心のデボーション298

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† 心のデボーション 02971

「胸の中の智慧は誰が與へし者ぞ 心の内の聰明は誰が授けし者ぞ」 ヨブ38:36 明治元訳聖書

「雲に知恵を置き、/霧に悟りを与えたのはだれか。」 口語訳聖書

 「事のはじめに」

「知恵はすべてのものの前に造られ、賢き悟りはとこしえの昔よりあり。προτέρα πάντων ἔκτισται σοφία καὶ σύνεσις φρονήσεως ἐξ αἰῶνος 」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:3 日本聖公会訳聖書) すべての出来事に先立つ知恵がある。事の前に事を導く知恵を得よ。誤った知恵に導かれる成功は幸せをもたらさない。

† 心のデボーション 02972

「仁慈と眞實とを汝より離すことなかれ 之を汝の項にむすび これを汝の心の碑にしるせ」 箴言3:3  明治元訳聖書

「いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。」 口語訳聖書

 「心の板に書きしるす」

書くという行為には発見がある。日常の出来事や子どもとの会話でも、書いているうちに意味不明のものがつながって一つの物語になる。この物語がどう展開していくか、明日が楽しみになる。自分の深くをさらしてみると、そこに神の「恵みとまこと」が現われてくる。それを「首に結び」、「心の板に」に刻む。書くことが苦しみだけになることもある。それでも人は、神と出会いたくて書くのであろう。

† 心のデボーション 02973

「書をコリントに在る神の教會、即ちいづれの處にありても、我らの主、ただに我等のみならず彼らの主なるイエス・キリストの名を呼び求むる者とともに、聖徒となるべき召を蒙り、キリスト・イエスに在りて潔められたる汝らに贈る。」 Ⅰコリント1:2 大正文語訳聖書

「コリントにある神の教会、すなわち、わたしたちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々と共に、キリスト・イエスにあってきよめられ、聖徒として召されたかたがたへ。このキリストは、わたしたちの主であり、また彼らの主であられる。」 口語訳聖書

 「イエスの聖名を呼び求める」

信仰は「いたるところで σὺν πᾶσιν」神を求める。神を求める人は「いたるところで主イエス・キリストの聖名を呼び求める」。「いたるところ σὺν πᾶσιν」は「すべての時と場所」を指す。身におこるすべてのことにイエス・キリストの聖名を呼び求めよ。

† 心のデボーション 02974

「讃むべき哉、われらの主イエス・キリストの父なる神、即ちもろもろの慈悲の父、一切の慰安の神、」 Ⅱコリント1:3 大正文語訳聖書

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。」 口語訳聖書

 「憐れみと慰めの神」

神は「あわれみ深き父 ὁ πατὴρ τῶν οἰκτιρμῶν」であり、「慰めに満ちたる神 θεὸς πάσης παρακλήσεως」である。「憐れみ οἰκτιρμός」は「深い憐れみ、深い慈悲」の意味であり、神は人の弱さを退け給わない。「慰め παράκλησις」は「傍らに呼び寄せる」で、神は弱き者を深く憐れみ、傍らに呼び寄せ、慰められる。(Ⅱコリント1:3)

† 心のデボーション 02975

「凡ての事は汝らの益なり。これ多くの人によりて御惠の増し加はり、感謝いや増りて神の榮光の顯れん爲なり。」 Ⅱコリント4:15  大正文語訳聖書

「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」 口語訳聖書

 「感謝が満ちあふれる」

ある日本画の巨匠は「画家は紙や絵の具など絵を描く材料を、作る人のことを思い、感謝して使うべきだ」と語る。材料の一つを欠いても絵は描けない。絵の具一つにも、それを作る人の精魂が込められていると想像する心が、何でもない風景にも美しさを見て、それを描くことができるのであろう。感謝が満ちあふれるところにいのちが満ちあふれ、いのちの満ちあふれるところに神の栄光が満ちる。

† 心のデボーション 02976

「願はくは榮光、世々限りなく神にあらん事を、アァメン。」 ガラテア1:5  大正文語訳聖書

「栄光が世々限りなく神にあるように、アァメン。」 口語訳聖書

 「榮光、世々限りなく神にあらん事を」

「栄光が世々限りなく(εἰς τοὺς αἰῶνας τῶν αἰώνων·)神にあるように」、永井直治訳聖書「世々の世々に至るまで」、塚本虎二訳聖書「永遠より永遠に」、NKJV「orever and ever」と訳される。「世々の世々に至る栄光」は神にあり、キリスト者なそのもとにある。

† 心のデボーション 02977

「我民の滅ぶる日には汝その門に入べからず其滅ぶる日には汝その患難を見べからず 又その滅ぶる日には汝その財寳に手をかく可らず」 オバデヤ1:13 明治元訳聖書

「彼らの財宝はかすめられ、彼らの家は荒れはてる。彼らは家を建てても、それに住むことができない、ぶどう畑を作っても、そのぶどう酒を飲むことができない」 口語訳聖書

 「やっかいごと」

やっかいなことは手をつないでやってくるという。団体でご到着となれば、もうパニックである。          しかし、まとめて面倒をみようとなどしないことだ。ゆっくり、到着順に受けつけるがよい。             「やっかいごと」は、待たせると、そのうち手をつないで行ってしまうかもしれない。ただ、彼らを無視はしないことだ。邪険にされると居座る悪い性質があるからである。

† 心のデボーション 02978

「怠ることなく、信仰と耐忍とをもて約束を嗣ぐ人々に效はんことを求む。」 ヘブル6:12 大正文語訳聖書

「怠ることがなく、信仰と忍耐とをもって約束のものを受け継ぐ人々に見習う者となるように、と願ってやまない。」 口語訳聖書

 「魂の忍耐」

「人が自分や他人のうちに改めることのできぬことは、神がほかに定められるまで、辛抱強く耐え忍ぶべきである」(トマス・アケンピス『基督にならいて』より) 事に自分に関して人は辛抱強くあるべきである。

† 心のデボーション 02979

「幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり」マタイ5:3 大正文語訳聖書

「自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人のものだからである」 フランシスコ会訳聖書

 「魂に無一物の者」

真に羨むべきは、人をして真に人たらしめる能力に足りないと自ら知る者である。貧しく、尻込みし、身を屈め、求めて物乞いして歩く者、魂に無一物の者である。自分の内には、自分で満たすことのできないなにものかがあることに気づき、神との間にそれを見出し、求める者は幸いである。

† 心のデボーション 02980

「讃むべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神、かれはキリストに由りて靈のもろもろの祝福をもて天の處にて我らを祝し、」 エペソ1:3  大正文語訳聖書

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、」 口語訳聖書

 「霊のもろもろの祝福」

神は天において「霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福して」くださる。(エペソ1:3) 人か神の祝福を祈り求めるとき、すでに神は天上において「霊のもろもろの祝福 ἐν πάσῃ εὐλογίᾳ πνευματικῇ(キリストの内にあるあらん限りの霊的な祝福)」をもって祝福し給うと知れ。

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