心のデボーション275

デボーション1
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† 心のデボーション 02741

「かれは己の國にきたりしに、己の民は之を受けざりき」 ヨハネ1:11 大正文語訳聖書

「彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。」 口語訳聖書

 「これを接(うく)」

「自分の民は彼を受けいれなかった」(口語訳聖書)を明治元訳聖書は「其民これを接(うけ)ざりき」として、「受ける」を用いず「接(うけ)ざりき」とする。信仰は「己に來し方(神・御言葉」に接するに始まる。接近は神から来る。

(†心のデボーション02741)

† 心のデボーション 02742

「神の御意により召されてイエス・キリストの使徒となれるパウロ及び兄弟ソステネ、」 Ⅰコリント1:1 大正文語訳聖書

「神の御旨により召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、」 口語訳聖書

 「兄弟ソステネ」

使徒の働きに「会堂管理者ソステネ」の名がある。彼はガリオの法廷で、パウロに会堂を貸したという理由でユダヤ人にひっぱたかれた人物である。「会堂管理者ソステネ」がこの「兄弟ソステネ」と同一人物だとすれば、ひっぱたかれたのをきっかけに信仰が深まりパウロと共に活動をするようになったのかもしれない。何がきっかけで、人は信仰を求めるようになるのかわからないものだ。

(†心のデボーション02742)

† 心のデボーション 02743

「ここに擧げざる事もあるに、なほ日々われに迫る諸教會の心勞あり。」 Ⅱコリント11:28 大正文語訳聖書

「なおいろいろの事があった外に、日々わたしに迫って来る諸教会の心配ごとがある。」 口語訳聖書

 「心配事」

「心配事 μεριμνάω  メリムナオー」は「μέριμνα 分割する、ばらばらになる、分つ」から来ている。このギリシャ語には「空想」の意味もある。空想による心配事はより強く心をばらばらにする。

(†心のデボーション02743)

† 心のデボーション 02744

「破壞と艱難とその道にあり、」 ロマ3:16 大正文語訳聖書

「彼らの道には、破壊と悲惨とがある。」 口語訳聖書

 「サボタージュ」

フランス語の「破壊活動」を意味するSabotage サボタージュはsabot 木靴 から来ている。工員が抗議の意思をしめすために木靴で床を踏み鳴らしたり、木靴で設備を破壊することをサボタージュといった。「サボる」 は 一種の破壊活動である。

(†心のデボーション02744)

† 心のデボーション 02745

「乃ち汝らはキリストの體にして各自その肢なり。」 Ⅰコリント12:27 大正文語訳聖書

「あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。」 口語訳聖書

 「キリストのからだ」

交通事故で片足を失った人が、冬のある寒い朝、失った方の足のひざに神経痛の痛みを感じた。身体は切断された部分をいつまでも記憶しているのだろうか。人は「不在のもの」の「今の痛み」を感じることができる。不在であっても、そこにあるかのように痛むのである。失われた「片足」も、切り離された身体を気づかっているのかもしれない。

(†心のデボーション02745)

† 心のデボーション 02746

「イエス言ひ給ふ『汝らの心つれなきによりて、此の誡命を録ししなり。』」 マルコ10:5 大正文語訳聖書

「そこでイエスは言われた、「モーセはあなたがたの心が、かたくななので、あなたがたのためにこの定めを書いたのである。」 口語訳聖書

 「かたくなな心」

人は神の言葉に「心をかたくなにする σκληροκαρδία」。Σκληροκαρδίαは「心をこわばらせる」の意味である。神の言葉は彼の耳に「耐え難く」、不快な気分にさせる。

(†心のデボーション02746)

† 心のデボーション 02747

「直ちに舟と父とを置きて從ふ」 マタイ4:22 大正文語訳聖書

「彼らもただちに舟と父とを残して、イエズスに従った」 フランシスコ会訳聖書

 「神の言を差置きて」

「後に残す(捨てる)もの」はそれぞれにある。自分が「後に残す(捨てた)」のだから他人も同じようにすべきだと考えるべきではない。彼には彼の「後に残す(捨てる)もの」があり、自分と比較することのできないものである。「われら神の言を差置きて食卓に事うるはよろしからず」 使徒6:2 大正文語訳

(†心のデボーション02747)

† 心のデボーション 02748

「互に仁慈と憐憫とあれ、キリストに在りて神の汝らを赦し給ひしごとく、汝らも互に赦せ。」 エペソ4:32 大正文語訳聖書

「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」 口語訳聖書

 「心の優しい人」

「無視されるくらいなら嫌われるほうがまし」それがいじめに耐える人の心理かもしれない。いじめに耐えることは、自分で自分を無視することを意味する。そして、その寂しさに耐えかねていじめを受け入れてしまうのかもしれない。人は自分に優しくなれた分だけ強くなれる。「互いに許し合う」勇気は、心の優しさから生まれる。

そして、そんなあなたを好きになる人が、きっと現われる。

(†心のデボーション02748)

† 心のデボーション 02749

「ヱホバは月をつくりて時をつかさどらせたまへり 日はその西にいることをしる」 詩篇104:19 明治元訳聖書

「あなたは月を造って季節を定められた。日はその入る時を知っている。」 口語訳聖書

 「蝉の羽月」

「蝉の羽月(せみのうげつ)」は蝉の羽根のような薄い着物を羽織る季節(陰暦6月)をさす。日々の身近な世界にも季節の変化があり、神の「定め」がある。その時にはその装いを改めるがよい。

(†心のデボーション02749)

† 心のデボーション 02750

「かれは己の國にきたりしに、己の民は之を受けざりき」 ヨハネ1:11 大正文語訳聖書

「彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。」 口語訳聖書

 「存在の根源」

「受け入れる παραλαμβάνω  パラらムバノー」は「παρά  傍らに + λαμβάνω  掴む」から成るギリシャ語で、「ことば λόγοςによって創られた民」が自らを存在にいたらしめた「ことば λόγος」を掴み取ることをしなかったことをあらわず。信仰は自らの存在の根源を神の言葉に見出すことである。人は神のことばから離れて存在の根源を見出すことはできない。信仰は存在の根源を「掴み取る」ことである。

(†心のデボーション02750)

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