心のデボーション299

デボーション1
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† 心のデボーション 02981

「われ汝らを憶ふごとに、我が神に感謝し」 ピリピ1:3  大正文語訳聖書

「わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し」 口語訳聖書

 「主にある交わり」

パウロは信徒との深い交わりをもっていた。「あなたがたを思う μνεία」は「思い起こす」の意味である。パウロは「あなたがたのことを思わぬ時はなく」(ロマ1:9 新改訳聖書)、思い起こすときはいつも、神に感謝したのである。(ピリピ1:3)

(†心のデボーション02981)

† 心のデボーション 02982

「何ゆゑ兄弟の目にある塵を見て、己が目にある梁木を認めぬか。」 ルカ6:41  大正文語訳聖書

「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。」 口語訳聖書

 「他人の欠点」

他人の欠点が気になってしかたがないことがある。他人に見ている欠点が、実は自分自身の内にある「もう一人の自分」なのである。まさかと思わずに、嫌悪している欠点と同質のものが自分にないか点検してみる 。自分の欠点を他人に移して、それを攻撃することで欠点を認めるつらさから逃げているのかもしれない。問題は他人ではなく自分にある。そのことがわかれば、他人への執拗な攻撃はなくなる。

(†心のデボーション02982)

† 心のデボーション 02983

「なんぢ眞實をこころの衷にまでのぞみ わが隠れたるところに智慧をしらしめ給はん」 詩篇51:6 明治元訳聖書

「見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。」 口語訳聖書詩篇

 「すべてに先立つ知恵」

「知恵は、他のすべてのものに先立って造られ、その悟る力も、永遠の昔から存在している。προτέρα πάντων ἔκτισται σοφία καὶ σύνεσις φρονήσεως ἐξ αἰῶνος 」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:4 新共同訳聖書) 「造られ ἐκτίκτω」は「生み出す」の意である。神はすべてに先立って、まず「知恵」を創造され、それを悟る力を知恵とともに置かれた。

(†心のデボーション02983)

† 心のデボーション 02984

「これキリスト・イエスを信ずる汝らの信仰と、凡ての聖徒に對する汝らの愛とにつきて聞きたればなり。」 コロサイ1:4 大正文語訳聖書

「これは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対していだいているあなたがたの愛とを、耳にしたからである。」 口語訳聖書

 「信仰と愛」

信仰と愛は切り離すことができない。愛のない信仰も、信仰のない愛も神からのものではない。信仰と愛が一つに結ばれるのはイエス・キリストにおいてである。

(†心のデボーション02984)

† 心のデボーション 02985

「すなはち神富と財と貴を人にあたへて その心に慕ふ者を一件もこれに缺ることなからしめたまひながらも 神またその人に之を食ふことを得せしめたまはずして 他人のこれを食ふことあり 是空なり惡き疾なり」 伝道6:2 明治元訳聖書

「すなわち神は富と、財産と、誉とを人に与えて、その心に慕うものを、一つも欠けることのないようにされる。しかし神は、その人にこれを持つことを許されないで、他人がこれを持つようになる。これは空である。悪しき病である。」 口語訳聖書

 「欠けを楽しむ」

望めばそのまま実現し、「何一つ欠けたもののない人」もいる。しかし、神はしばしば、「それを楽しむこと」を許されない。楽しむことができる人は、望みを楽しみ、欠けを楽しむ。「何一つ欠けたもののない人生」というのは意外とつまらないかもしれない。どちらかを選ばなければならないとしたら、欠けたままの人生で望みに生きる方を選びたい。人は欠けたままで幸せになれるのである。

(†心のデボーション02985)

† 心のデボーション 02986

「神に愛せらるる兄弟よ、また汝らの選ばれたることを知るに因りてなり。」 Ⅰテサロニケ1:4 大正文語訳聖書

「神に愛されている兄弟たちよ。わたしたちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っている。」 口語訳聖書

