心のデボーション268

デボーション1
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† 心のデボーション 02671

「命令の目的は清き心と善き良心と僞りなき信仰とより出づる愛にあり」 Ⅰテモテ1:5 大正文語訳聖書

「わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている。」 口語訳聖書

 「正しい良心」

他人の存在をまったく無視しているとしか思えない子どもに出会うことがある。何か気に入らないことがあると、黙って教室の外に出て行く。そして、気分が変わると何もなかったかのように戻って来る。自分が人をわずらわせていることにはほとんど無関心で、こちらの思いが伝わらない。他者への愛を見失うと、人の良心は未成熟にとどまるのかもしれない。

(†心のデボーション02671)

† 心のデボーション 02672

「怨恨(うらみ)は爭端(あらそい)をおこし 愛はすべての愆(とが)を掩(おほ)ふ」 箴言10:12 明治元訳聖書

「憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。」 口語訳聖書

 「愛」

「愛はすべての愆(とが)を掩(おほ)ふ」。「覆う כּסה」は「隠す」の意味である。憎しみは争い事を引き出すが、愛はすべての「背きの罪」を隠す。

「その愛をもって常に喜べ。」(箴言5:19 口語訳聖書)

(†心のデボーション02672)

† 心のデボーション 02673

「イエス言ひたまふ『愼みてパリサイ人とサドカイ人とのパン種に心せよ』」 マタイ16:6 大正文語訳聖書

「そこでイエスは言われた、『パリサイ人とサドカイ人とのパン種を、よくよく警戒せよ』。」 口語訳聖書

 「パン種」

「パン種 ζύμη  ズゆメー」は酵母のことで、ユダヤでは小麦粉を練って寝かせたものを用いた。少量のパンダ種が全体を膨らませることから「パリサイ人の教え」をよくよく警戒するように語られている。マタイ13:33には「天国は、パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる」(口語訳聖書)と天国の譬えにも用いられる。一滴で全体をだめにする毒があり、全体の毒を消す一滴もある。

(†心のデボーション02673)

† 心のデボーション 02674

「汝の母はその夫と子女を棄たり汝はその女なり汝の姉妹はその夫と子女を棄たり汝はその姉妹なり汝の母はヘテ人汝の父はアモリ人なり 」 エゼキエル16:45 明治元訳聖書

「あなたは、その夫と子どもとを捨てたあなたの母の娘、またその夫と子どもとを捨てた姉妹を持っている。あなたの母はヘテびと、あなたの父はアモリびと、」 口語訳聖書

 「母親にきらわれた娘」

エゼキエルは「あの母だからこの娘」という古いことわざを引用する。彼女は自分の夫と子どもをきらうのである。今も「母親にきらわれた娘」は少なくない。自分の子どもを嫌う母親の心理は理解しにくい。エゼキエルの引用する「母」は、子どもだけでなく夫さえも嫌う。夫との仲がうまくいかず、それで子どもを嫌うのかもしれない。それで深く傷つくのはいつも子どもたちである。

(†心のデボーション02674)

† 心のデボーション 02675

「慧き者をその自分の詭計によりて執へ 邪なる者の謀計をして敗れしむ」 ヨブ5:13 明治元訳聖書

「彼は賢い者を、彼ら自身の悪巧みによって捕え、/曲った者の計りごとをくつがえされる。」 口語訳聖書

 「人の知恵」

神は自分を賢い者とする者たちを、「彼ら自身の悪巧み」によって捕らえられる。「曲がった者の知恵」は曲がった者自身を捕らえる罠となる。

「人の知恵はその人の顔を輝かせ、またその粗暴な顔を変える。」 伝道8:1 口語訳聖書

(†心のデボーション02675)

† 心のデボーション 02676

「斯くのごとく舌もまた小きものなれど、その誇るところ大なり。視よ、いかに小き火の、いかに大なる林を燃すかを。」 ヤコブ3:5 大正文語訳聖書

「それと同じく、舌は小さな器官ではあるが、よく大言壮語する。見よ、ごく小さな火でも、非常に大きな森を燃やすではないか。」 口語訳聖書

 「嘯く (うそぶく)」

「嘯く (うそぶく)」の「うそ」は口笛で、転じて詩歌を口ずさむの意味になり、さらにとぼけて知らぬふりをするの意味になったという。うそぶいて大ぼらを吹く人はどこか楽し気である。だがその手に乗ってはなるまい。

「大言壮語 αὐχέω」は「大きなことができると自慢する」の意味である。その舌は森を焼く。

(†心のデボーション02676)

† 心のデボーション 02677

「かれら直ちに網をすてて從ふ」 マタイ4:20 大正文語訳聖書

「すると、二人はただちに網をそのままにして、イエズスに従った」 フランシスコ会訳聖書

 「我に従え」

イエスに「我に従え」と言われて、弟子の一人は「主よ、先づ、往きて、我が父を葬ることを許したまへ」とそれを断った。(マタイ8:21) 富める青年は「なんぢ若し全からんと思はば、往きて汝の所有を賣りて貧しき者に施せ、さらば財寶を天に得ん。かつ來りて我に從へ」と言われて、「悲しみつつ去った」。「大なる資産」を持っていたからである。(マタイ19:16~22)

やむを得ない理由はある。それにしても、何ゆえに今なのだろうか?

(†心のデボーション02677)

† 心のデボーション 02678

「又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり」 マタイ6:28 大正文語訳聖書

「着る物のことをなぜ思い煩うのか。野のゆりがどのように育つかをよく見なさい。ほねおることも、紡ぐこともしない」 フランシスコ会訳聖書

 「星を見るように」

「野のゆりがどのように育つかをよく見なさい。Consider the lilies of the field,(King James Version)」。「よく見なさい」の英訳「Consider」は「con 強意+sidus 星」からなり、「星をじっと観察する」が原意で「考察・考慮」の意味である。星を観察するようにじっと「野のゆりがどのように育つかをよく見なさい」。創造の神の業が見える。

(†心のデボーション02678)

† 心のデボーション 02679

「我らが前に命ぜしことく力めて安靜にし、己の業をなし、手づから働け。」 Ⅰテサロニ4:11 大正文語訳聖書

「そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。」 口語訳聖書

 「自分の仕事」

「仕事というものは本当に熱心にやると、面白くなるという性質をもっている」というのはカール・ヒルティのことばである。「面白い仕事」があるのではなく、一生懸命にやればどんな仕事も面白くなる。仕事が面白くないというのは、そこまで熱心にやっていないからである。ただ熱心にやるよりも、面白がってやるほうがずっと効果があるのはいうまでもない。

(†心のデボーション02679)

† 心のデボーション 02680

「わが身とわが心とはおとろふ されど神はわがこころの磐わがとこしへの嗣業なり」 詩篇73:26 明治元訳聖書

「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」 口語訳聖書

 「神を思い焦がれる」

身が衰えると心も衰える。しかし、神は「とこしえにわが心の力、わが嗣業である」である。明治元訳聖書は「されど神はわがこころの磐わがとこしへの嗣業なり」と訳す。フランシスコ会訳聖書は「わたしの身と心は思い焦がれる。神はとこしえにわたしの心の岩、わたしの分け前。」と訳す。身が衰えると心も衰える時にも、神は「心の岩、わたしの分け前」である。しかるに「わたしの身と心は〔神を〕思い焦がれる。」のである。

(†心のデボーション02680)

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