心のデボーション297

デボーション1
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† 心のデボーション 02961

「願はくは神および我らの主イエスを知るによりて、恩惠と平安と汝らに増さんことを」 Ⅱペテロ1:2 大正文語訳聖書

「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。」 口語訳聖書

 「神と主イエスを知る」

「恵みと平安」は「神と主イエスを知ること ἐπιγινώσκω」によって、ますます豊かに加えられる。「ἐπιγινώσκω  エピギノースコー」は「知り尽くす」の意味である。神とイエスを「しかと見届け、目撃し、見分け、はっきり知って、悟る」ことである。(Ⅱペテロ1:2)神とイエスの体験は、「恵みと平安」をいや増す。

(†心のデボーション02961)

† 心のデボーション 02962

「さらば凡て人に爲られんと思ふことは、人にも亦その如くせよ。これは律法なり、預言者なり。」 マタイ7:12  大正文語訳聖書

「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。」 口語訳聖書

 「好意が通じないとき」

このみ言葉を実行するときには注意することがある。自分がそうされたら嬉しいことでも、相手がそれを喜ぶとは限らない。善意からしたことが悪意にとられることもある。人にはそれぞれ考えがあるのである。しかし、好意が通じないことを嘆く必要もない。拒絶の底にある心のつらさについて考えて見る。今は何もしないでそっと見守るのがその人の「して欲しい」ことなのかもしれない。

(†心のデボーション02962)

† 心のデボーション 02963

「太初より有りし所のもの、我等が聞きしところ、目にて見し所、つらつら視て手觸りし所のもの、即ち生命の言につきて、」 Ⅰヨハネ1:1 大正文語訳聖書

「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――」 口語訳聖書

 「いのちのことば」

人が求める「いのちのことば τοῦ λόγου τῆς ζωῆς」は、求めに先立って「太初 ὃ ἦν ἀπ᾽ ἀρχῆς」からあり、「耳で聞き、目で見、よく見て手で触る」ことができる。(Ⅰヨハネ1:1)

(†心のデボーション02963)

† 心のデボーション 02964

「イエス・キリストの僕にしてヤコブの兄弟なるユダ、書を召されたる者、すなはち父なる神に愛せられ、イエス・キリストの爲に守らるる者に贈る。」 ユダ1:1 大正文語訳聖書

「イエス・キリストの僕またヤコブの兄弟であるユダから、父なる神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人々へ。」 口語訳聖書

 「継続する信仰」

キリスト者は「神に愛され、イエス・キリストにまもられ、召された者」である。「イエス・キリストに守られ τηρέω  テレーオー」は「守り続ける、見守る、見定める、観察する」の意味である。神はイエス・キリストに対する信仰の継続を見守られる。いかなる困難にも継続する信仰は神からのものである。(ユダ1:1)

(†心のデボーション02964)

† 心のデボーション 02965

「嘲笑者を責むることなかれ 恐くは彼なんぢを惡まん 智慧ある者をせめよ 彼なんぢを愛せん」 箴言9:8  明治元訳聖書

「あざける者を責めるな、おそらく彼はあなたを憎むであろう。知恵ある者を責めよ、彼はあなたを愛する。」 口語訳聖書

 「知恵のある者を責めよ」

箴言は「あざける者はほっておき、知恵のある者を責めよ」と語る。「責める  יכח」は「論じる」の意味である。(LXX「ἔλεγχεως  納得させる(させられる)、説得する、非難する、責める」)「嘲る者とは論ずるな(ほっておけ)」、論じるなら「知恵ある者」とせよ。そうすれば彼はあなたを愛するだろう。「知恵ある者」は反対の説にも愛をもって耳を傾ける。(箴言9:8)

(†心のデボーション02965)

† 心のデボーション 02966

「これイエス・キリストの默示なり。即ち、かならず速かに起るべき事を、その僕どもに顯させんとて、神の彼に與へしものなるを、彼その使を僕ヨハネに遣して示し給へるなり。」 黙示1:1 大正文語訳聖書

「イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。」 口語訳聖書

 「黙示」

「黙示 ἀποκάλυψις アポカりゅプシス」はイエス・キリストについての「神の奧義(真理)の啓示」であり、それは「かならず速かに起るべき事」である。黙示1:1の最初のことば「ἀποκάλυψις ἰησοῦ χριστοῦ」がそのまま「ヨハネの黙示録」となったが、本来は「イエス・キリストの奧義(真理)の啓示 ἀποκάλυψις ἰησοῦ χριστοῦ」である。(黙示1:1)

(†心のデボーション02966)

† 心のデボーション 02967

「また寡婦らの家を呑み、外見をつくりて長き祈をなす。その受くる審判は更に嚴しからん」 マルコ12:40 大正文語訳聖書

「また、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」 口語訳聖書

 「見栄を飾る」

法律学者といわれる人々は「やもめの家をくいつぶし、見えを飾るために長い祈りをする」と非難されている。「見えを飾る πρόφασις」は「前に、照らす」ということばである。彼らは人々の「前」で、長くて立派な祈りで自分を「照ら」し、やもめの家を食いつぶしている自分を隠そうとした。「見栄」は自分を飾るだけでなく、都合の悪いものを隠すためにも使われる。こうなれば「見栄」も立派な罪です。(マルコ12:40)

(†心のデボーション02967)

† 心のデボーション 02968

「ヱホバをおそるるものにヱホバの賜ふそのあはれみは大にして 天の地よりも高きがごとし」 詩篇103:11 明治元訳聖書

「天が地よりも高いように、主がおのれを恐れる者に賜わるいつくしみは大きい、」 口語訳聖書

 「天が地よりも高いように」

「天の高さ、地の広さと深さ、深き淵、あまた知恵、たれかこれを探るを得ん ὕψος οὐρανοῦ καὶ πλάτος γῆς καὶ ἄβυσσον καὶ σοφίαν τίς ἐξιχνιάσει」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:3 日本聖公会訳聖書) 「天の高さ、地の広さと深さ、深き淵」を探る者は「神の知恵の高さ、広さ、深さ」に導かれる。

(†心のデボーション02968)

† 心のデボーション 02969

「幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり」マタイ5:3 大正文語訳聖書

「自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人のものだからである」 フランシスコ会訳聖書

 「無一物の者」

「心の貧しい者 οἱ πτωχοὶ τῷ πνεύματι」とは自らを「深い霊性を持たぬ」とする者である。生命エネルギーの源である「霊」の欠乏者「霊における無一物」を自覚する者である。「無一物の者」であるゆえに「強く求める」者である。「心の貧しき者」は「神を知らず、天を求めない者」との認識に至った信仰者のことである。「霊的深さ」とは自らの絶的な霊的貧困を自覚することにある。しかし霊的貧困を自覚するだけでは何ももたらさない。無一物であることによって、全体を所有し、全体はただちに人に無一物を告げる。この「深い求道」のありようを「幸い」という。

(†心のデボーション02969)

† 心のデボーション 02970

「御子は肉によれば、ダビデの裔より生れ、」 ロマ1:3 大正文語訳聖書

「御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、」 口語訳聖書

 「肉の形をとって」

主イエスは「肉によればκατὰ σάρκα」ダビデの子孫としてお生まれになった。「肉 σάρξ  サルクス」は「肉体、人間性」を意味する。

「律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。」ロマ8:3 口語訳聖書

主イエスは「肉の弱さ」を身にまとわれ、「罪の肉の形」にお生まれになった。それで、主は人の弱さ、罪の悲しみをご存知である。(ロマ1:3 ヘブル2:18)

(†心のデボーション02970)

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