 「より抜きの者」

神に愛されたた者は「神に選ばれた者 τὴν ἐκλογὴν ὑμῶν」である。「選び ἐκλογή」は「より抜きの、特選の」を意味する。神は選ばれるに値しない者を「より抜きの者」として選ばれる。人が誇らないためである。(Ⅰテサロニケ1:4)

(†心のデボーション02986)

† 心のデボーション 02987

「斯く言ひてのち、聲高く『ラザロよ、出で來れ』と呼はり給へば」 ヨハネ11:43 大正文語訳聖書

「こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。」 口語訳聖書

 「甦り」

イエス・キリストは死んで、もう臭くなったラザロを生き返らせられる。死んだ者が生き返るのが奇蹟なら、私はそのような奇蹟を求めない。生き返ったラザロも、やがて再び、死ぬ。朽ちていくいのちに意味を見つけるのが奇蹟なら、私はそれを奇蹟と信じる。いのちの意味は決して失われることはない。ラザロは、それまでのラザロではなく、新しいラザロとして甦ったのである。

(†心のデボーション02987)

† 心のデボーション 02988

「兄弟よ、われら汝等につきて常に神に感謝せざるを得ず、これ當然の事なり。そは汝らの信仰おほいに加はり、各自みな互の愛を厚くしたればなり。」 Ⅱテサロニケ1:3 大正文語訳聖書

「兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神に感謝せずにはおられない。またそうするのが当然である。それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互の間に増し加わっているからである。」 口語訳聖書

 「大いなる成長」

パウロはテサロニケ教会の信徒たちの信仰が「大いに成長している」のを深く喜ぶ。「大いに成長 ὑπεραυξάνω」は「非常に大きく増大する」の意である。からし種の譬えのごとく、信仰は小さくても成長しどんなものよりも大きく育つ。(マタイ13:31~32 Ⅱテサロニケ1:3)

(†心のデボーション02988)

† 心のデボーション 02989

「幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり」マタイ5:3 大正文語訳聖書

「自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人のものだからである」 フランシスコ会訳聖書

 「貧者の一灯」

私が聖書学塾に入校するとき、それまで下宿していた大家の老婦人がお祝いの包を持たせて送り出してくれた。その封筒には「貧者の一灯」と墨書されていた。阿闍世王が釈迦を招待したとき、釈迦の帰る道を、たくさんの灯火でともした。それを見た貧しい老婆が、なんとかお金を工面し、やっと一本の灯火をともすことができた。阿闍世王がともしたたくさんの灯火が消えた後も、老婆の灯火は朝になっても消えなかったという。貧しい人の「一灯」はなんと美しいものだろうか。

(「貧者の一灯」をマルコ12:42「レプタ二枚 λεπτὰ δύο」から英語で「the widow’s mite」という。「mite」は小銭のことである。

マタイ5:5「柔和な人 πραΰς プラゆス」は「温和な、柔和な、穏やかな、素直な、優しい、おとなしい、忍耐強い、辛抱強い」人のことである。ラテン語 mites「穏やかな、柔和に」である)

(†心のデボーション02989)

† 心のデボーション 02990

「書を信仰に由りて我が眞實の子たるテモテに贈る。願はくは父なる神および我らの主キリスト・イエスより賜ふ恩惠と憐憫と平安と、汝に在らんことを。」 Ⅰテモテ1:2 大正文語訳聖書

「信仰によるわたしの真実な子テモテへ。父なる神とわたしたちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安とが、あなたにあるように。」 口語訳聖書

 「ほんとうの子」

パウロは若いテモテに「わたしの真実な子 τιμοθέῳ γνησίῳ τέκνῳ ἐν πίστει」と呼びかける。「真実の子 γνήσιος」は「正妻から生まれた嫡出子」の意味に用いられる、「本当(ほんもの)の子」である。パウロは信仰の子テモテを「正当な信仰から生まれたほんものの子」と呼ぶのである。(Ⅰテモテ1:2)

(†心のデボーション02990)

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