心のデボーション261

デボーション1
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† 心のデボーション 02601

「かくて彼また穗をひろはんとて起あがりければボアズその少者に命じていふ 彼をして禾束の間にても穗をひろはしめよ かれを羞しむるなかれ」 ルツ2:15 明治元訳聖書

「そして彼女がまた穂を拾おうと立ちあがったとき、ボアズは若者たちに命じて言った、「彼女には束の間でも穂を拾わせなさい。とがめてはならない。」 口語訳聖書

 「小さな親切」

ボアズは自分の畑で麦の落ち穂をひろうルツのために、若者にわざと穂を落とさせる。見返りなど期待しようのない、受け取るのをためらう必要もない程度の親切がうれしい。その範囲に収まるように手を貸すのがボアズの優しさだった。「ボアズ」という名前には「敏速」という意味がある。こうした親切は、いつも、敏速なものだ。

(†心のデボーション02601)

† 心のデボーション 02602

「われ詔命をのべんヱホバわれに宣まへり なんぢはわが子なり今日われなんぢを生り」 詩篇2:7 明治元訳聖書

「わたしは主の詔をのべよう。主はわたしに言われた、「おまえはわたしの子だ。きょう、わたしはおまえを生んだ。」 口語訳聖書

 「知恵の初め」

「主を畏れることは、知恵の初め。/知恵は信仰のある者と共に母の胎内で造られた。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:14) 人は生まれながらに、「主を畏れ敬う心」を持っている。信仰深い母の胎内で知恵は子に宿るのである。

(†心のデボーション02602)

† 心のデボーション 02603

「われ實をもて汝らに告ぐ、主人すべての所有を彼に掌どらすべし。」 ルカ12:44 大正文語訳聖書

「よく言っておくが、主人はその僕を立てて自分の全財産を管理させるであろう。」 口語訳聖書

 「持てるもののすべてを」

「管理させる καθίστημι」は「置く、立てる」の意味で、「全財産を管理させる πᾶσιν τοῖς ὑπάρχουσιν αὐτοῦ καταστήσει αὐτόν」は「持てるものすべての上に彼に置く」の意味である。神は持てるもののすべての上に僕を立てられる(管理させる)。

(†心のデボーション02603)

† 心のデボーション 02604

「誰も新しき布の裂を舊き衣に縫ひつくることは爲じ。もし然せば、その補ひたる新しきものは、舊き物をやぶり、破綻さらに甚だしからん。」 マルコ2:21 大正文語訳聖書

「だれも、真新しい布ぎれを、古い着物に縫いつけはしない。もしそうすれば、新しいつぎは古い着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなる。」 口語訳聖書

 「穴だらけの靴下」

靴下のつま先に穴があいたら、別の靴下のつま先を切り取って穴を修理すればよい。靴下の中に電球を入れて針をさすと上手に仕上がる。その時、古い靴下に新しい靴下をはぐのは禁物である。はいだところから破れてしまう。イエスは、穴を新しい布で修理するのではなく、穴だらけの靴下の上に新しい靴下を重ねてくださったのである。古い靴下は、その後で、ゆっくり脱げばよい。

(†心のデボーション02604)

† 心のデボーション 02605

「この故にキリスト世に來るとき言ひ給ふ 『なんぢ犧牲と供物とを欲せず、 唯わが爲に體を備へたまへり。』」 ヘブル10:5 大正文語訳聖書

「それだから、キリストがこの世にこられたとき、次のように言われた、/「あなたは、いけにえやささげ物を望まれないで、/わたしのために、からだを備えて下さった。」 口語訳聖書

 「福音の備え」

神は主イエスに「生贄やささげもの」を求めず、「からだ(肉の身体)」を備えられ、ささげることを求められた。それによって人は罪を赦され聖なる者とされるのである。(ヘブル10:10) 「備える καταρτίζω」は「備える、整理する」から転じて「立ち直らせる」の意味を持つ。神は救いのためにすべてを備えられた。

(†心のデボーション02605)

† 心のデボーション 02606

「汝ら憂ふべし、然れどその憂は喜悦とならん」 ヨハネ16:20 大正文語訳聖書

「あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります」 新改訳聖書

 「憂き世」

俗世間のことに無関心に生きることを「浮世離れ」という。「浮世」は「憂き世」からきており、つらく苦しく不安定な世の中を意味した。江戸時代になると、世が「浮世(ふせい)」なら、浮かれて生きるもよかろうという生きい方に用いられるようになった。どう生きても「憂き世」は続く。気持ちを据えて「憂き世」の底を見るのも意味がある。

(†心のデボーション02606)

† 心のデボーション 02607

「これに言ひたまふ『我に從ひきたれ、さらば汝らを人を漁る者となさん』」 マタイ4:19 大正文語訳聖書

「イエズスはその二人に「わたしについて来なさい。あなたたちを、人をすなどる者にしよう」と仰せになった」 フランシスコ会訳聖書

 「我に從ひきたれ」

多くの献身者が『我に從ひきたれ』というイエスの言葉を聴いて、牧師への道を選んだ。召された者の生涯はこ

の短い言葉からはじまり、どのような困難をも乗り越える力を与える。

(†心のデボーション02607)

† 心のデボーション 02608

「姑いひけるは女子よ坐して待ち事の如何になりゆくかを見よ 彼人今日その事を爲終ずば安んぜざるべければなり」 ルツ3:18 明治元訳聖書

「しゅうとめは言った、「娘よ、この事がどうなるかわかるまでお待ちなさい。あの人は、きょう、その事を決定しなければ落ち着かないでしょう」。口語訳聖書

 「思い悩みを閉じる」

その日のうちに「その事を決定しなければ落ち着かない」ということがある。「決める」の英語 conclude は、「con 共に+clude 閉じる」で、「話し合いを閉じる」こと。祈りにおいて人は神に委ねて、思い悩みを閉じるのである。

(†心のデボーション02608)

† 心のデボーション 02609

「また祈るとき、異邦人の如くいたづらに言を反復すな。彼らは言多きによりて聽かれんと思ふなり」 マタイ6:7 大正文語訳聖書

「また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる」 新共同訳聖書

 「祈りを聴く」

祈っても思いがかなわないことはある。その原因を祈りや信仰の不足にしてよいだろうか? その思いはかなわないという答えもある。それが神からの答えだと認めたくなくて、熱心に祈り続けるのは「ことば数が多ければ聞かれる」という不信仰かもしれない。祈りは神に聴くことであるし、祈りを神に聴かねばならない。

(†心のデボーション02609)

† 心のデボーション 02610

「斯てモーセ一座の壇を築きその名をヱホバニシ(ヱホバ吾旗)と稱ふ」 出エジプト17:15

「モーセは一つの祭壇を築いてその名を「主はわが旗」と呼んだ」 口語訳聖書

 「アドナイ・ニシ」

モーセはアマレクとの戦いに勝利し、祭壇を築き、「その名をアドナイ・ニシシ 主はわが旗」と呼んだ。勝利を記録し、神に栄光をきするためである。主の旗を高くあげよ。主は世々アマレクと戦われる。

(†心のデボーション02610)

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