心のデボーション357

デボーション1
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心のデボーション3561

「テケル(秤れり)は汝が權衡にて秤られて汝の重の足らざることの顯れたるを謂なり」 ダニエル5:28  明治元訳聖書

「テケルは、あなたがはかりで量られて、その量の足りないことがあらわれたことをいうのです。」 口語訳聖書

 「神の量り」

ダニエルはベルシャザルについて、神の指が描く「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」という文字を読んだ。「メネ、メネ」は神があなたの治世を数えて、これをその終りに至らせ、「テケル」は「あなたがはかりで量られて、その量の足りないことがあらわれた」の意であり、「ウパルシン」は「あなたの国が分かたれて、メデアとペルシャの人々に与えられる」ことを告げることばである。私たちはいつも神の量りに足りない。そこでイエスが私の秤に乗られ、足りないところを補われるのである。

(心のデボーション3561)

心のデボーション3562

「父たる者よ、汝らの子供を怒らすな、或は落膽することあらん。」 コロサイ3:21  大正文語訳聖書

「父たる者よ、子供をいらだたせてはいけない。心がいじけるかも知れないから。」 口語訳聖書

 「かんしゃく」

子どもの金切り声には、思わず耳をふさぎたくなる。子どもは自分の内に生じている怒りの感情をコントロールできず、母親に助けを求めているのだ。かんしゃくを起こした場所から、子どもを別の場所に移して、ゆっくり語りかけてみたい。かんしゃくにはやさしさが何よりも大切である。それができないのは、かんしゃくを起こしたいのはむしろ自分の方だと母親が考えているからかもしれない。「子供をいらだたせてはいけないμὴ ἐρεθίζετε τὰ τέκνα ὑμῶν」。「いらだたせるἐρεθίζω」は「苦々しい思いをさせる」の意である。(コロサイ3:21)

(心のデボーション3562)

心のデボーション3563

「老人には自ら制することと謹嚴と謹愼とを勸め、また信仰と愛と忍耐とに健全ならんことを勸めよ。」 テトス2:2  大正文語訳聖書

「老人たちには自らを制し、謹厳で、慎み深くし、また、信仰と愛と忍耐とにおいて健全であるように勧め、」 口語訳聖書

 「黄昏泣き」

赤ちゃんが生後2-3週間くらいから、特に理由がないのに泣く。夕方から夜にかけてが多いことから「黄昏泣き(colic)」と呼ばれる。なぜ「黄昏泣き」をするのか諸説あるが特定できない。(colicは「腸菅colon由来の痛み、消化器官の不調」からのものという説もある) いろいろやっているうちに数カ月もすると自然におさまる期間限定の悩ましい症状である。「黄昏泣き」は人生の終盤にも起こるようだ。これは数カ月で消滅とはいかない。

(心のデボーション3563)

心のデボーション3564

「凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。」 Ⅰコリント13:7  大正文語訳聖書

「そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」 口語訳聖書

 「一番いいたいこと」

自分が一番いいたいことを、いいたい人にいえることが大切である。それができないのは、口にしたらすべてが壊れると思うからかもしれない。嫌なことに目をつぶれば、嫌なところはどんどん増える。しかし、嫌なことを無理に好きになろうともしないことである。嫌なことには慣れてしまうのも一つの方法である。そうすれば「自分の一番いいたいこと」が分かるかもしれない。

(心のデボーション3564)

心のデボーション3565

「モーセ云けらくヱホバの寶位にむかひて手を擧ることありヱホバ世々アマレクと戰ひたまはん」 出エジプト17:16  明治元訳聖書

「そしてモーセは言った、/「主の旗にむかって手を上げる、/主は世々アマレクと戦われる」。口語訳聖書

 「隠れた手で」

「主の旗にむかって手を上げる、/主は世々アマレクと戦われるὅτι ἐν χειρὶ κρυφαίᾳ πολεμεῖ κύριος ἐπὶ Αμαληκ ἀπὸ γενεῶν εἰς γενεάςLXX(主は代々アマレクと「隠れた手(秘かに)」で戦われる)」。

(心のデボーション3565)

