信仰の驗は、忍耐を生ずるを知ればなり。」 ヤコブ1:3  大正文語訳聖書

「あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。」 口語訳聖書

 「信仰のためし」

「信仰のためし τὸ δοκίμιον ὑμῶν τῆς πίστεως」は無益ではない。それは「忍耐 ὑπομονή」を「生じ κατεργάζομαι」「させる。「生じる κατεργάζομαι」は「成し遂げる」の意味である。信仰のためしはことを成し遂げる力である。(ヤコブ1:3)

(†心のデボーション03033)

† 心のデボーション 03034

「汝らの爲に天に蓄へある、朽ちず汚れず萎まざる嗣業を繼がしめ給へり。」 Ⅰペテロ1:4  大正文語訳聖書

「あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。」 口語訳聖書

 「天の資産」

天には、あなたがたのための、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産が蓄えられている。あなたがたはその「受け継ぐ者 εἰς κληρονομίαν」である。「κληρονομία」は「相続財産」を意味し、「朽ちず汚れず、しぼむことのない資産」は天に死蔵されるのではなく、相続分として引き渡されたのである。(Ⅰペテロ1:4)

(†心のデボーション03034)

† 心のデボーション 03035

「各自おのが荷を負ふべければなり。」 ガラテヤ6:5  大正文語訳聖書

「人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。」 口語訳聖書

 「負うべき重荷」

人生には負うべき重荷と、負うべきでない重荷がある。そのところを区別できないと、やたらと重荷を引き受けてしまうことになる。それが又、心の葛藤を生む。体に不調を感じるとき、自分が負うべきでない重荷を負っていないか、よく調べる必要がある。負うべきでない重荷を下ろすにも悲しみが伴う。負うべきでないとはいえ、負い切れない自分が悲しいのである。十字架のイエスは、その悲しみをよく理解してくださる。

(†心のデボーション03035)

† 心のデボーション 03036

「その榮光と徳とによりて我らに貴き大なる約束を賜へり、これは汝らが世に在る慾の滅亡をのがれ、神の性質に與る者とならん爲なり。」 Ⅱペテロ1:4  大正文語訳聖書

「また、それらのものによって、尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、神の性質にあずかる者となるためである。」 口語訳聖書

 「世にある欲を免れ」

神はわたしたちが「世にある欲のために滅びることを免れ ἀποφυγόντες τῆς ἐν τῶ κόσμῳ ἐν ἐπιθυμίᾳ φθορᾶς」、「神の性質にあずかる者となる τούτων γένησθε θείας κοινωνοὶ φύσεως」と約束された。滅びにつながる「欲」から解放されるには、人は「神の性質にあずかる者」となる道しかない。(Ⅱペテロ1:4)「神の本性 φύσις」は「神の本性、性質」である。人間は「神のかたち」に創造された。(創世記1:27)

(†心のデボーション03036)

† 心のデボーション 03037

「我らの見しところ聞きし所を汝らに告ぐ、これ汝等をも我らの交際に與らしめん爲なり。我らは父および其の子イエス・キリストの交際に與るなり。」 Ⅰヨハネ1:3  大正文語訳聖書

「すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。」 口語訳聖書

 「聖徒の交わり」

キリストにある人はひとりではない。彼は「聖徒たちとの交わり κοινωνία」の中にあり、その交わりにあずかる。「聖徒の交わり κοινωνία」は「御子イエス・キリストとの交わり κοινωνία」である。キリストにある人は「交わりの連鎖」の内にある。(Ⅰヨハネ1:3)

(†心のデボーション03037)

† 心のデボーション 03038

「ヱホバその寶の蔵なる天を啓き雨をその時にしたがびて汝の地に降し汝の手の諸の行爲に祝福をたまはん汝は許多の國々の民に貸ことをなすに至らん借ことなかるべし」 申命記28:12  明治元訳聖書

「主はその宝の蔵である天をあなたのために開いて、雨を季節にしたがってあなたの地に降らせ、あなたの手のすべてのわざを祝福されるであろう。あなたは多くの国民に貸すようになり、借りることはないであろう。」 口語訳聖書

 「天の窓」

変えられないものは、そのまま受入れるしかない。その時大切なのは、心の中にそれを受け入れる場所をつくることである。祈りは、変えられないものを変えようとするよりも、変えられないものを受け入れる場所を自分の内につくる。その時、「天の窓」も開かれ、恵みの倉から時にかなって恵みの雨が心にそそがれる。そして「変えられないもの」から芽が出て美しい花を咲かすのである。

(†心のデボーション03038)

† 心のデボーション 03039

「幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり」マタイ5:3 大正文語訳聖書

「自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人のものだからである」 フランシスコ会訳聖書

 「貧しい限りの自分」

出会いにはある程度自分をさらけ出す必要がある。その時、表現したいのは「さらけ出すに足りる自分」ではなく、「貧しい限りの自分」である。貧しくても、まぎれもなく生きている自分であり、それでこそ互いの心が響き合う。自分の貧しさを知るものだけが人と共に生きることができる。互いの心の貧しさを受け入れ、それでもいのちへの慈しみが失われない、そこに「天の御国」がある。

(†心のデボーション03039)

† 心のデボーション 03040

「そは敬虔ならずして我らの神の恩惠を好色に易へ、唯一の主なる我らの主イエス・キリストを否むものども潜り入りたればなり。彼らが此の審判を受くべきことは昔より預じめ録されたり。」 ユダ1:4  大正文語訳聖書

「そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。」 口語訳聖書

 「不信仰」

不信仰とは信仰が足りないことではない。誤った教えを信じることである。「誤った信仰」は心がイエス・キリストから離れるのですぐに分かる。不信仰は人の心に「密かに忍び込んで παρεισδύω(こっそりと潜り込む)」。(ユダ1:4)

(†心のデボーション03040)

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