心のデボーション3591
「これマラキに托てイスラエルに臨めるヱホバの言の重負(おもに)なり」 マラキ1:1 明治元訳聖書
「マラキによってイスラエルに臨んだ主の言葉の託宣」 口語訳聖書
「重負」
マラキ書は「マラキによってイスラエルに臨んだ主の言葉の託宣」であるが、明治元訳聖書は「ヱホバの言の重負」と訳し、「おもに」と読ませる。「託宣מַשָּׂא」は「宣告」とともに「運搬、荷物、重荷」の意をもつ言葉である。LXXλῆμμα(受け取り、前提)はburden(NKJV重荷、義務)と訳される。預言書は神の言葉を担う(担い来る)重い預言のことばである。ナホム、ハバククも「託宣מַשָּׂא」の語が用いられる。
(心のデボーション3591)
心のデボーション3592
「神の慰藉および夫の柔かき言詞を汝小しとするや」 ヨブ15:11 明治元訳聖書
「神の慰めおよびあなたに対するやさしい言葉も、/あなたにとって、あまりに小さいというのか」 口語訳聖書
「カウンセラーのやさしさ」
「あなたはカウンセラーなんでしょう。もっとやさしい言葉をかけてくれてもいいではありませんか」。不安な人はカウンセラーに自分を安心させてくれることばを求める。「解答はなかなか見つかりませんね。でも、見つからなくてもなんとかやっていける、そのところを一緒に考えてみましょう」というのがカウンセラーの「やさしさ」である。解答は苦しくても自分で見つけなければならないようだ。
(心のデボーション3592)
心のデボーション3593
「わがたましひは渇けるごとくに神をしたふ 活神をぞしたふ 何れのときにか我ゆきて神のみまへにいでん」 詩篇42:2 明治元訳聖書
「わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を/見ることができるだろうか。」 口語訳聖書
「活ける神」
渇いた魂は、「活ける神(明治元訳聖書は「活神(いけるかみ)τὸν θεὸν τὸν ζῶντα」)を慕う。(詩篇42:2) 「慕うצמא」は「渇く、干からびる」の意。LXXδιψάωは「渇き求める、渇望する」である。魂が渇望するは、「いのちに沸き立つ、煮えたぎるζάω」活ける神である。マタイ5:6「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。μακάριοι οἱ πεινῶντες καὶ διψῶντες τὴν δικαιοσύνην, ὅτι αὐτοὶ χορτασθήσονται.」。口語訳聖書
(心のデボーション3593)
心のデボーション3594
「また不法の増すによりて、多くの人の愛ひややかにならん。」 マタイ24:12 大正文語訳聖書
「また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。」 口語訳聖書
「吹いて冷たくする」
終末の日には「人々の愛は冷たくなる」といわれる。(マタイ24:12) 「冷たくなるψύχω」は「吹いて冷たくする」ということばである。自然に冷えるのではなく、冷たい息にさらされることによる冷えである。冷えた体をあたためるのにも「息」を吹きかける。「聖霊πνεῦμα」は私たちに吹きかけられる神の息である。
(心のデボーション3594)
心のデボーション3595
「かれその翮をもてなんぢを庇ひたまはん なんぢその翼の下にかくれん その眞實は盾なり干なり」 詩篇91:4 明治元訳聖書
「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。」 口語訳聖書
「避け所」
「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。」(詩篇91:4) この聖句は、創造のはじめの、「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」(創世記1:2)を思わせる。神の霊は母鳥がその翼をひろげて雛を覆うように、地の混沌を覆っていた。今や神の霊は「私の混沌」を「その羽をもって、おおわれる」。
(心のデボーション3595)
心のデボーション3596
「われ長寿をもてかれを足はしめ且わが救をしめさん」 詩篇91:16 明治元訳聖書
「わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。」 口語訳聖書
「終の榮」
「主に寄りすがって離れるな。そうすれば、お前は繁栄のうちに生涯を閉じるであろう。κολλήθητι αὐτῷ καὶ μὴ ἀποστῇς, ἵνα αὐξηθῇς ἐπ’ ἐσχάτων σου」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵2:3 フランシスコ会訳聖書) 「離れる
ἀφίστημι 」は「遠ざかる、立ち去る」の意。神から遠ざかるな。そうすれば、「終の榮」のうちに老いの日を過ごすだろう。(詩篇91:16)
(心のデボーション3596)
心のデボーション3597
「怒を遅くする者は大なる知識あり 氣の短き者は愚なることを顯す」 箴言14:29 明治元訳聖書
「怒りをおそくする者は大いなる悟りがあり、気の短い者は愚かさをあらわす。」 口語訳聖書
「怒るに遅い人」
怒りで問題なのは、瞬間的な感情の爆発であろう。こみあげてくる怒りに任せていると、あまりよいことはない。怒りは押さえるのではなく、「遅く」せよといわれる。一歩を踏みとどまれば、そこから知恵が生まれもする。「怒るに遅い人μακρόθυμος(気の長い人)」の怒りにふれたら、素直に聞くことだ。そこには「おおいなる悟り」があり、「英知」が含まれているからである。どんなに怒っても、人は自分から離れていかないと思うのは、愚かな錯覚というべきである。(箴言14:29)
(心のデボーション3597)
心のデボーション3598
「凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。」 Ⅰコリント13:7 大正文語訳聖書
「そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」 口語訳聖書
「おほよそ事信じ」
内村鑑三は「おほよそ事信じπάντα πιστεύει」(Ⅰコリント13:7)について、「凡ての事実是れ信じ」、すなわち「すべての善きことは是を信ず」の意であるとする。(内村鑑三『内村鑑三随筆集』より)
(心のデボーション3598)
心のデボーション3599
「かくのごとく汝らの光を人の前にかがやかせ。これ人の汝らが善き行爲を見て、天にいます汝らの父を崇めん爲なり」 マタイ5:16 大正文語訳聖書
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」 新改訳聖書
「美しい行為」
「善き(καλός)行為」は「美しい行為」の意である。(マタイ5:16)漢字の「美」は「羊」+「大」で、形のよい大きな羊、すなわち「美味しそうな羊」である。「美味しい人」になりたいものだ。
(心のデボーション3599)
心のデボーション3600
「其童女は觀に甚だ美しく且處女にして未だ人に適しことあらず彼井に下り其瓶に水を盈て上りしかば」 創世記24:16 明治元訳聖書
「その娘は非常に美しく、男を知らぬ処女であった。彼女が泉に降りて、水がめを満たし、上がってきた時、」 口語訳聖書
「娘リベカ」
見合い写真でとびきりの美人に見えたが、実際に会ってみるとそれほどにも感じなかったということはよくある。写真にちょっとしたしぐさが加わると印象は大きく変わるのである。イサクの嫁を探すアブラハムの僕は、深い泉かららくだのために水を汲むリベカの仕草に美しさを見い出したに違いない。
(心のデボーション3600)
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