† 心のデボーション 02751
「願くはいつはりの道をわれより遠ざけ なんぢの法をもて我をめぐみたまへ」 詩篇119:29 明治元訳聖書
「偽りの道をわたしから遠ざけ、あなたのおきてをねんごろに教えてください。」 口語訳聖書
「イライラしたいい人」
「あなたはいい人ね」といわれて不愉快になる人は少ないと思う。しかし、そう思われようとして「いい人」をやると、「イライラしたいい人」になる。「いい人」に見られるために、本当の自分を隠したり、殺したりしてしまう。その無理がつまらないことにイライラさせる。自分にも他人にも、本当の自分を偽らないのが「いい人」である。本当の自分を否定されたら、それは仕方のないことと思うがよい。
(†心のデボーション02751)
† 心のデボーション 02752
「妻たる者よ、汝らもその夫に服へ。たとひ御言に遵はぬ夫ありとも、汝らの潔く、かつ恭敬しき行状を見て、言によらず妻の行状によりて救に入らん爲なり。」 Ⅰペテロ3:1 大正文語訳聖書
「同じように、妻たる者よ。夫に仕えなさい。そうすれば、たとい御言に従わない夫であっても、あなたがたのうやうやしく清い行いを見て、その妻の無言の行いによって、救に入れられるようになるであろう。」 Ⅰペテロ3:1~2口語訳聖書
「無言の行い」
御言葉に従わない夫も、妻の「無言の行い」によって救いにいれられるようになる。「無言の行い ἀναστροφῆς ἄνευ λόγου」は「相手に知られないで」の意味で、「夫の許可によらずに夫に仕える」うやうやしい清い行いをさしている。
(†心のデボーション02752)
† 心のデボーション 02753
「乃ち急ぎ往きて、マリヤとヨセフと、馬槽に臥したる嬰兒とに尋ねあふ」 ルカ2:16 大正文語訳聖書
「そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。」 口語訳聖書
「捜しあてる」
イエスが誕生されたとき、野宿で番をしていた羊飼いたちは御使いのみ告げを受けてベツレヘムに行き、「マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた」。(口語訳聖書)「探し当てる ἀνευρίσκω」は「捜して見つけ出す」の意味である。信仰は御言葉にしたがって御言葉を捜して見つけ出すのである。捜すことのなくなった信仰は死である。
(†心のデボーション02753)
† 心のデボーション 02754
「無情なる者・怨を解かぬ者・譏る者・節制なき者・殘刻なる者・善を好まぬ者、」 Ⅱテモテ3:3 大正文語訳聖書
「無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、」 口語訳聖書
「粗暴な者」
終りの日には、「粗暴な者 ἀνήμερος」が増える。「粗暴な者 ἀνήμερος」は「がさつな、粗野な者」の意味である。信仰が後退すると、ものごとに「がさつで、粗野な思い」になるようだ。新共同訳聖書はἀνήμεροςを「残忍な者」と訳す。霊的な粗暴者がある。
(†心のデボーション02754)
† 心のデボーション 02755
「光に在りと言ひて其の兄弟を憎むものは、今もなほ暗黒にあるなり」 Ⅰヨハネ2:9 大正文語訳聖書
「『光の中にいる』と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである。」 口語訳聖書
「憎しみ」
憎しみは常に「親しい人」に向けられる感情である。親しさゆえの葛藤があり、それが解決できないところに憎しみが生まれる。相手への依存が強いだけ、憎しみも激しくなる。憎しみというよりも、葛藤を生むほどの親しさが問題である。関係を切るのではなく、相手に依存しなくてもすむ新しい関係を築くことが必要かもしれない。
(†心のデボーション02755)
† 心のデボーション 02756
「この故に神の武具を執れ、汝ら惡しき日に遭ひて仇に立ちむかひ、凡ての事を成就して立ち得んためなり。」 エペソ6:13 大正文語訳聖書
「それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。」 口語訳聖書
「悪しき日によく抵抗し」
「悪しき日に、よく抵抗し ἀνθίστημι」は「悪しき日に踏みとどまる、一歩も退かない」の意味である。「真理の帯」、「正義の胸当て」、「平和の福音」、「救いの兜」、「信仰の大盾」、「御霊の剣である神のことば」の武具をとれ。(エペソ6:13~17)
(†心のデボーション02756)
† 心のデボーション 02757
「直ちに舟と父とを置きて從ふ」 マタイ4:22 大正文語訳聖書
「彼らもただちに舟と父とを残して、イエズスに従った」 フランシスコ会訳聖書
「直ちに」
「直ちに」を明治元訳聖書は「頓(やが)て」とした。「頓」は副詞として「急に、すぐに、にわかに」の意味に使われる。「直」という漢字は「十 =十人」+「目」+「㇄ かくれる」からなり、十人の目で見る、真っ直ぐに見る、の意である。「直ちに」のギリシャ語「εὐθέως エウてオース」にも「まっすぐに、正しく」の意味が含まれている。「直ちに」は何も見ずに従うのではなく、目を「十人の目」にして隠れたところがないほどに見て、「正しく」従うことである。
(†心のデボーション02757)
† 心のデボーション 02758
「人を喜ばする者の如く、ただ目の前の事のみを勤めず、キリストの僕のごとく心より神の御旨をおこなひ、」 エペソ6:6 大正文語訳聖書
「人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、」 口語訳聖書
「へつらい」
「へつらい ἀνθρωπάρεσκος」は「気に入れられようとして人の機嫌をとる行為」の意味で、「おべっか」である。「へつらい ἀνθρωπάρεσκος」が横行する組織は機能しない。仕事が「目先だけの勤め ὀφθαλμοδουλία うわべ仕事」になるからである。
(†心のデボーション02758)
† 心のデボーション 02759
「試錬に耐ふる者は幸福なり、之を善しとせらるる時は、主のおのれを愛する者に、約束し給ひし生命の冠冕を受くべければなり。」 ヤコブ1:12 大正文語訳聖書
「試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。」 口語訳聖書
「飛べないチョウ」
チョウがサナギからかえるとき、出やすいように割れ目をつけてあげると、チョウはすぐにふ化したが、羽が十分でなく、飛べないままに死んでしまったそうである。チョウはサナギから苦闘しながらふ化することで、羽を強くする。かわいそうに思って、手を出し過ぎると「飛べないチョウ」になってしまうかもしれない。変化の時は手を出さず、子どもが成し遂げるのを見守る。もうじき飛ぶ。
(†心のデボーション02759)
† 心のデボーション 02760
「幸福なるかな、心の貧しき者。天國はその人のものなり。」 マタイ5:3 大正文語訳聖書
「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」 口語訳聖書
「裸なる者」
「高いもの悉く聖でない、樂いもの悉く善でない、または願望ことごとく純でない、して私共に貴重なるもの悉く神の悦びたもふものでない」、故に、「私が常に益々謙遜で、又益々小心であると認められる」ことを求める。自ら「貧しき者裸なる者」であることを告白する。(トマス・アケンピス『基督のまねび』より)
(†心のデボーション02760)
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