† 心のデボーション 02921
「この福音は神その預言者たちにより、聖書の中に預じめ御子に就きて約し給ひしものなり。」 ロマ1:2 大正文語訳聖書
「この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、」 口語訳聖書
「あらかじめ約束されたもの」
福音は「聖書の中で、あらかじめ約束されたもの」である。「あらかじめ προεπαγγέλλομαι」は「前もって知らせる」の意味である。「福音(よき知らせ)」は聖書のうちに、前もって約束され、イエス・キリストによって成就した「罪のゆるし」(使徒10:43)と「永遠のいのちの望み」(テトス1:2)に関するものである。
(†心のデボーション02921)
† 心のデボーション 02922
「隠微たる事は我らの神ヱホバに屬する者なりまた顯露されたる事は我らと我らの子孫に屬し我らをしてこの律法の諸の言を行はしむる者なり」 申命記29:29 明治元訳聖書
「隠れた事はわれわれの神、主に属するものである。しかし表わされたことは長くわれわれとわれわれの子孫に属し、われわれにこの律法のすべての言葉を行わせるのである。」 口語訳聖書
「わからないとき」
わからないとき、むりにわかろうとすると、ますます迷路にはまってしまう。「わかる」を放棄するのも、一つの解決である。「わからない」という答えもある。わからなければ一歩も進めないというのはウソである。動きたくなくて、わからないと駄々をこねているのではないか。わからないままなすべきことをしていると、いつの間か迷路を抜けている。わからないときには、自分が「神の時」を生きていると考えるがよい。
(†心のデボーション02922)
† 心のデボーション 02923
「神の御意により召されてイエス・キリストの使徒となれるパウロ及び兄弟ソステネ、」 Ⅰコリント1:1 大正文語訳聖書
「神の御旨により召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、」 口語訳聖書
「神の召し」
パウロは「神の御旨により召されてキリスト・イエスの使徒となった」。(口語訳聖書) 「み旨によって διὰ θελήματος」は「神の意志、決意、熱望を通して」である。神は強い「θέλημα 意志、決意、熱望」によって人を召される。
(†心のデボーション02923)
† 心のデボーション 02924
「神の御意によりてイエス・キリストの使徒となれるパウロ及び兄弟テモテ、書をコリントに在る神の教會、ならびにアカヤ全國に在る凡ての聖徒に贈る。」 Ⅱコリント1:1
「神の御旨によりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。」 口語訳聖書
「神の教会」
「神の教会 τῇ ἐκκλησίᾳ τοῦ θεοῦ」は「コリント」という都市に建てられ、同時に「アカヤ全土にいるすべての聖徒たち」の内に建てられた。「コリントにある教会 τῇ οὔσῃ ἐν κορίνθῳ」はコリントの地に建てられ、コリントに属するすべてのことに神の言葉を伝える責任をもち、「アカヤ全土にいるすべての聖徒たち ἐν ὅλῃ τῇ ἀχαΐᾳ」はその地に住み、その地に属するすべてのことに神の言葉を伝える責務を担った。キリスト者は地に仕え、地に神の言葉を伝える神の教会である。
(†心のデボーション02924)
† 心のデボーション 02925
「愚なる者はみづからその道を見て正しとす されど智慧ある者はすすめを容る 」 箴言12:15 明治元訳聖書
「愚かな人の道は、自分の目に正しく見える、しかし知恵ある者は勧めをいれる」 口語訳聖書
「男のこけん」
ドライブで道を間違えると、夫は地図を見たがり、妻は人に聞こうとする。夫はしばらく走って、ますます道から離れ、見知らぬ町に向かっているのが決定的になると、やっと人のいる所で車を停める。その時も、道を尋ねるのは妻の役割になる。要するに、男は間違いを指摘されるのが嫌いなのである。カップルで車に乗っていて道が違うのに気づいても、すぐに「間違い」を告げない方がよいかもしれない。自分もわからない振りをしているとうまく道に戻れることも少なくない。
(†心のデボーション02925)
† 心のデボーション 02926
