心のデボーション266

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† 心のデボーション 02651

「然のみならず患難をも喜ぶ、そは患難は忍耐を生じ、」 ロマ5:3 大正文語訳聖書

「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、」 口語訳聖書

 「忍耐を生み出す」

「患難は忍耐を生み出す」。「生み出す κατεργάζομαι」には「生じさせる、得させる」に加えて「成し遂げる」の意味が含まれている。患難は忍耐を生み出すだけでなく、忍耐を最後まで成し遂げる力を与える。成し遂げらた忍耐は練達を生み出す(最後まで成し遂げる力を与える)。(ロマ5:4) それゆえに、わたしたちは患難をも喜ぶのである。

(†心のデボーション02651)

† 心のデボーション 02652

「我はいとたかき神によばはん わがために百事をなしをへたまふ神によばはん」 詩篇57:2 明治元訳聖書

「わたしはいと高き神に呼ばわります。わたしのためにすべての事をなしとげられる神に/呼ばわります。」 口語訳聖書

 「人生のシナリオ」

人生のシナリオはできるだけラフなものにしておくがよい。あまりに完璧なシナリオは、些細なことから崩れて目指した人生を崩壊させてしまう危険がある。

(†心のデボーション02652)

† 心のデボーション 02653

「愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕らず、」 Ⅰコリント13:4 大正文語訳聖書

「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。」 口語訳聖書

 「愛は情深い」

「愛は情深い」。「情深い χρηστεύομαι」は「親切である」を意味することばで、人のことをわがことのように心配することを指す。人に情け深くある人は自分にも情け深い。

(†心のデボーション02653)

† 心のデボーション 02654

「わが心はうるはしき事にてあふる われは王のために詠たるものをいひいでん わが舌はすみやけく寫字人の筆なり」 詩篇45:1 明治元訳聖書

「わたしの心はうるわしい言葉であふれる。わたしは王についてよんだわたしの詩を語る。わたしの舌はすみやかに物書く人の筆のようだ。」 口語訳聖書

 「ことばの発見」

人と出会うとき、私たちはことばと出会っている。心をゆさぶられるようなことばとの出会いによって、その人と出会う。また、ことばは人と出会うことによって発見される。その人の存在そのものふれることによって、ことばにいのちが吹き込まれるのである。出会いから「すばらしいことばがわき立つ」とき、人は自分とも出会っている。

(†心のデボーション02654)

† 心のデボーション 02655

「されど我は汝らに告ぐ、惡しき者に抵抗ふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。」 マタイ5:39

「しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」 口語訳聖書

 「手向かうな」

「悪人に手向かうな」。「手向かう ἀνθίστημι  アンティステーミ」は「ἀντί  反対 + ἵστημι 立たせる」で「逆らって立つ」の意味である。しかし、逆らうことなく左の頬を向けるのはとても難しいことであると知っておけ。悪しき者にむける左の頬は、しばしば、誤解されるのである。

(†心のデボーション02655)

† 心のデボーション 02656

「即ち虚假と謊言とを我より離れしめ 我をして貧からしめずまた富しめず 惟なくてならぬ糧をあたへ給へ」 箴言30:8 明治元訳聖書

「うそ、偽りをわたしから遠ざけ、貧しくもなく、また富みもせず、ただなくてならぬ食物でわたしを養ってください。」 口語訳聖書

 「嘘」

嘘は決して許されないだろうか? 嘘に救われることも少なくない。ただ、その嘘は決して嘘と分からせてはいけない嘘である。人は嘘に耐えられなくなると嘘を捨ててしまう。それは一つの罪ではないか? その覚悟がなければ嘘などつくべきではない。この嘘は偽り同じではないと思うが、どうだろうか?

(†心のデボーション02656)

† 心のデボーション 02657

「かれら直ちに網をすてて從ふ」 マタイ4:20 大正文語訳聖書

「すると、二人はただちに網をそのままにして、イエズスに従った」 フランシスコ会訳聖書

 「ついて行く力」

「従う ἀκολουθέω  アコるーてオー」は「同じ道を歩む」こと。ペトロは三年後、「わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか」とイエスに尋ねている。(マタイ19:27) イエスと同じ道を歩むのは、かくも難しい。しかし、イエスが「わたしについて来なさい」と呼びかけられるとき、従う者に「ついて行く力」も与えられるのである。 

(†心のデボーション02657)

† 心のデボーション 02658

「心の傷める人の前に歌をうたふは寒き日に衣をぬぐが如く 曹達のうへに酢を注ぐが如し」 箴言25:20 明治元訳聖書

「心配している人の前で歌を歌うのは、寒い日に着物を脱ぐようであり、ソーダの上に酢を注ぐようなものだ。」 新改訳聖書

 「ソーダに酢を注ぐ」

箴言は「心の痛める人の前で歌をうたう」のは「ソーダの上に酢を注ぐようなものだ」という。ソーダに酢を注ぐとどうなるか?それぞれの水素イオンが反応して激しい泡を生じるだろう。心の痛める人の前で陽気な歌を歌えば、ぶくぶくと泡が生じて痛みを深めるだけだ。(ちなみに、ソーダと訳されたヘブル語をLXXは傷としている。心の傷に酢を注げば、やはり痛みを増す。)

(†心のデボーション02658)

† 心のデボーション 02659

「父たる者よ、汝らの子供を怒らすな、ただ主の薫陶と訓戒とをもて育てよ。」 エペソ6:4  大正文語訳聖書

「父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。」 口語訳聖書

 「考えておく」

「考えておきます」というのは、やんわりと拒絶したい時の便利なことばである。しかし、子どもに「パソコンが欲しい」とせがまれて、「考えておく」と答えると、あとでトラブルになる。子どもは親の気持ちを察することができず、いつ買うか「考えておく」と言われたと勝手に理解してしまうからである。きっぱり拒絶し、しかも子どもの心を傷つけない方法はないものか。

(†心のデボーション02659)

† 心のデボーション 02660

「彼らの耳を開きて敎を容れしめ かつ惡を離れて歸れよと彼らに命じたまふ」 ヨブ36:10 明治元訳聖書

「彼らの耳を開いて、教を聞かせ、/悪を離れて帰ることを命じられる。」 口語訳聖書

 「彼らの耳を開き」

教えを伝えるには、まず、聞く者の耳を開くことが求められる。耳を塞ぐ者には何を教えても心には届かないからだ。聞く相手が耳を開くのは、伝える者の相手を知る深さによる。

(†心のデボーション02660)

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