心のデボーション284

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† 心のデボーション 02831

「石を打くだく者はそれがために傷を受け木を割る者はそれがために危難に遭ん」 伝道10:9  明治元訳聖書

「石を切り出す者はそれがために傷をうけ、木を割る者はそれがために危険にさらされる。」 口語訳聖書

 「危険を愛する心」

「危險を愛する者は、危險のために滅びん。頑なる心は終に災を受けん。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:26 聖公会訳聖書) 人は平穏が続くと、心に「危険を愛する」気持ちが生じる。自分に関係のないところに危機がおとずれることを期待する。それは暗い願望である。「頑なる心は終に災を受け」、「危險のために滅る」ことになりかねない。
(†心のデボーション02831)

† 心のデボーション 02832

「蛭に二人の女あり 與ヘよ與へよと呼はる 飽ことを知ざるもの三あり 否な四あり皆たれりといはず」 箴言30:15 明治元訳聖書

「蛭にふたりの娘があって、「与えよ、与えよ」という。飽くことを知らないものが三つある、いや、四つあって、皆「もう、たくさんです」と言わない。」 口語訳聖書

 「鍛える」

からだを鍛えられるのはある年齢までで、その後は鍛えてはいけない、維持するだけという。しかし、それでも、人はその年齢を過ぎても鍛えることやめない。動作を三回といわれれば、その倍してみたくなり、それがでると数は無限に伸ばせると錯覚してしまう。そして、体が前にもまして痛むのに気づくのである。体力を維持するには充足を知ることも大切になる。もう十分だというのは、そのようにして、決してあきらめない人が言えることばかもしれない。

(†心のデボーション02832)

† 心のデボーション 02833

「愚にして了知なく目あれども見えず耳あれども聞えざる民よこれをきけ」 エレミヤ5:21  明治元訳聖書

「愚かで、悟りもなく、目があっても見えず、耳があっても聞えない民よ、これを聞け。」 口語訳聖書

 「ファクトチェック」

およそ情報はファクトチェックを必要とする時代に入った。自分は「見えている」「聞こえている」と思うのは危険である。たとえ信頼する人が「これを聞け」と言っても、疑いもなく聞いてはいけない。見たこと、聞いたことの責任は自分に来るのである。

(†心のデボーション02833)

† 心のデボーション 02834

「ヤコブよ イスラエルよ 此等のことを心にとめよ 汝はわが僕なり 我なんぢを造れり なんぢわが僕なり イスラエルよ我はなんぢを忘れじ」 イザヤ44:21  明治元訳聖書

「ヤコブよ、イスラエルよ、これらの事を心にとめよ。あなたはわがしもべだから。わたしはあなたを造った、あなたはわがしもべだ。イスラエルよ、わたしはあなたを忘れない。」 口語訳聖書

 「老いの孤独」

老いれば人はみな孤独になる。これを「自分は無視されている」と思う必要はない。自分という存在に自分が無関心になってはいけない。神は「わたしはあなたを忘れない」と言われる。神が「忘れない」といわれるのは、どのような自分なのかを知れば、老いの孤独はありがたいことですらある。
(†心のデボーション02834)

† 心のデボーション 02835

「我なんぢの訓諭をおもひ汝のみちに心をとめん」 詩篇119:15  明治元訳聖書

「わたしは、あなたのさとしを思い、あなたの道に目をとめます。」 口語訳聖書

 「熟視、熟考」

「あなたの道に目をとめます」は、New King James Versionには「contemplate Your ways.」と訳されている。「contemplate」は「熟視する、じっと見つめる、熟考する、沈思する」の意味である。「あなた〔神〕の道に目をとめ」は、御言葉に「熟視する、じっと見つめる、熟考する、沈思する」ことである。

(†心のデボーション02835)

† 心のデボーション 02836

「其處にて汝らの神ヱホバの前に食をなし又汝らと汝らの家族皆その手を勞して獲たる物をもて快樂を取べし是なんぢの神ヱホバの祝福によりて獲たるものなればなり」 申命12:7  明治元訳聖書