「なんぢ眞實をこころの衷にまでのぞみ わが隠れたるところに智慧をしらしめ給はん」 詩篇51:6 明治元訳聖書
「見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。」 口語訳聖書
「主と共に」
「凡ての智慧は主より來り、永遠に主と偕に在り。Πᾶσα σοφία παρὰ κυρίου καὶ μετ’ αὐτοῦ ἐστιν εἰς τὸν αἰῶνα. 」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:1 聖公会訳) 「永遠に εἰς τὸν αἰῶνα」の「永遠 αἰών アイオーン」は 「この世」から「来るべき時代」に至る長い時をあらわす。「知恵」は主と共にあり(主より来たり)、現在も来たるべき時代と共にある。
(†心のデボーション02926)
† 心のデボーション 02927
「イエス口をひらき、教へて言ひたまふ」 マタイ5:2 大正文語訳聖書
「そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた」 新改訳聖書
「口を開き」
「口を開き ἀνοίγω アノイゴー」は「開く、ほどく、弛める、覆いをとる」で、「明らかにする」「船が海に出て行く」などの意味もある。日本正教会訳は「彼口を啓(ひら)きて」とする。「啓」は「戸」+「手」+「口」で閉じた戸を手で開くこと。イエスが閉じた口をひらかれると、言葉は「港から出航し」「すべてを明らかにし」、口と手で「閉ざされた私の心の戸を開いてくださる」のである。
(†心のデボーション02927)
† 心のデボーション 02928
「主は我らの父なる神の御意に隨ひて、我らを今の惡しき世より救ひ出さんとて、己が身を我らの罪のために與へたまへり。」 ガラテヤ1:4 大正文語訳聖書
「キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。」 口語訳聖書
「悪の世」
「悪の世から ἐκ τοῦ αἰῶνος τοῦ ἐνεστῶτος πονηροῦ」は「今ある(差し迫った、存在している)悪の時代から」の意味である。「悪の世」とは「富と力への高ぶり」(Ⅰテモテ6:17)である。神はあらゆる「ἐνίστημι 今ある(差し迫った、存在している)富と力への高ぶり」から、われわれの時代を救出される。
(†心のデボーション02928)
† 心のデボーション 02929
「すべてきざめる像につかへ虚しきものによりてみづから誇るものは恥辱をうくべし もろもろの神よみなヱホバをふしをがめ」 詩篇97:7 明治元訳聖書
「すべて刻んだ像を拝む者、むなしい偶像をもってみずから誇る者は/はずかしめをうける。もろもろの神は主のみ前にひれ伏す。」 口語訳聖書
「自慢の娘」
娘にぜひともピアノを習わせたいという母親は、「ピアノを習っている娘の母」という自己像に酔っていないか?「自慢の娘」とは、「そういう娘を持つ親」というナルチシズムかもしれない。このような母親に育てられた娘は、いつか、母親と同様に自分自身を見失っていく。子どもと切り離したところで自分をどう生きるかが勝負である。自分の内にある「むなしいものへの誇り」を突き破って、本当の生き方にとどきたい。
(†心のデボーション02929)
† 心のデボーション 02930
「神の御意によりてキリスト・イエスの使徒となれるパウロ、書をエペソに居る聖徒、キリストに在りて忠實なる者に贈る。」 エペソ1:1 大正文語訳聖書
「神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。」 口語訳聖書
「キリスト・イエスの聖徒」
「キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちτοῖς οὗσιν πιστοῖς ἐν χριστῶ ἰησοῦ·」。永井直治訳聖書は「聖徒等卽ちキリスト・イエスに在りて信なる者」と訳す。「聖徒」とは、「キリスト・イエスに在りて(の中に)信なる者である。
(†心のデボーション02930)
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