† 心のデボーション 02841
「たかぶる者われを害はんとて阱をほれり かれらはなんぢの法にしたがはず」 詩篇119:85 明治元訳聖書
「高ぶる者はわたしをおとしいれようと/穴を掘りました。彼らはあなたのおきてに従わない人々です。」 口語訳聖書
「高ぶる者の災難」
「高ぶる者の應報はこれを醫す道なし。惡の樹彼の中に根を張ればなり。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:28 聖公会訳聖書) 高ぶる者にも「苦しみ(「高慢な者が被る災難」新共同訳聖書訳)」があり、それは癒しがたい。「悪の木」が深く根を張っているからである。高ぶる者は人を貶めるために「穴」を掘るが、自らがその穴に落ちる。
(†心のデボーション02841)
† 心のデボーション 02842
「然るに取税人は遙に立ちて、目を天に向くる事だにせず、胸を打ちて言ふ「神よ、罪人なる我を憫みたまへ」ルカ18:13 大正文語訳聖書
「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と」 口語訳聖書
「悪の意味」
赤ちゃんが物陰で何かに熱中している時は要注意である。とんでもない悪いことをしていて、母親が驚くと、実に嬉しそうに笑う。しかし、子どものいたずらをすべて悪と決めつけるべきではない。子どもは悪を経験し、失敗し、それが自分にとっても周囲の人にとっても悲しいものだとわかって、心の痛みを知るようになる。悪を放置するのでも禁止するのでもなく、悪から何を学ぶかである。
(†心のデボーション02842)
† 心のデボーション 02843
「ヱホバよ朝になんぢわが聲をききたまはん 我あしたになんぢの爲にそなへして俟望むべし」 詩篇5:3 明治元訳聖書
「主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのために/いけにえを備えて待ち望みます」 口語訳聖書
「ことばを整える」
詩人は夜、心につぶやきをもち、神に祈る。そして、朝には、ことばを整えて、神を待ち望む。神への祈りは、「つぶやき」にうなだれた心を整え、神を待ち望ませる。悩みの夜をすごしても、朝にはことばを整えて神を待ち望む者は幸いである。
(†心のデボーション02843)
† 心のデボーション 02844
「汝等憑鬼者を恃むなかれ卜筮師に問ことを爲て之に身を汚さるるなかれ我は汝らの神ヱホバなり」 レビ19:31 明治元訳聖書
「あなたがたは口寄せ、または占い師のもとにおもむいてはならない。彼らに問うて汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。」 口語訳聖書
「占いに問うな」
「一日中矢を射ていたらいつか当たらぬはずはない」。(モンテーニュ『エセー』より) そういう人は矢の一本が当たれば、すべてが当たるかのように錯覚する。人が知ることができるは、今に含まれている未来だけである。
(†心のデボーション02844)
† 心のデボーション 02845
「而して人これを薪となし之をもておのが身をあたため又これを燃してパンをやき又これを神につくりてをがみ偶像につくりてその前にひれふす」 イザヤ44:15 明治元訳聖書
「こうして人はその一部をとって、たきぎとし、これをもって身を暖め、またこれを燃やしてパンを焼き、また他の一部を神に造って拝み、刻んだ像に造ってその前にひれ伏す。」 口語訳聖書
「ああ、暖まった」
イザヤが見ると、人は杜の木を選んで切り倒し、その半分を火に燃やし、肉をあぶって満腹し、「ああ、暖まった」と言い、残りの半分で神を造って偶像とし、それにふして拝み、祈って「私を救ってくれ、お前は私の神なのだから」と言う。(イザヤ44:15~17)半分で自分が暖まり、半分で自分の神を造るがごとき信仰を求めてはならない。
(†心のデボーション02845)
† 心のデボーション 02846
「主ヱホバ、イスラエルの聖者かくいひたまへり なんぢら立かへりて靜かにせば救をえ 平穩にして依賴まば力をうべしと 然どなんぢらこの事をこのまざりき」 イザヤ30:15 明治元訳聖書
「主なる神、イスラエルの聖者はこう言われた、「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。しかし、あなたがたはこの事を好まなかった。」 口語訳聖書
「落ち着いて」
ものごとに浮き足立つと、「馬に乗って逃げる」ことばかりを考える。それなら「逃げてみよ」と主はいわれる。「追ってはもっと早く」あなたに迫るだろうと言われるのある。神に信頼する人はそのような時にも「落ち着いて」いる。「落ち着く」は危険をあっけらかんと無視することではなく、近づく危険に心を留めながら、「静かに、黙る」のである。信仰の人は逃げるべき「時」を誤ったりはしない。
(†心のデボーション02846)
† 心のデボーション 02847
「外にて汝の工をととのへ田圃にてこれを自己のためにそなへ 然るのち汝の家を建よ」 箴言24:27 明治元訳聖書
「外で、あなたの仕事を整え、畑で、すべての物をおのれのために備え、その後あなたの家を建てるがよい。」 口語訳聖書
「うってつけ」
「君にうってつけの仕事がある」などと言う。「うってつけ」は木片金槌と釘でぴったりと「打ちつける」からきた言葉である。金槌と釘で木片を打つのにも熟練がいる。現代はボンドや瞬間接着剤になり、「うってつけ」の手間と技術が失われたようである。
(†心のデボーション02847)
† 心のデボーション 02848
「ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ及びヨルダンの彼方より、大なる群衆きたり從へり」 マタイ4:25 大正文語訳聖書
「こうして、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側から、大勢の群衆が来てイエスに従った」 新共同訳聖書
「サマリヤの人々」
「ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、ヨルダン川の向こう側」は当時のユダヤ王国の全体である。だが、そこにはサマリヤが抜けている。サマリヤの人々はイエスの評判を聞いても、「闇に座り込み」続けるしかなかった。しかし、やがて「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)とあり神のことばは「闇に座り込む」人々に届くのである。いつも、そこに「いない」人々がいる。その人々のことを忘れてはいけない。
(†心のデボーション02848)
† 心のデボーション 02849
「なんぢ眞實をこころの衷にまでのぞみ わが隠れたるところに智慧をしらしめ給はん」 詩篇51:6 明治元訳聖書
「見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。」 口語訳聖書
「心にしまわれた思い」
ダビデの「心の奥」には、バテシェバとの暗い過去がしまわれていた。それで、ダビデは「私の心の奥に知恵を教えてください」と祈る。心の奥にしまいこまれた思いは、光をあてられることによって再び流れはじめる。その流れは「きよい心をつくり、ゆるがない霊を新しくする」。人は自分の愚かさを知ることをためらうべきではない。愚かさを生きる勇気を持ちたい。
(†心のデボーション02849)
† 心のデボーション 02850
「もし誇るべくは、我が弱き所につきて誇らん。」 Ⅱコリント11:30 大正文語訳聖書
「もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。」 口語訳聖書
「善と悪」
人の心には善と悪が同じ量で存在するようだ。善の量と悪の量の傾きもなく、まして、善だけの人も、悪だけの人もいない。一つの善を行うには、同じ量の悪の誘惑があることを通して、人は善をなすことの誇りから守られるのではないか。
(†心のデボーション02850)
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