心のデボーション287

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† 心のデボーション 02861

「良き地に播かれしとは、御言をききて悟り、實を結びて、あるひは百倍、あるひは六十倍、あるひは三十倍に至るものなり」 マタイ13:23  大正文語訳聖書

「また、良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のことであって、そういう人が実を結び、百倍、あるいは六十倍、あるいは三十倍にもなるのである」 口語訳聖書

 「さとき耳」

「賢き人の心は、たとえを深く思うべし。さとき耳は知者の求むるところなり」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:29  日本聖公会訳)賢き人とは「聞いて、深く思う」人である。まず、「聞く耳」を求める。「理解する(悟る) συνίημι  スゆニエーミ」は「一緒に統合する、まとめる」ことからくる言葉。見ること、聞くことと同じ流れの中で理解することである。

(†心のデボーション02861)

† 心のデボーション 02862

「睦じうして一塊の乾けるパンあるは あらそひありて宰れる畜の盈たる家に愈る」 箴言17:1  明治元訳聖書

「平穏であって、ひとかたまりのかわいたパンのあるのは、争いがあって、食物の豊かな家にまさる。」 口語訳聖書

 「争いのいけにえ」

豪華な食卓も争いの中では、憎しみの味しかしない。ごちそうと争いが同じテーブルにつけば、消化不良を起すだけだ。争いがいけないのではなく、争いながら食卓につくのが問題なのである。争いが静められる、そのことが「一切れのかわいたパン」を豪華な食卓にする。食したいのは「和解のいけにえ」であって、「争いのいけにえ」ではない。

(†心のデボーション02862)

† 心のデボーション 02863

「老たる者の中には智慧あり 壽長者の中には穎悟(さとり)あり」 ヨブ12:12  明治元訳聖書

「老いた者に知恵があり、年のたけた者に英知があるのか。」 口語訳聖書

 「海千山千」

経験豊かなことを、「海千山千」というが、語源は海に千年、山に千年生きた蛇は竜になるという言い伝えからきている。「海千山千」になるのも楽ではない。年を経たものは、どこかいかがわしい老獪さを醸し出すところもある。

(†心のデボーション02863)

† 心のデボーション 02864

「(八音ある琴にあはせて伶長にうたはしめたるダビデのうた) ヱホバよねがはくは忿恚をもて我をせめ烈しき怒をもて我をこらしめたまふなかれ」 詩篇6:1  明治元訳聖書

「【指揮者によって。伴奏付き。第八調。賛歌。ダビデの詩。】」 新共同訳聖書

 「第八調」

詩篇6篇は「七つの悔い改めの歌」の一つで、表題に「指揮者によって。伴奏付き。第八調」とある。「第八調」は「オクターブ下げて」の意味で、「悲しみの歌」をオクターブ低い音で歌えと指示している。低い声で読まなければならない。

(†心のデボーション02864)

† 心のデボーション 02865

「汝のくすしきみわざは幽暗になんぢの義は忘失のくにに知るることあらんや」 詩篇88:12 明治元訳聖書

「あなたの奇跡は暗やみに、あなたの義は忘れの国に知られるでしょうか。」 口語訳聖書

 「忘れの国」

死は「忘れの国」と歌われる。人は「すべてが忘れさられる死」を何よりも恐れる。背後には、生きていながら「忘れ去られた存在」への強い悲しみがある。「忘れの国」の住人になってはならない。

(†心のデボーション02865)

† 心のデボーション 02866

「イエス言ひ給ふ『すでに浴したる者は足のほか洗ふを要せず、全身きよきなり。斯く汝らは潔し、されど悉とくは然らず』」 ヨハネ13:10  大正文語訳聖書

「イエスは彼に言われた、『すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない』」 口語訳聖書

 「愛の力量」

愛にも力量というものがある。それがどれほどのものかを知ることができれば、愛をめぐる葛藤も少なくなる。誰かを愛すると、人は自分の力量をはかろうと思わなくなる。愛は常に自分を超越する。しかし、力量を超えたものを控えるのも愛である。力量に見合った愛に生きるというのは、よほど失敗してからでないと無理かもしれない。愛は愛によって学ぶしかない。

(†心のデボーション02866)

† 心のデボーション 02867

「何事にまれ、徒黨また虚榮のためにすな、おのおの謙遜をもて互に人を己に勝れりとせよ。」 ピリピ2:3  大正文語訳聖書

「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。」 口語訳聖書

 「党派心」

保守的な立場を「右翼」というが、「右翼」はフランス革命当時の国民議会で、保守派が議長席の右であったところから来たもので、これに対して急進派は左の席であったので急進派を「左翼」と呼んだそうである。左派であれ右派であれ、なにごとも「党派心」からの行動には注意する必要がある。

(†心のデボーション02867)

† 心のデボーション 02868

「イエス群衆を見て、山にのぼり、座し給へば、弟子たち御許にきたる」 マタイ5:1 大正文語訳聖書

「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た」 新共同訳聖書

 「座して教える」

「座す καθίζω  カてィゾー」は「教える」の意味がある。ユダヤ教のラビは座して教えを述べるのが正式な方法であった。イエスが腰をおろされて座されるとき、われらも座して教えを受ける。立ち話では本当の教えは聞けない。

(†心のデボーション02868)

† 心のデボーション 02869

「ヤコブまた言けるは今日我に誓へと彼すなはち誓て其家督の權をヤコブに鬻ぬ」 創世25:33  明治元訳聖書

「ヤコブはまた言った、「まずわたしに誓いなさい」。彼は誓って長子の特権をヤコブに売った。」 口語訳聖書

 「ヤコブとエソウ」

エソウは、欲しいものは何でも手に入れる人だった。腹をすかせて野から帰ると、長子の権と引き替えに一杯のレンズ豆の煮物をヤコブから手に入れる。このような人は欲しいものを手に入れるのに手段を選ばない。しかし、欲しいものを確実に手に入れるのが幸せとも限らない。彼は、人生に失ってはならないものと、欲しいものを引き替えにしてしまう。その点でヤコブもエソウと同じだった。

(†心のデボーション02869)

† 心のデボーション 02870

「我は神の賜ひたる恩惠に隨ひて、熟錬なる建築師のごとく基を据ゑたり、而して他の人その上に建つるなり。然れど如何にして建つべきか、おのおの心して爲すべし、」 Ⅰコリント3:10  大正文語訳聖書

「神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建て るのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。」 口語訳聖書

 「熟練した建築師のように」

「真に幸福な人とは、幸福を自覚せず、無理に求めたりしない熟練者である。熟練者とは一つの道、一つの職業に、年期を入れて、その道に精通した人、達人とまではいかなくても、その可能性を目指している人。」(亀井勝一郎『絶望からの出発』より)

幸せだと感じなくても、熟練し、さらに熟練をもとめる人は「真に幸福な人」なのである。

(†心のデボーション02870)

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