心のデボーション252

デボーション1
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† 心のデボーション 02511

「汝らは地の鹽なり、鹽もし效力を失はば、何をもてか之に鹽すべき。後は用なし、外にすてられて人に蹈まるるのみ」 マタイ5:13 大正文語訳聖書

「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである」 新共同訳聖書

 「塩加減」

料理に「塩気が塩気を呼ぶ」ということがある。もう少しと入れた塩の一振りが意外な塩辛さを呼んで、料理を台なしにしてしまうのがそれであろう。塩気の利いたことばは大切だが、自分のことばに励まされての「もう一言」が利きすぎて、全体のバランスを崩してしまうこともある。塩気が塩気を呼んだ。加減の難しいのが塩気に違いない。じんわりとしみるくらいがちょうどいい。

(†心のデボーション02511)

† 心のデボーション 02512

「否なんぢらは心のうちに惡事をおこなひ その手の強暴をこの地にはかりいだすなり」 詩篇56:2 明治元訳聖書

「否、あなたがたは心のうちに悪い事をたくらみ、その手は地に暴虐を行う。」 口語訳聖書

 「悪をたくらむ」

Today’s English Versionは本節を、「No! You think only of the evil you can do, /and commit crimes of violence in the land.」と訳す。「地に暴虐を行う」は「commit crimes of violence in the land.」で commit は「com  共に+ mit  送る」で「気持ちを共有して、協力する」ことを意味する。心のうちに悪をたくらむ人は地の悪に気持ちを通じ合い、暴虐を行うのである。悪はまず心に始まる。

(†心のデボーション02512)

† 心のデボーション 02513

「暗きに坐する民は、大なる光を見、 死の地と死の蔭とに坐する者に、光のぼれり」 マタイ4:16 大正文語訳聖書

「闇に住むこれらの民はおおいなる光を見た。死のかげに覆われた地に住む人々に光が現われた」 フランシスコ会訳聖書

 「暗闇に住む民」

「暗闇に住む民」(新共同訳)の「闇」は「門」+「音」で、門を閉ざすように「口」を閉じ、声をふさぐこと。

「住む」のギリシャ語は「κάθημαι  カてーマイ」で「何もしないでじっと座り込む」の意味である。

「暗闇に住む民」は、「座り込んでしまった人」であり、口を閉ざして声を塞ぐ。人はここに座り込んだら一歩も動けなくなる。

(†心のデボーション02513)

† 心のデボーション 02514

「われらが有てる賜物はおのおの與へられし恩惠によりて異なる故に、或は預言あらば信仰の量にしたがひて預言をなし、」 ロマ12:6 大正文語訳聖書

「このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、」 口語訳聖書

 「信仰に釣り合う賜物を」

神は恵みに従って、それぞれの信仰に従って異なる賜物を与えられる。「信仰の程度によって ἀναλογία」は「調和して、釣り合って、一致して」のいみである。主は、それぞれの信仰に調和して賜物を与えられる。これもまた恵みである。

(†心のデボーション02514)

† 心のデボーション 02515

「我をなんぢの眞理にみちびき我ををしへたまへ 汝はわがすくひの神なり われ終日なんぢを俟望む」 詩篇25:5 明治元訳聖書

「あなたのまことをもって、わたしを導き、わたしを教えてください。あなたはわが救の神です。わたしはひねもすあなたを待ち望みます。」 口語訳聖書

 「真実の中に」

インフルエンザ influenza の語は16世紀のイタリアで流行した流行性感冒を、当時の占星者たちが星や寒気の影響 influence によるとしたことから来ている。占星術の Influence には、天体から発する流れが人の性格や運命に何らかの影響を与えるという思考がある。人はみな何らかの影響を受けながら生きる。現在の自分に最も強い影響を与えるのは何かを知っておきたい。

詩篇25:5の「あなたのまことをもって、わたしを導き הַדְרִ֘יכֵ֤נִי בַאֲמִתֶּ֨ךָ」は直訳で「あなたの真理、真実、確かさ、に私を歩ませ」である。

(†心のデボーション02515)

