心のデボーション269

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† 心のデボーション 02681

「汝目をあげてもろもろの童山をみよ姦淫を行はざる所はいづこにあるや汝は曠野にをるアラビヤ人の爲すがごとく路に坐して人をまてり汝は姦淫と惡をもて此地を汚せり」 エレミヤ3:2  明治元訳聖書

「「目をあげてもろもろの裸の山を見よ、姦淫を行わなかった所がどこにあるか。荒野にいるアラビヤびとがるように、あなたは道のかたわらに座して恋人を待った。あなたは姦淫の悪事をもって、この地を汚した。」 口語訳聖書

 「裸の丘」

「裸の丘」は、木のない禿山のことである。この丘からシロッコと呼ばれる、焼けつくような熱風が発生し、作物を枯らした。シロッコが運んでくるのは、人が自らの道を曲げ、神を忘れたことへの嘆きの声だった。(エレミヤ3:21)心のどこかに「裸の丘」がある。しかし、神はそこに「川を開き」、「泉をわかせ」る。「裸の丘」を「水の源」とされる。(イザヤ41:18)

(†心のデボーション02681)

† 心のデボーション 02682

「禍ひなるかななんぢ害はれざるに人をそこなひ 欺かれざるに人をあざむけり なんぢが害ふこと終らば汝そこなはれ なんぢが欺くことはてなば汝あざむかるべし」 イザヤ33:1 明治元訳聖書

「わざわいなるかな、おのれ自ら滅ぼされないのに、人を滅ぼし、だれも欺かないのに人を欺く者よ。あなたが滅ぼすことをやめたとき、あなたは滅ぼされ、あなたが欺くことを終えたとき、あなたは欺かれる。」 口語訳聖書

 「欺き」

欺かれてはいないのに、自分は欺かれたと人を欺くと、欺き終えてから自分への欺きが始まる。人の道に罠を仕掛ける者は、自分の仕掛けた罠を忘れるころに自分が罠にかかる。

(†心のデボーション02682)

† 心のデボーション 02683

「懶惰ところよりして屋背は落ち 手を垂をるところよりして家屋は漏る」 伝道10:18 明治元訳聖書

「怠惰によって屋根は落ち、無精によって家は漏る」 口語訳聖書

 「怠惰」

「怠惰はあらゆる悪徳のはじめである」(ヒルティ『幸福論』) 怠惰な者の棲む屋根は、突然崩れてその頭に落ちる。

(†心のデボーション02683)

† 心のデボーション 02684

「凡て有りし事どもを互に語りあふ」 ルカ4:14 大正文語訳聖書

「このいっさいの出来事について互に語り合っていた。」 口語訳聖書

 「お見舞い」

病人を見舞うのに花やお菓子でなく、「物語」をもって行くのを習慣にする国があるそうである。ベッドの脇で、持参した「物語」に笑ったり、涙を流したりしているうちに病も癒えていく。苦しんだ人はみな「物語」をもっている。もしかすると、お医者さんの薬よりずっときくかもしれない。エマオの途上で、ふたりの弟子が聞いたのも、そんな「物語」だった。

(†心のデボーション02684)

† 心のデボーション 02685

「不義のパンを食ひ暴虐の酒を飮めばなり」 箴言4:17 明治元訳聖書

「彼らは不義のパンを食べ、暴虐のぶどう酒を飲む」 フランシスコ会訳聖書

 「不義のパン」

悪しき者は「不義のパン」を食べる。「不義のパン」は旨い。だが、魂を健やかにすることはない。「いのちのパン」を見出す者こそが幸いである。

(†心のデボーション02685)

† 心のデボーション 02686

「聖なる物を犬に與ふな。また眞珠を豚の前に投ぐな。恐らくは足にて蹈みつけ、向き返りて汝らを噛みやぶらん」 マタイ7:6 大正文語訳聖書

「聖なるものを犬に与えてはならない。また、あなたがたの真珠を豚に投げ与えてはならない。豚はそれを足で踏みつけ、犬は向きなおって、あなたがたをかみ裂くであろう」 フランシスコ会訳聖書

 「三車火宅」

法華経の「三車火宅」は、長者の家が火事になるが三人の息子は遊びに興じて逃げない。そこで長者は羊、鹿、牛の三つの車が外にあると嘘を言い、それにひかれて外に出た息子に、三車に勝る「大白牛車」を与えたという。

この話は愚かな者を救うには「噓も方便」の譬えに使われるむきがある。これほどに愚かな息子に「大白牛車」は「豚に真珠」になりはすまいか。

(†心のデボーション02686)

† 心のデボーション 02687

「かれら直ちに網をすてて從ふ」 マタイ4:20 大正文語訳聖書

「すると、二人はただちに網をそのままにして、イエズスに従った」 フランシスコ会訳聖書

 「喪失への備え」

ペテロとアンデレは「網を捨てて」従う。何一つ失わずにイエスに従うことはできない。「網」はペトロとアンデレにとって軽く捨てることのできるものではなかった。捨てる「網」が何かは従う者には明確である。イエスに従う者は「喪失」への備えをせよ。「備え」はイエスに従うことでもたらされるもののうちにある。

(†心のデボーション02687)

† 心のデボーション 02688

「おのれの田地を耕す者は糧にあき 放蕩なる者に從ふものは貧乏に飽く」 箴言28:19 明治元訳聖書

「自分の田地を耕す者は食糧に飽き、無益な事に従う者は貧乏に飽きる。」 口語訳聖書

 「満ち足りる」

「無益な事に従う者は貧乏に飽きる」。「飽きる שׂבע」は「満足する、飽き足りる」の意味である。むなしいことを求めるところには貧しさしかやってこない。よき地を耕す者はよき収穫に満ち足りる(飽きる שׂבע)。

(†心のデボーション02688)

† 心のデボーション 02689

「ただ愛に由りてはたらく信仰のみ益あり」 ガラテヤ5:6 大正文語訳聖書

「愛によって働く信仰だけが大事なのです」 新改訳聖書

 「愛の適温」

愛には適温がある。熱すぎる愛は近寄りがたく、なまぬるい愛はイライラする。逃げ出したくなるのは、その愛が息苦しいからであろう。愛は、愛自らが適温を知っている。そして、それは愛することによってしか知り得ない。自分への執着を愛だと錯覚して、それを与えたり求めたりするところから適温が失われるのかもしれない。

(†心のデボーション02689)

† 心のデボーション 02690

「兵卒もまた問ひて言ふ『我らは何を爲すべきか』答へて言ふ『人を劫かし、また誣ひ訴ふな、己が給料をもて足れりとせよ』」 ルカ3:14 大正文語訳聖書

「兵卒たちもたずねて言った、『では、わたしたちは何をすればよいのですか』。彼は言った、『人をおどかしたり、だまし取ったりしてはいけない。自分の給与で満足していなさい』。」 口語訳聖書

 「人をおどす」

「人をおどす διασείω」は「激しくゆすぶる」の意味で、恐喝のことである。バプテスマのヨハネは兵士たちに「定められたもの以上に取り立てる」ことを戒め、権力をもって「人を激しく揺すぶって恐喝してはならない」と戒めている。兵士ならずとも「人をおどす διασείω」ことは罪である。

(†心のデボーション02690)

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