心のデボーション295

デボーション1
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† 心のデボーション 02941

「願はくは父なる神および主イエス・キリストより賜ふ恩惠と平安と汝らに在らんことを。」 Ⅱテサロニケ1:2 大正文語訳聖書

「父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。」 口語訳聖書

 「恵みと平安」

「恵みと平安 χάρις ὑμῖν καὶ εἰρήνη」は「(父なる)神と主イエス・キリストから ἀπὸ θεοῦ πατρὸς [ἡμῶν] καὶ κυρίου ἰησοῦ χριστοῦ」来る。神に属する「恵みと平安」は、神から(離れて)人に向かって、継続的に(ἀπὸ)来る。

(†心のデボーション02941)

† 心のデボーション 02942

「我らの救主なる神と我らの希望なるキリスト・イエスとの命によりて、キリスト・イエスの使徒となれるパウロ、」 Ⅰテモテ1:1 大正文語訳聖書

「わたしたちの救主なる神と、わたしたちの望みであるキリスト・イエスとの任命によるキリスト・イエスの使徒パウロから、」 口語訳聖書

 「霊的希望」

「わたしたちの望みτῆς ἐλπίδος ἡμῶν」は「神による救い」に関するものである。(Ⅰテモテ1:1) 「望み ἐλπίς」はメシア(救い)に対する霊的希望を意味し、この希望は失望に終わることがない。(ロマ5:5)

(†心のデボーション02942)

† 心のデボーション 02943

「汝をおそるる者のためにたくはへ なんぢに依賴むもののために人の子のまへにてほどこしたまへる汝のいつくしみは大なるかな」 詩篇31:19  明治元訳聖書

「あなたを恐れる者のためにたくわえ、あなたに寄り頼む者のために/人の子らの前に施されたあなたの恵みは/いかに大いなるものでしょう。」 口語訳聖書

 「神の「いつくしみ」

神の「いつくしみ」は「なんと大きいことでしょう」と作者は賛美する。しかも、神は「いつくしみ」を、現わされる前に、あらかじめ「たくわえて」おられるという。神は、思いがけないところに「いつくしみ」を隠される。それは意外なところに隠されるので、見つけたときには、神のユーモアをさえ感じるかもしれない。そして、これが最善の道だったと知るのである。

(†心のデボーション02943)

† 心のデボーション 02944

「神の御意により、キリスト・イエスにある生命の約束に循ひて、キリスト・イエスの使徒になれるパウロ、」 Ⅱテモテ1:1 大正文語訳聖書

「神の御旨により、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって立てられたキリスト・イエスの使徒パウロから、」 口語訳聖書

 「いのちの約束」

パウロは「キリスト・イエスにあるいのちの約束に従って κατ᾽ ἐπαγγελίαν ζωῆς τῆς ἐν χριστῶ ἰησοῦ」召されて使徒となった。(Ⅱテモテ1:1) 「いのちの約束 ἐπαγγελίαν ζωῆς」とは、「わたし〔イエス・キリスト〕をつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである」(ヨハネ5:24  口語訳聖書) の主イエスの御言葉である。

(†心のデボーション02944)

† 心のデボーション 02945

「愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、」 Ⅰコリント13:4 大正文語訳聖書

「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。」 口語訳聖書

 「努力する人」

努力する人から見れば、たいして努力もしないのにうまくやれる人がねたましく思える。そこでつい、自分はこれだけ努力しているのだからあなたも努力すべきだとか、自分の努力はそれなりに報われて当然ではないかと考えてしまう。しかし、生まれつき器用な人もいれば、そうでない人もいる。器用であれ不器用であれ、それを自分として生きることだ。自分が自分であるためにそうするのである。

(†心のデボーション02945)

† 心のデボーション 02946

「神の僕またイエス・キリストの使徒パウロ――我が使徒となれるは、永遠の生命の望に基きて神の選民の信仰を堅うし、また彼らを敬虔にかなふ眞理を知る知識に至らしめん爲なり。」 テトス1:1  大正文語訳聖書

「神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから――わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた者たちの信仰を強め、また、信心にかなう真理の知識を彼らに得させるためであり、」 口語訳聖書

 「選びの僕」

パウロは自らを「神の僕 παῦλος δοῦλος θεοῦ(神の奴僕パウロ)と名乗り、書簡を「神に選ばれた者たち πίστιν ἐκλεκτῶν θεοῦ」に送る。「神に選ばれた者」は「神の奴僕(仕える者)」として「神に選ばれた ἐκλεκτός(選り抜きにされた、特選の)」のである。キリスト者はこの信仰に「κατά 循ふ」者である。 

(†心のデボーション02946)

† 心のデボーション 02947

「われ夜わが歌をむもひいづ 我わが心にてふかくおもひわが霊魂はねもころに尋ねもとむ」 詩篇77:6 明治元訳聖書

「わたしは夜、わが心と親しく語り、深く思うてわが魂を探り、言う、」 口語訳聖書

 「無理難題」

夜中に寝ている母親に子どもが「メシを作れ」、「フロをわかせ」といい、その通りにしないと暴力をふるう。子どもは親に無茶苦茶なことを突きつけて、どこまで自分を愛してくれるかを試すのである。ここまで耐えたらもういいといえないのが親と子の関係ではないか。逃げ出したり、放置することのできないところに身を置いて、相手と共に生きる道を探す。そこから「魂の問いかけ」がはじまります。夫婦の関係も同じではないか。愛はかくも厳しく試される。

(†心のデボーション02947)

† 心のデボーション 02948

「神の僕またイエス・キリストの使徒パウロ――我が使徒となれるは、永遠の生命の望に基きて神の選民の信仰を堅うし、また彼らを敬虔にかなふ眞理を知る知識に至らしめん爲なり。」 テトス1:1  大正文語訳聖書

「神の僕、イエス・キリストの使徒パウロから――わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた者たちの信仰を強め、また、信心にかなう真理の知識を彼らに得させるためであり、」 口語訳聖書

 「敬虔に導く信仰の知識」

「神の奴僕」に約束されるのは、「信心にかなう真理の知識 ἐπίγνωσιν ἀληθείας τῆς κατ᾽ εὐσέβειαν」である。「信心にかなう真理の知識 ἐπίγνωσιν ἀληθείας τῆς κατ᾽ εὐσέβειαν」は「信仰深い経験に従う真理(真実)の知識(認識)ἐπίγνωσις」である。新共同訳聖書は「信心に一致する真理の認識」と訳す。人を敬虔に導く信仰の知識である。

(†心のデボーション02948)

† 心のデボーション 02949

「イエス口をひらき、教へて言ひたまふ」 マタイ5:2 大正文語訳聖書

「そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた」 新改訳聖書

 「新しき地」

「口を開き」の「開く ἀνοίγω  アノイゴー」には(口、心、門、扉などを)開く、船が海にでていく」の意味がある。イエスの口からの言葉とともに、門を開き、港から出航せよ。幾多の困難あるも、新しき地にむかえ。

(†心のデボーション02949)

† 心のデボーション 02950

「キリスト・イエスの囚人たるパウロ及び兄弟テモテ、書を我らが愛する同勞者ピレモン」 ピレモン1:1 大正文語訳聖書

「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する同労者ピレモン、」 口語訳聖書

 「同労者ピレモン」

パウロはピレモンを「愛する同労者ピレモン φιλήμονι τῶ ἀγαπητῶ καὶ συνεργῶ ἡμῶν」と呼ぶ。「同労者 συνεργός」は「一緒に働く、共働」の意味である。キリスト者は「神との共働者」(Ⅰコリント3:8)である。 

(†心のデボーション02950)

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