「そこであなたがたの神、主の前で食べ、あなたがたも、家族も皆、手を労して獲るすべての物を喜び楽しまなければならない。これはあなたの神、主の恵みによって獲るものだからである。」 口語訳聖書

 「生き甲斐」

時間のたつのも忘れるほどに没頭できるものが欲しいと思う。しかし、何をやっても、心から楽しめるものが見つからないときもある。人生にそれほど深い対象を常に求めるのが無理なのである。楽しめるものを探すというよりも、楽しい心で目先のことに取り組むことだ。そうすれば、「すべての手のわざ」に主の祝福が感じられる。生き甲斐は日常の深まりの中にある。

(†心のデボーション02836)

† 心のデボーション 02837

「汝等重ねて甚く誇りて語るなかれ汝等の口より漫言を出すなかれヱホバは全知の神にして行爲を裁度りたまふなり」 Ⅰサムエル2:3  明治元訳聖書

「あなたがたは重ねて高慢に語ってはならない、たかぶりの言葉を口にすることをやめよ。主はすべてを知る神であって、もろもろのおこないは主によって量られる。」 口語訳聖書

 「自分を見出す」

モンテーニュは「自分を探すところに自分を見出さない」、「むし、偶然によって自分を見出す」と書いている。(モンテーニュ『エセー』より) 自分では気づかないところで、しばしば、自分というものが見出せる。

(†心のデボーション02837)

† 心のデボーション 02838

「モーセに言ひ給ふ『われ憐まんとする者をあはれみ、慈悲を施さんとする者に慈悲を施すべし』と。」 ロマ9:15 大正文語訳聖書

「神はモーセに言われた、『わたしは自分のあわれもうとする者をあわれみ、いつくしもうとする者を、いつくしむ』」 口語訳聖書

 「憐れみによって」

自分の思考や決断がほとんど現実を無視したものであると知るのは、事が終わって長い時間が経てからのことが多い。人はどれほど馬鹿げた思考であっても、その時は「それしかない」と思いこんで行動するのである。それでも、人生はそうした思考で危機を脱することがある。神の憐れみによる。

(†心のデボーション02838)

† 心のデボーション 02839

「惡をもて惡に、謗をもて謗に報ゆることなく、反つて之を祝福せよ。汝らの召されたるは祝福を嗣がん爲なればなり。」 Ⅰペテロ3:9 大正文語訳聖書

「悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。」 口語訳聖書

 「祝福を受け継ぐ」

「あなたがたは天に貯えられている祝福という資産を受け継いだ。それは朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない」とペテロは語る。ある人を祝福しながら、別の人を呪うことは、祝福を汚す。ことばで祝福しながら心で呪うことも意味がない。祝福することで最も祝福を受けるのは自分自身である。

(†心のデボーション02839)

† 心のデボーション 02840

「その人は知れ、罪人をその迷へる道より引囘す者は、かれの靈魂を死より救ひ、多くの罪を掩ふことを。」 ヤコブ5:20  大正文語訳聖書

「かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、そのたましいを死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを、知るべきである。」 口語訳聖書

 「大いなる楽観」

「悠々なる哉天壌、遼遼たる哉古今、五尺の小躯を以って此の大をはからんとす。ホレーショの哲学ついに何等のオーソリテーに価するものぞ。万有の真相は唯一言にてつくす。いわく「不可解」。この恨を抱いて煩悶終に死を決す。既に厳頭に立つに及んで、胸中何等の不安ある無し。始めて知る。大いなる悲観は大いなる楽観と一致するを」(明治36年5月、華厳の滝から投身自殺した第一高等学校に学ぶ18の藤村操が投身するるまえに、木の幹を削って記したことばである) 藤村の「大いなる楽観」とは何であったのだろうか?

(†心のデボーション02840)

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