心のデボーション272

デボーション1
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† 心のデボーション 02711

「夫たる者よ、キリストの教會を愛し、之がために己を捨て給ひしごとく、汝らも妻を愛せよ。」 エペソ5:25 大正文語訳聖書

「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。」 口語訳聖書

 「仲のよい夫婦」

夫婦だからといって、なにもかも気が合うとは限らない。合わないものを何とか合わせようとするのはむなしい努力である。自分が合わないと感じるところは、相手にとっても合わないところである。そういうところを否定しないで、なお、それぞれの自分でいられるのが「仲のよい夫婦」ではないか。「合わない部分」は、まず、自分自身の内にある。そのところを分からせてくれるのが夫であり、妻である。

(†心のデボーション02711)

† 心のデボーション 02712

「我また日の下に患の大なる者あるを見たり すなはち財寶のこれを蓄ふる者の身に害をおよぼすことある是なり」 伝道5:13 明治元訳聖書

「わたしは日の下に悲しむべき悪のあるのを見た。すなわち、富はこれをたくわえるその持ち主に害を及ぼすことである。」 口語訳聖書

 「財産」

伝道者は「富はこれをたくわえるその持ち主に害を及ぼす」ことがあるという。「財産が増せば、それを食らう者も増す。持ち主は眺めているばかりで、何の得もない」(伝道5:11 新共同訳聖書)というのだ。使い方を知らない蓄財はむなしい。

(†心のデボーション02712)

† 心のデボーション 02713

「イエズス此處より進み給ひて、又他に二人の兄弟、即ちゼベデオの子ヤコボと、其兄弟ヨハネとが、父ゼベデオと共に船にて網を補ふを見、之を召し給ひしに」 マタイ4:21 大正文語訳聖書

「そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった」 新共同訳聖書

 「自分の時の中」

ペテロとアンデレは「網を打っている」時にイエスと出会い、ヤコブとヨハネは漁を終えて網をつくろっている時にイエスに出会った。人がイエスに出会うのは「自分の時の中」にある間である。仕事をしているときばかりでなく、無為に過ごすときにも、イエスとの出会いがある。

(†心のデボーション02713)

† 心のデボーション 02714

「なんぢらヱホバの恩惠ふかきを嘗ひしれ ヱホバによりたのむ者はさいはひなり」 詩篇34:8 明治元訳聖書

「主の恵みふかきことを味わい知れ、主に寄り頼む人はさいわいである。」 口語訳聖書

 「味わい知る」

「主の恵みふかきことを味わい知れ」(詩篇34:8 新共同訳聖書)と詩人はすすめる。「恵みを味わう」は「御言葉の味わい」である。詩篇119篇は「あなたのみ言葉はいかにわがあごに/甘いことでしょう。蜜にまさってわが口に甘いのです。」(詩篇119:103 口語訳聖書)と歌う。主の恵みは「密にまさって口に甘い」。

(†心のデボーション02714)

† 心のデボーション 02715

「是はヱホバが彼等をエジプトの國より導きいだしたまひし事のためにヱホバの前に守るべき夜なり是はヱホバの夜にしてイスラエルの子孫が皆世々まもるべき者なり」 出エジプト記12:42 明治元訳聖書

「これは彼らをエジプトの国から導き出すために主が寝ずの番をされた夜であった。ゆえにこの夜、すべてのイスラエルの人々は代々、主のために寝ずの番をしなければならない」 口語訳聖書

 「寝ずの番」

船舶には、毎時二回、通信中止の時間があるという。世界中の船がこの時間には沈黙してSOSの遭難信号を探す。祈りは世界のすかなSOSに耳をすます時間である。そして、近くにその信号を感じたら、ただちに現場に向かう必要がある。エジプトからイスラエルの民を連れ出されたその夜から、神は今日も、弱いSOSの信号をとらえようとして「寝ずの番」をされているのである。

(†心のデボーション02715)

† 心のデボーション 02716

「もし汝に物あらば汝の鄰に向ひ 去て復來れ明日われ汝に予へんといふなかれ」 箴言3:28 明治元訳聖書

「あなたが物を持っている時、その隣り人に向かい、「去って、また来なさい。あす、それをあげよう」と言ってはならない。」 口語訳聖書

 「最良のタイミング」

困っている隣人を助けるにはタイミングというものがある。タイミングを逸した助けは、相手を傷つける。その意味でこの箴言は文字通りにうけとって、持てるものは困っている隣人を見れば、すぐに与えるべきだと思うのは一種の強迫観念である。しかし、最良のタイミングというのは、常に分かるというものでもない。

(†心のデボーション02716)

† 心のデボーション 02717

「然らば如何にすべきか、我は靈をもて祈り、また心をもて祈らん。我は靈をもて謳ひ、また心をもて謳はん。」 Ⅰコリント14:15 大正文語訳聖書

「すると、どうしたらよいのか。わたしは霊で祈ると共に、知性でも祈ろう。霊でさんびを歌うと共に、知性でも歌おう。」 口語訳聖書

 「ミドラーシュ」

ユダヤ教に「ミドラーシュ Midrash」という言葉がある。Midrash はヘブライ語で「探し求める」の意味である。神のことばを字義道理に解釈するのではなく、隠れた意味を探ることを言う。御言葉は霊と知性によって解釈 Midrash されるいのちのことばである。

(†心のデボーション02717)

† 心のデボーション 02718

「彼が暫時なんぢを離れしは、或は汝かれを永遠に保ち」 ピレモン1:15 大正文語訳聖書

「彼がしばらくの間あなたから離れていたのは、あなたが彼をいつまでも留めておくためであったかも知れない。」 口語訳聖書

 「離して、待つ」

オネシモは主人ピレモンを裏切り、金を盗んで逃走した奴隷だった。彼はローマに逃げ、そこでパウロと出会って信仰をもったのである。パウロは役に立つ人間になったオネシモを元の主人に返そうとして「オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは真の出会いのためだった」と書き送る。「離して、待つ」ことが、その人をよみがえらせることがある。見捨てるのではなく神にゆだねるのである。

(†心のデボーション02718)

† 心のデボーション 02719

「それ地しばしば其の上に降る雨を吸ひ入れて耕す者の益となるべき作物を生ぜば、神より祝福を受く」 ヘブル6:7 大正文語訳聖書

「たとえば、土地が、その上にたびたび降る雨を吸い込んで、耕す人々に役立つ作物を育てるなら、神の祝福にあずかる。」 口語訳聖書

 「恵みの雨」

雨を充分に吸い込み、耕された地が「良き地」である。種を蒔けば喜びの収穫がある。恵みの雨を充分に吸い、魂を深耕せよ。整えられた地に神のことばはたわわな実りをもたらす。

(†心のデボーション02719)

† 心のデボーション 02720

「命令を守る者は禍患を受るに至らず 智者の心は時期と判斷を知なり」 伝道8:5 明治元訳聖書

「命令を守る者は災にあわない。知者の心は時と方法をわきまえている。」 口語訳聖書

 「砂時計」

島根県には一年間の時をはかれる世界最大の砂時計がある。砂は一定の圧力で流れる性格があり、砂の落ちる穴の仕掛けは、一年間用でも三分用でも同じなのだそうである。智者の心には、砂時計の砂がさらさら落ちて時を知らせる。

(†心のデボーション02720)

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