† 心のデボーション 02516

「ロトのアブラムに別れし後ヱホバ、アブラムに言たまひけるは爾の目を擧て爾の居る處より西東北南を瞻望め」 創世13:14 明治元訳聖書

「ロトがアブラムに別れた後に、主はアブラムに言われた、「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい。」 口語訳聖書

 「目を上げて、見よ」

神はアブラハムに、まず、目を上げて、見ることを求められる。そこには肥沃な低地、がれきの荒野、そして険しい山地が広がっていた。神が与えようとされるものの中には、都合の良いものばかりでなく、受け取りたくないものも含まれている。しかし、その全体を受け取ることである。やがて、神がくださるものにはすべて深い意味があることがわかる。あなたの「北と南、東と西」にはどんな風景が広がっているのだろうか。

(†心のデボーション02516)

† 心のデボーション 02517

「鐵の鈍くなれるあらんにその刃を磨ざれば力を多く之にもちひざるを得ず 智慧は功を成に益あるなり」 伝道10:10 明治元訳聖書

「鉄が鈍くなったとき、人がその刃をみがかなければ、力を多くこれに用いねばならない。しかし、知恵は人を助けてなし遂げさせる。」 口語訳聖書

 「一気呵成」

「一気呵成」の「呵」は息を吹きかけること、「成」はそれによって完成することである。まだ凍っている筆に息を吹きかけて一気に書き上げることから来た言葉であるという。仕事には自分に気合を入れて一気呵成に仕上げるとうまくいくことが多い。

(†心のデボーション02517)

† 心のデボーション 02518

「われ忠實なる兄弟なりと思ふシルワノに由りて、簡單に書き贈りて汝らに勸め、かつ此は神の眞の恩惠なることを證す、汝等この恩惠に立て。」 Ⅰペテロ5:12 大正文語訳聖書

「わたしは、忠実な兄弟として信頼しているシルワノの手によって、この短い手紙をあなたがたにおくり、勧めをし、また、これが神のまことの恵みであることをあかしした。この恵みのうちに、かたく立っていなさい。」 口語訳聖書

 「一筆啓上」

子どもの頃、「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ。」の「おせん」は「煎餅」のことと思い、どうして「煎餅を泣かせてはいけないのだろうか。これは煎餅を湿気らせるなという意味ではあるまいか」などと思った。後になって、徳川家康の重臣の本多作左衛門が、陣中から妻に送った短い手紙と知った。戦場から、わが子を気遣う親の心である。「お仙」は作左衛門の長男仙千代のことで跡取りである。お仙は後に福井県の丸岡城の城主になっている。短くも心のこもった手紙を受け取るのは嬉しい。

(†心のデボーション02581)

† 心のデボーション 02519

「人多くの年生ながらへてその中凡て幸福なるもなほ幽暗の日を憶ふべきなり 其はその數も多かるべければなり 凡て來らんところの事は皆空なり」 伝道11:8 明治元訳聖書

「人が多くの年、生きながらえ、そのすべてにおいて自分を楽しませても、暗い日の多くあるべきことを忘れてはならない。すべて、きたらんとする事は皆空である。」 口語訳聖書

 「いかにも楽しそうに」

楽しみは見つけようとして見つかるものではない。何であれいかにも楽しそうにふるまうと楽しさが向こうから近づいてくる。しかし、いかにも楽しそうにすることにこだわるのも考えものだ。楽しそうにすることで、現実の苦しさから逃げていることもあるからである。人生には「やみの日も数多くある」と忘れさえしなければ、いかにも楽しそうにふるまうことで、「やみの日」の日数を減らすことはできるかもしれない。

(†心のデボーション02519)

† 心のデボーション 02520

「凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません」 マタイ11:28 大正文語訳聖書

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」 口語訳聖書

 「再び元気に」

「あなたがたを休ませてあげよう ἀναπαύω  アナパウオー」には「再び元気にする」の意味がある。主の元にあるのは休息を与え、私を再び元気にしてくださる。信仰は単なる「気休め」ではない。

(†心のデボーション02520)

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