心のデボーション3566

「彼らは汝らと共に宴席に與り、その愛餐の暗礁たり、憚らずして自己をやしなふ牧者、風に逐はるる水なき雲、枯れて又かれ、根より拔かれたる果なき秋の木、」 ユダ1:12  大正文語訳聖書

「彼らは、あなたがたの愛餐に加わるが、それを汚し、無遠慮に宴会に同席して、自分の腹を肥やしている。彼らは、いわば、風に吹きまわされる水なき雲、実らない枯れ果てて、抜き捨てられた秋の木、」 口語訳聖書

 「愛餐の暗礁」

宴席で無遠慮に自分の腹を満たす者は「愛餐の暗礁」と呼ばれる。「暗礁σπιλάς」は「しみ、汚点」の意である。彼らは災いをもたらず隠れる暗礁で、神との交わりを汚す。(ユダ1:12)

(心のデボーション3566)

心のデボーション3567

「かかる者は我らの主キリストに事へず、反つて己が腹に事へ、また甘き言と媚諂とをもて質朴なる人の心を欺くなり。」 ロマ16:18  大正文語訳聖書

「なぜなら、こうした人々は、わたしたちの主キリストに仕えないで、自分の腹に仕え、そして甘言と美辞とをもって、純朴な人々の心を欺く者どもだからである。」 口語訳聖書

 「くわせもの」

「くわせもの」とは、サカナのエサのことで、食いつかせてつり上げようとするところからきたことばである。見た目にはいかにもよさそうだが、飛びつくのは危険である。くわせものを見抜くのは、わりと簡単だ。彼らが好むエサは「欲」だからである。欲で欲を釣り上げようとする。ことばは巧みでも、どこか欲のにおいがするようなら、「これは、くわせものだな」と判断してさしつかえない。「甘き言χρηστολογία(なめらかな言葉)」と「媚諂εὐλογίας ἐξαπατῶσιν(欺きの賛美)」がそれだ。(ロマ16:18)

(心のデボーション3567)

心のデボーション3568

「譏らるるときは勸をなせり。我らは今に至るまで世の塵芥のごとく、萬の物の垢のごとくせられたり。」 Ⅰコリント4:13  大正文語訳聖書

「ののしられては優しい言葉をかけている。わたしたちは今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。」 口語訳聖書

 「世の垢」

パウロは、自身を「今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている」と語る。(Ⅰコリント4:13)「人間のくずπερίψημα」は「かす、垢、汚物」の意である。キリスト者は「世のありて価値なき者」である。神は無きに等しい器に尊きを盛られる。われ有とすな。

(心のデボーション3568)

心のデボーション3569

「かかる者は我らの主キリストに事へず、反つて己が腹に事へ、また甘き言と媚諂とをもて質朴なる人の心を欺くなり。」 ロマ16:18  大正文語訳聖書

「なぜなら、こうした人々は、わたしたちの主キリストに仕えないで、自分の腹に仕え、そして甘言と美辞とをもって、純朴な人々の心を欺く者どもだからである。」 口語訳聖書

 「質朴なる人」

「質朴なる人の心」を欺くな。(ロマ16:18) 「質朴なる人ἄκακος」は「純粋な、汚れのない人」の意である。誰の内にも「質朴なる人ἄκακος」がいる。内なる「純粋な、汚れのない人」を欺いてはいけない。

(心のデボーション3569)

心のデボーション3570

「怒を遅くする者は大なる知識あり 氣の短き者は愚なることを顯す」 箴言14:29  明治元訳聖書

「怒りをおそくする者は大いなる悟りがあり、気の短い者は愚かさをあらわす。」 口語訳聖書

 「怒りをおそくする」

「怒りをおそくする者は大いなる悟りがありμακρόθυμος ἀνὴρ πολὺς ἐν φρονήσειLXX」。(箴言14:29) 「怒りをおそくする者μακρόθυμος」は「長く耐え忍ぶ」で「容易に怒らない」の意である。この語は神の忍耐をあらわす語(詩篇103:8; 145:8 ヨエル2:13  ヨナ4:2  ネヘミヤ1:3; 9:17)であったが、箴言は人間に向けて用いる。

(心のデボーション3570)

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