心のデボーション264

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† 心のデボーション 02631

「汝らの心の眼を明かにし、神の召にかかはる望と、聖徒にある神の嗣業の榮光の富と、」 エペソ1:18 大正文語訳聖書

「あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、」 口語訳聖書

 「目時」

視力の優れた若い年頃を目時という。見ることに優れた年頃にいたるには、なお、長い時間がかかる。「目時」は「目敏き」とも言われる。

(†心のデボーション02631)

† 心のデボーション 02632

「風を伺ふ者は種播ことを得ず 雲を望む者は刈ことを得ず」 伝道11:4 明治元訳聖書

「風を警戒する者は種をまかない、雲を観測する者は刈ることをしない。」 口語訳聖書

 「一粒万倍日」

暦には「一粒万倍日」というのがある。この日に始めたことは万倍の収穫があるという。しかし、「一粒万倍日」は7日に一回くらいあるので、いつでもことを始めれば万倍になって帰ってくるという仕組みである。

(†心のデボーション02632)

† 心のデボーション 02633

「忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずと知ればなり」 ロマ5:4 大正文語訳聖書

「忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」 新改訳聖書

 「パンドラの箱」

パンドラの箱の物語では、あらゆる邪悪なものが世にでていくが、ただ一つ希望が残る。その解釈をめぐって、人間の手にはまだ希望が残っているとするものと、希望はまだ箱(甕)に閉じ込められているとするものもある。いずれにしても、希望の取り扱い方は難しい。

(†心のデボーション02633)

† 心のデボーション 02634

「ヱホバは神なり われらに光をあたへたまへり 繩をもて祭壇の角にいけにへをつなげ」 詩篇118:27 明治元訳聖書

「主は神であって、われらを照された。枝を携えて祭の行列を祭壇の角にまで進ませよ。」 口語訳聖書

 「神からの光」

母親は子どもの何もかもを詳しく知るべきだろうか。すべてに光を当てようとしないのも愛である。わからない部分があっても、「あなたは私の大切な子」と思えることが大切ではないか。わからないところは、目をこらすことも、目をつぶることもしないで、ただ、目を澄ませていればいい。そうしていると、神からの光が子どもの心を暖かく照らす。

(†心のデボーション02634)

† 心のデボーション 02635

「今日ダビデの町にて汝らの爲に救主うまれ給へり、これ主キリストなり」 ルカ2:11 大正文語訳聖書

「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」 口語訳聖書

 「今日という日に」

メシアを待ち望む羊飼いたちが野宿で番をしていると、御使いが現れ「きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。」(口語訳聖書)と告げた。よき知らせは「きょう σήμερον  セーメロン」伝えられる。今日を喜べ。今日を喜ぶ人に神のことばが伝えられる。

(†心のデボーション02635)

† 心のデボーション 02636

「なんぢの羊の情况をよく知り なんぢの群に心を留めよ」 箴言27:23 明治元訳聖書

「あなたの羊の状態をよく知り、あなたの群れに心をとめよ。」 口語訳聖書

 「烏合の衆」

「烏合の衆 」は鴉の群れのことである。群れていてもまとまりはない様をいう。だが、鴉の群れは決して「烏合の衆」などではない。「烏合の衆」は侮りがたい。

(†心のデボーション02636)

† 心のデボーション 02637

「これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』」 マタイ4:19 大正文語訳聖書

「イエズスはその二人に「わたしについて来なさい。あなたたちを、人をすなどる者にしよう」と仰せになった」 フランシスコ会訳聖書

 「人を漁る者となさん」

「人を漁る者となさん」の「なさん ποιέω  ポイエオー」には「造る、こしらえる、建てる 創造する、準備する、生み出す」などの意味がある。

神は創造の神であり、「私」を「ある状態」に「造る、こしらえる、建てる 創造する、準備する、生み出す」ことをなされるお方である。「私」を創造するのは神であって、わたしではない。わたしの内にはすでに「私」が存在している(神によって創造されている)。何者かになろうとするのではなく、神がすでにわたしの内に創造され、そこにある「私」になりたいのである。

(†心のデボーション02637)

† 心のデボーション 02638

「マケドニヤに到りしとき、我らの身はなほ聊かも平安を得ずして、樣々の患難に遭ひ、外には分爭、内には恐懼ありき」 Ⅱコリント7:5 大正文語訳聖書

「さて、マケドニヤに着いたとき、わたしたちの身に少しの休みもなく、さまざまの患難に会い、外には戦い、内には恐れがあった。」 口語訳聖書

 「外には戦い」

マケドニヤに到着したパウロは「外には戦い、内には恐れ Outside were conflicts, inside were fears.(NKJV)」があり、身に少しも休みがなかった。「戦い conflict」は「con 共に+flict ぶつかる」で「衝突する、ぶつかり合う」の意である。「 conflict」の中で、人は少しの休みも与えられない。

(†心のデボーション02638)

† 心のデボーション 02639

「彼は自らも弱に纒はるるが故に、無知なるもの、迷へる者を思ひ遣ることを得るなり」 ヘブル5:2 大正文語訳聖書

「彼は自分自身、弱さを身に負うているので、無知な迷っている人々を、思いやることができると共に、」 口語訳聖書

 「世間話」

なぐさめのことばも見つからないことがある。何を話したらいいのかわからない。そういうときには、無理にことばを伝えようとしないで、さりげない世間話をしたらよい。上手な世間話はつらい状況にある人をなぐさめ、心をいやす。世間話が上手か下手かは、人を「思いやる」深さによる。「自分自身も弱さをまとっている」その分だけ、人に寄せる思いも深まる。

(†心のデボーション02639)

† 心のデボーション 02640

「妻たる者よ、その夫に服へ、これ主にある者のなすべき事なり」 コロサイ3:18 大正文語訳聖書

「妻たる者よ、夫に仕えなさい。それが、主にある者にふさわしいことである。」 口語訳聖書

 「妻たる者」

「ふさわしい ἀνήκω」は「ἀνά 達している」から来ている。「夫に仕える妻」はそれにより「主に到達している(主にふさわしい、主に属する)」。それにより夫は「主に到達する」のである。

(†心のデボーション02640)

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