心のデボーション282

デボーション1
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
Filter by Categories

† 心のデボーション 02811

「かかる人は血脈によらず、肉の欲によらず、人の欲によらず、ただ、神によりて生れしなり。」 ヨハネ1:13  大正文語訳聖書

「それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。」 口語訳聖書

 「ただ、神の恵みによって」

人は「肉の欲」からも信仰を求める。ヤコブは母リベカの胎内にいるときから双子の兄エソウと「アブラハムの嗣業」をめぐって「肉の争い」を繰り広げていた。神が兄エソウではなく弟ヤコブを選ばれたのはヤコブの「肉の欲」の激しさによるのではなく、「恵み」にたいする神の自由な御意志によったのである。(ロマ9:15; 3:24)  

(†心のデボーション02811)

† 心のデボーション 02812

「この故に互に罪を言ひ表し、かつ癒されんために相互に祈れ、正しき人の祈ははたらきて大なる力あり。」 ヤコブ5:16  大正文語訳聖書

「だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。」 口語訳聖書

 「いやし」

「いやし」を意味する「ヒーリング healing」ということばは、ギリシャ語の「ホロスὅλος(全体)」からきている。「いやし」とは病んだ体の一部を回復することではなく、体が全体として回復することである。「心をいやす」という時、それは、いのちの全体を回復することに他ならない。全体性を回復するために、聖書は「互いに罪を言いあらわし、祈りなさい」とすすめる。全体の回復とは関係の回復である。

(†心のデボーション02812)

† 心のデボーション 02813

「惡事をはかる者の心には欺詐あり 和平を謀る者には歓喜あり」 箴言12:20  明治元訳聖書

「悪をたくらむ者の心には欺きがあり、善をはかる人には喜びがある。」 口語訳聖書

 「欺き」

「内幕をあばく」という。「内幕」は戦場で、陣中に巡らす幕のことで、そこで重要な作戦が行われた。秘密は、しばしば身内から暴かれる。もともと、「内幕」は小さい幕にすぎず、暴かれやすい。そこで偽の情報を広げるためにあえて潜んでいる敵に聞かせることもある。

(†心のデボーション02813)

† 心のデボーション 02814

「此はかれらのたましひを死よりすくひ饑饉たるときにも世にながらへしめんがためなり」 詩篇33:19  明治元訳聖書

「これは主が彼らの魂を死から救い、ききんの時にも生きながらえさせるためである。」 口語訳聖書

 「危機の中で」

詩人は死の迫る時にも、飢饉の時にも、「魂」を救ってください」と神に祈る。危機の中で魂が神を待ち望む力を失わないことを願うのである。

(†心のデボーション02814)

† 心のデボーション 02815

「また或人とほく旅立せんとして、其の僕どもを呼び、之に己が所有を預くるが如し」 マタイ25:14  大正文語訳聖書

「また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。」 口語訳聖書

 「委託」

主人は僕たちに「自分の財産を預けて」旅立った。「預ける παραδίδωμι  パラディドーミ」は「παρα 傍らに+δίδωμι 委託する」で「傍らに置く」の意味である。人の傍らには多くの賜物が置かれている。神から委託された賜物である。

(†心のデボーション02815)

† 心のデボーション 02816

「子を懲すことを爲ざるなかれ 鞭をもて彼を打とも死ることあらじ」 箴言23:13  明治元訳聖書

「子を懲らすことを、さし控えてはならない、むちで彼を打っても死ぬことはない。」 口語訳聖書

 「子どもを叱る」

子どもを叱った後で、自分は冷たい人間だと、叱ることに罪悪感を感じる母親も少なくない。子どもの頃、母親から叱られた心の傷がよみがえり、冷たい母親にはなりたくないと思うのかもしれない。しかし、自分の都合で子どもを叱らないのを、子どもは自分にかかわってくれない「冷たい母親」と感じないだろうか。母親との未解決の問題を子どもに移すことが問題なのである。

(†心のデボーション02816)

† 心のデボーション 02817

「義者の心は答ふべきことを考へ 惡者の口は惡を吐く」 箴言15:28  明治元訳聖書

「正しい者の心は答えるべきことを考える、悪しき者の口は悪を吐き出す。」 口語訳聖書

 「熟考せよ」

「なんじの命ぜられしことを熟考せよ、隠されたることはなんじに用なければなり」 旧約聖書外典ベン=シラの知恵3:22 必要なこと(現わされたこと)を熟考せよ。隠されたことは「あなたに必要がない」(フランシスコ会訳聖書)。しかし、しばしば、人の思いは「必要のないこと」を求めて空回りする。

(†心のデボーション02817)

† 心のデボーション 02818

「その噂あまねくシリヤに弘り、人々すべての惱めるもの、即ちさまざまの病と苦痛とに罹れるもの、惡鬼に憑かれたるもの、癲癇および中風の者などを連れ來りたれば、イエス之を醫したまふ」 マタイ4:24 大正文語訳聖書

「そこで、イエズスの評判は全シリアに広まり、人々は、さまざまな病気や苦しみに悩んでいる者、悪魔につかれている者、てんかん、中風の人など、あらゆる病人をイエズスのもとに連れて来た。イエズスは彼らをお治しになった」 フランシスコ会訳聖書

 「宿痾(しゅくあ)の友」

人々がイエスに連れてきたのは宿痾(しゅくあ)に悩む人々であった。治らぬ病を宿した人たちである。同じ病に沈むのでなければ、その苦しみはわからない。イエスは「宿痾(しゅくあ)の友」となられた。

(†心のデボーション02818)

† 心のデボーション 02819

「人その友のために己の生命を棄つる、之より大なる愛はなし。」 ヨハネ15:13  大正文語訳聖書

「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」 口語訳聖書

 「自分を捨てる愛」

尽くせる相手がいる人は幸せである。しかし、こんなに尽くしているのに、どうして自分は愛されないのかということで悩むようなら尽くし方に問題があるのかもしれない。相手のために尽くしているといいながら、実は、自分の愛情深さに酔っていないだろうか。自分の内がからっぽで、そのさみしさを尽くすことで埋めようとしていないだろうか。「自分の命を捨てる」とは本当の自分を相手に差し出すことである。

(†心のデボーション02819)

† 心のデボーション 02820

「昔話と窮りなき系圖とに心を寄する事なからしめよ。此等のことは信仰に基ける神の經綸の助とならず、反つて議論を生ずるなり。」 Ⅰテモテ1:4  大正文語訳聖書

「作り話やはてしのない系図などに気をとられることもないように、命じなさい。そのようなことは信仰による神の務を果すものではなく、むしろ論議」 口語訳聖書

 「果てしのない空想話」

「はてしのない作り話」を新改訳聖書は「はてしのない空想話」と訳す。「はたしのない ἀπέραντος」は「終えない、完成しない」の意味である。「空想」はときに人を楽しませるが、空想に結論はなく、終わりのない世界であり、魂を虜にして死に導く。

(†心のデボーション02820)

コメント