† 心のデボーション 02991
「書を我が愛する子テモテに贈る。願はくは父なる神および我らの主キリスト・イエスより賜ふ、恩惠と憐憫と平安と汝に在らんことを。」 Ⅱテモテ1:2 大正文語訳聖書
「愛する子テモテへ。父なる神とわたしたちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安とが、あなたにあるように。」 口語訳聖書
「懇ろないたわり」
パウロはテモテに「神とわたしたちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安とが、あなたにあるように。」と祈る。「あわれみ ἔλεος エれオス」は「同情、慈悲、善意」を意味し、「いたわり」である。神が懇ろに労わってくださるように願うがよい。(Ⅱテモテ1:2)
(†心のデボーション02991)
† 心のデボーション 02992
「長子エサウの此言リベカに聞えければ季子ヤコブを呼よせて之に言けるは汝の兄エサウ汝を殺さんとおもひて自ら慰む」 創世27:42 明治元訳聖書
「しかしリベカは長子エサウのこの言葉を人づてに聞いたので、人をやり、弟ヤコブを呼んで言った、「兄エサウはあなたを殺そうと考えて、みずから慰めています。」 口語訳聖書
「うっぷんを晴らす」
エサウは弟ヤコブを殺して「うっぷんを晴らそう」とする。ヘブル語の「うっぷんを晴らす」は「自分を慰める」である。さしずめ日本語の「はらいせ」にあたる。「いせ」は「癒す」で、「腹を癒す」になる。LXXは ἀπειλέω 「おどす、脅迫する」である。うっぷんを晴らす行為は、それで自分を慰め、痛みを癒そうとする点で万国共通である。しかし、うっぷんを晴らすことで腹が癒されることは絶対にないという点で、これも万国共通である。(創世27:42)
(†心のデボーション02992)
† 心のデボーション 02993
「僞りなき神は、創世の前に、この生命を約束し給ひしが、」 テトス1:2 大正文語訳聖書
「偽りのない神が永遠の昔に約束された永遠のいのちの望みに基くのである。」 口語訳聖書
「偽りなき神」
神は「偽りなき神 ὁ ἀψευδὴς θεὸς」である。「偽りなき ἀψευδής」は「虚偽かない、欺きのない、嘘をつかない」を意味する。「永遠のいのちの約束」は、けっして欺かれることのない望みである。(テトス1:2 )
(†心のデボーション02993)
† 心のデボーション 02994
「我らの姉妹アピヤ、我らと共に戰鬪をなせるアルキポ及び汝の家にある教會に贈る。」ピレモン1:2 大正文語訳聖書
「姉妹アピヤ、わたしたちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。」 口語訳聖書
「姉妹アピヤ」
「姉妹アピヤ ἀπφίᾳ τῇ ἀδελφῇ」はピレモンの妻と思われる。ピレモンはアクラとプリスキラ夫妻(使徒18:2)とともに、夫婦で家の教会に仕える幸いを得た一人であった。(ピレモン1:2)
(†心のデボーション02994)
† 心のデボーション 02995
「なんぢの聖言はわがあしの燈火わが路のひかりなり」 詩篇119:105 明治元訳聖書
「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」 口語訳聖書
「本当の読み方」
ある人が聖書に知恵のことばをみつけようとして、目をつぶり、適当な頁を開いて、指を落としてみた。すると、ユダは「外に出ていって、首をつった」と書かれていた。これはいかんと、慌ててやり直してみると、今度は「あなたも行って同じようにしなさい」という聖句だったそうである。あまりに出来すぎた話で、俄には信じがたい話ではあるが、この人は聖書の本当の読み方を知ったそうである。しかし、それがどういう読み方だったのかは定かではない。ご存じの方は、教えてくだされば幸いである。
(†心のデボーション02995)
† 心のデボーション 02996
「この末の世には御子によりて、我らに語り給へり。神は曾て御子を立てて萬の物の世嗣となし、また御子によりて諸般の世界を造り給へり。」 ヘブル1:2 大正文語訳聖書
「この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。」 口語訳聖書
「万物の相続者」
「神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。」(ヘブル1:2) 神は人間を創造されたとき、「万物」を「その足の下に服従させて下さった」(ヘブル2:8 口語訳聖書) しかし、人間は「万物」を従わせることが出来なかった。その故に神はイエス・キリストを「万物の相続者と定め」、「御子によって、もろもろの世界を造られた。」のである。人間の苦悩や死の不安など「すべての事象、事柄」、すなわち「万物」はイエス・キリストによって、再び人の「足の下に従わせられる」。
(†心のデボーション02996)
† 心のデボーション 02997
「わが兄弟よ、なんぢら各樣の試錬に遭ふとき、只管これを歡喜とせよ。」 ヤコブ1:2 大正文語訳聖書
「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。」 口語訳聖書
「神からの試練」
「試練 πειρασμός ペイラスモス」には「試練、誘惑」の二つの意味がある。喜ぶべき試練と、警戒すべき誘惑を混同してはならない。同じ一つの経験が「試練」とも「誘惑」ともなることもある。喜ぶべき試練とは忍耐を生み、成長を遂げさせる神からの試練である。(ヤコブ1:2)
(†心のデボーション02997)
† 心のデボーション 02998
「讃むべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神、その大なる憐憫に隨ひ、イエス・キリストの死人の中より甦へり給へることに由り、我らを新に生れしめて生ける望を懷かせ、」 Ⅰペテロ1:3 大正文語訳聖書
「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、」 口語訳聖書
「生ける望」
「生ける望 ἐλπίδα ζῶσαν」とはイエス・キリストの復活により「わたしたちを新たに生れさせ(る)」希望のことである。「失われることのないいのち」こそが、われらの「望み ἐλπίς エるピス(霊的希望)」である。(Ⅰペテロ1:3)
(†心のデボーション02998)
† 心のデボーション 02999
「幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり」マタイ5:3 大正文語訳聖書
「自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人のものだからである」 フランシスコ会訳聖書
「貧しさの幸せ」
まだ自分はつかんでいないと思う。そう思える幸せがある。そう思えることの幸せに今日気づいた。
(†心のデボーション02999)
† 心のデボーション 03000
「キリストの神たる能力は、生命と敬虔とに係る凡てのものを我らに賜へり。是おのれの榮光と徳とをもて召し給へる者を我ら知るに因りてなり。」 Ⅱペテロ1:3 大正文語訳聖書
「いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。それは、ご自身の栄光と徳とによって、わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである。」 口語訳聖書
「いのちと信仰」
「いのちと信仰」にかかわるすべてのことは主イエス・キリストにあり、存在の根源である神を知る知識に至らしめる。これにより人はへりくだりをもって生きるいのちの祝福を学ぶ。
(†心のデボーション03000)
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