心のデボーション274

デボーション1
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† 心のデボーション 02731

「汝還りてわが民の君ヒゼキヤに告よ汝の父ダビデの神ヱホバかく言ふ我汝の祈祷を聽り汝の涙を看たり然ば汝を愈すべし第三日には汝ヱホバの家に入ん」 Ⅱ列王20:5  

「引き返して、わたしの民の君ヒゼキヤに言いなさい、『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう。』」 口語訳聖書

 「悲しみの底で」

たくさんの涙を流せばいやされるのではない。「あなたの祈りを聞いた。涙も見た」と語られる神と出会って、人はいやされる。悲しみは、悲しみ抜いてしまえば、あとは神が引き受けてくださる。その時、大切なことは、涙を流しながらも、やるべき務めを果たすことであろう。その営みの中で「あなたを見た」という神の声を聞く。

(†心のデボーション02731)

† 心のデボーション 02732

「なんぢら醒めて正しうせよ、罪を犯すな。汝等のうちに神を知らぬ者あり、我が斯く言ふは汝等を辱しめんとてなり。」 Ⅰコリント15:34  大正文語訳聖書

「目ざめて身を正し、罪を犯さないようにしなさい。あなたがたのうちには、神について無知な人々がいる。あなたがたをはずかしめるために、わたしはこう言うのだ。」 口語訳聖書

 「故意の無知」

パウロはコリントの教会に、「あなたがたのうちには、神について無知な人々がいる」(口語訳聖書)と書き送る。「無知 ἀγνωσία」は「故意の無知」を意味するギリシャ語である。教会の中には神について故意に無知になる信徒がいた。神について知ることをしなくなった信徒のことである。

(†心のデボーション02732)

† 心のデボーション 02733

「惡者はたふされて無ものとならん されど義者の家は立べし」 箴言12:7 明治元訳聖書

「悪しき者は倒されて、うせ去る、正しい人の家は堅く立つ。」 口語訳聖書

 「家の戸」

日本では家の戸は外開きだが、ドイツでは内開きが普通なのだそうである。敵の侵入を防ぐのに、外開きよりも守りやすいし、客を迎えるのには内開きのほうが安全だからという。敵には厳しく、味方には優しい出迎えの戸が必要かもしれない。 

(†心のデボーション02733)

† 心のデボーション 02734

「汝この世の富める者に命ぜよ。高ぶりたる思をもたず、定なき富をたのまずして、唯われらを樂しませんとて萬の物を豐に賜ふ神に依頼み、」 Ⅰテモテ6:17  明治元訳聖書

「この世で富んでいる者たちに、命じなさい。高慢にならず、たよりにならない富に望みをおかず、むしろ、わたしたちにすべての物を豊かに備えて楽しませて下さる神に、のぞみをおくように、」 口語訳聖書

 「富」

「たよりにならない富 ἀδηλότης」は「あてにならない、不確実な富」のことである。富は有益ではあるが、富を神と頼むのは愚かである。富をἀδηλότηςにするか否かは信仰による。

(†心のデボーション02734)

† 心のデボーション 02735

「神は狡しき者の謀計を敗り 之をして何事をもその手に成就ること能はざらしめ」 ヨブ5:12 明治元訳聖書

「彼は悪賢い者の計りごとを敗られる。それで何事もその手になし遂げることはできない。」 口語訳聖書

 「舌のムチ」

舌で傷つけられる痛みを知らない人はいない。体の中で最も柔らかい舌が人を深く傷つける。ムチの痛みなら時間がたてば癒える。しかし、舌で打たれた傷は時間と共に痛みを増すのである。ことばで相手を傷つけたくないからといって、口を閉ざしてはいけない。「舌で打たれた傷」を癒すのもことばだからである。癒しのことばは神からのものである。

(†心のデボーション02735)

† 心のデボーション 02736

「ああ神の智慧と知識との富は深いかな、その審判は測り難く、その途は尋ね難し。」 ロマ11:33 大正文語訳聖書

「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は。そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい。」 口語訳聖書

 「神の知恵」

神の知恵と知識と富は、なんと「深い ἀνεξεραύνητος」ことか。「ἀνεξεραύνητος」は「はかりがたい、はかり知れない」の意味である。「富 πλοῦτος」は「よきもの、賜物、豊富、充満」の意味である。人は測りがたい知恵の前に立つことによって人となる。

(†心のデボーション02736)

† 心のデボーション 02737

「直ちに舟と父とを置きて從ふ」 マタイ4:22 大正文語訳聖書

「彼らもただちに舟と父とを残して、イエズスに従った」 フランシスコ会訳聖書

 「献身」

献身する者はみな「父親を残して(捨てて)」イエスに従う。献身の最も大きな苦しみは肉親をそこに残してイエスに従う道にある。だが、それは肉親を遺棄することでも、放棄することでもないと知るまでは、献身すべきではない。

(†心のデボーション02737)

† 心のデボーション 02738

「終に言はん、我が兄弟よ、なんぢら主に在りて喜べ。なんぢらに同じことを書きおくるは、我に煩はしきことなく、汝等には安然なり。」 ピリピ3:1 大正文語訳聖書

「最後に、わたしの兄弟たちよ。主にあって喜びなさい。さきに書いたのと同じことをここで繰り返すが、それは、わたしには煩わしいことではなく、あなたがたには安全なことになる。」 口語訳聖書

 「心の空洞」

めざましい働きをし、それなりの結果も出しているのに、心からの満足を感じられないという人も少なくない。心に空洞があって、それを埋めるには、憑かれたように動き回るしかないと思っていないだろうか。自分に対する要求基準を少しだけ下げることをおすすめしたい。人と共に喜ぶことができるにつれて、心の空洞は埋まる。際限もなく満足を求めると、不満も際限がなくなる。

(†心のデボーション02738)

† 心のデボーション 02739

「信仰に由りてヨセフは生命の終らんとする時、イスラエルの子らの出で立つことに就きて語り、又おのが骨のことを命じたり。」 ヘブル11:22  大正文語訳聖書

「信仰によって、ヨセフはその臨終に、イスラエルの子らの出て行くことを思い、自分の骨のことについてさしずした。」 口語訳聖書

 「アヴェマリア」

アヴェマリア 文語和訳(天使祝詞

めでたし、聖寵(せいちょう)充満てる(みちみてる)マリア、
主 御身(おんみ)と共にまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
御胎内の御子(おんこ)イエズスも祝せられ給う(しゅくせられたもう)。
 天主の御母(おんはは)聖マリア、
 罪人なるわれらのために、
 今も臨終の時も祈り給え。
 アーメン

「アヴェマリア」は最終節で「今も臨終の時も祈り給え」と歌う。

(†心のデボーション02739)

† 心のデボーション 02740

「人の生れて艱難をうくるは火の子の上に飛がごとし」 ヨブ5:7 明治元訳聖書

「人が生れて悩みを受けるのは、/火の子が上に飛ぶにひとしい。」 口語訳聖書

 「苦悩の火花」

人は生まれると必ず苦しみを受ける。苦しみの火花が飛ぶ。しかし、もし神に尋ねるならば、神は数え切れない「奇しき業」をなされる。(ヨブ記5:7~9)

(†心のデボーション02740)

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