心のデボーション3511
「我儕の父は皆同一なるにあらずや われらを造りし神は同一なるにあらずや 我儕先祖等の契約を破りて各々おのれの兄弟にいつはりを行ふは何ぞ」 マラキ2:10 明治元訳聖書
「われわれの父は皆一つではないか。われわれを造った神は一つではないか。なにゆえ、われわれは先祖たちの契約を破って、おのおのその兄弟に偽りを行うのか。」 口語訳聖書
「同一の神」
マラキは「われわれの父は皆一つではないか」という。(マラキ2:10)人間を創造された神は、すべての人の「同一の神」である。人間の思考が生み出す神は神ではない。人間に「自らの存在の源」を認識する思考を与えるのが神である。
(心のデボーション3511)
心のデボーション3512
「愛を追求むる者は人の過失をおほふ 人の事を言ひふるる者は朋友をあひ離れしむ」 箴言17:9 明治元訳聖書
「愛を追い求める人は人のあやまちをゆるす、人のことを言いふらす者は友を離れさせる」 口語訳聖書
「愛を追い求める人」
「愛(φιλία)を追い求める人は人のあやまちをゆるすὃς κρύπτει ἀδικήματα ζητεῖ φιλίαν(LXX直訳「傷を覆い隠す者は愛を求める)」(箴言17:9 口語訳聖書) 神の愛を知る者は、人の過ちを覆い隠す。
(心のデボーション3512)
心のデボーション3513
「げに信仰と希望と愛と此の三つの者は限りなく存らん、而して其のうち最も大なるは愛なり。」 Ⅰコリント13:13 大正文語訳聖書
「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」 口語訳聖書
「信じる」
人にはどうすることもできない事柄がある。その時にも、自分の中心に「信じること」を置きたい。「信じる」は「愛する」であり、愛は「望み」を失うことがない。その「信」は頑なだといわれても、やはり、信じることを止めてはいけない。祈りは「信」から生まれ、変化を起こす。「どうすることもできない事柄」が私たちを人間にしてくれる。
(心のデボーション3513)
心のデボーション3514
「イスラエルの神ヱホバいひたまふ われは離縁を惡みまた虐遇をもて其衣を蔽ふ人を惡む 故に汝ら誓約にそむきて妻を待遇はざるやう心につつしむべし 萬軍のヱホバこれをいふ 」 マラキ2:16 明治元訳聖書
「イスラエルの神、主は言われる、「わたしは離縁する者を憎み、また、しえたげをもってその衣をおおう人を憎むと、万軍の主は言われる。ゆえにみずから慎んで、裏切ることをしてはならない」。」 口語訳聖書
「裏切り」
「裏切ることをしてはならないμὴ ἐγκαταλίπητε」(マラキ2:16) LXXἐγκαταλείπωは「見捨てる、放棄する、見殺しにする」の意である。フランス語の「裏切りtrahir」には「正体(本心)を表わす」という意味が含まれている。裏切られたという思いは哀しい。しかし、隠されていた真実が表わされたのだと考えれば、いくらか落ち着く。相手に裏切られたというよりも、こちらがその人の本心に気づかなかったのである。人の真実から目をそらさないでいるためにも、「自らの霊を注視」する必要がある。
(心のデボーション3514)
心のデボーション3515
「なんぢに請ふ者にあたへ、借らんとする者を拒むな。」 マタイ5:42 大正文語訳聖書
「求める者には与え、借りようとする者を断るな。」 口語訳聖書
「求める者には与え」
「求める者には与え、借りようとする者を断るなτῷ αἰτοῦντί σε δός, καὶ τὸν θέλοντα ἀπὸ σοῦ δανίσασθαι μὴ ἀποστραφῇς.」(マタイ5:42口語訳聖書) 「求めに無条件で与えよ」とは言われていない。(マタイ5:42)「求めαἰτέω」の内容と意味を正確に認めたうえでの応答である。神が祈りに答えられるように、答えるがよい。
(心のデボーション3515)
心のデボーション3516
「然ば汝ら之を守り行ふべし然する事は國々の民の目の前において汝らの智慧たり汝らの知識たるなり彼らこの諸の法度を聞て言んこの大なる國人は必ず智慧あり知識ある民なりと」 申命記4:6 明治元訳聖書
「あなたがたは、これを守って行わなければならない。これは、もろもろの民にあなたがたの知恵、また知識を示す事である。彼らは、このもろもろの定めを聞いて、『この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である』と言うであろう。」 口語訳聖書
「神の民」
イスラエルを知る民は、「この大いなる国民は、まことに知恵あり、知識ある民である」と言った。(申命記4:6)彼らが神のことばを守り、国々の民の目の前に、神の知恵と知識を明らかにしたからである。「智慧חָכמָה 」は「知性、技量、思慮、知恵、知識」をあらわす。LXX ἰδοὺ λαὸς σοφὸς καὶ ἐπιστήμων τὸ ἔθνος τὸ μέγα τοῦτο(Behold, this great nation [is] a wise and understanding people.)。
(心のデボーション3516)
心のデボーション3517
「惰者の道は棘の籬に似たり 直者の途は平坦なり」 箴言15:19 明治元訳聖書
「なまけ者の道には、いばらがはえしげり、正しい者の道は平らかである。」 口語訳聖書
「なまけ者の罪」
昔、あるところにたいへんな怠け者がいた。仕事はおろか、顔を洗うのもめんどうなくらい。そこで奥さんが服を着せたり、ご飯を食べさせて面倒を見ていた。ある日、奥さんの実家で葬儀があり、奥さんは餅に穴をあけてひもを通して夫の首にかけ、自分がいない間食べるようにいって出かけた。帰宅してみると、夫は首のもちを一つも食べずに飢えて死んでいたということである。さて、彼らのどちらに罪があるのだろうか。
(心のデボーション3517)
心のデボーション3518
「是故に聽き別る心を僕に與へて汝の民を鞫しめ我をして善惡を辨別ることを得さしめたまへ誰か汝の此夥多き民を鞫くことを得んと」 Ⅰ列王記3:9 明治元訳聖書
「それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください。だれが、あなたのこの大いなる民をさばくことができましょう」 口語訳聖書
「善悪をきわめる」
ソロモンは即位したとき、神から「何を与えようか」と問われて、「善悪を判断し、聞き分ける心」を求めた。神の民をさばくためであった。「さばくשְׁפַט(κρίνω「分ける、判断する、裁く」)」を明治元訳聖書は「汝の民を鞫しめ」として「さばかしめ」と読ませる。「鞫」の音は「キク」、訓は「ただす、しらべる、きわめる、きわまる」で、「罪状を追求する」の意である。「善悪を判断する知恵」は「善悪を調べ、きわめる」ことであり、善悪の極まりをもたらす力である。
(心のデボーション3518)
心のデボーション3519
「汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし」 マタイ5:14 大正文語訳聖書
「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。」 口語訳聖書
「朧(おぼろ)月夜」
小学校唱歌「朧(おぼろ)月夜」の歌詞2番では、「里わの火影も、森の色も 田中の小道を、たどる人も かわずの鳴く音も、鐘の音も さながらかすめる おぼろ月夜」と歌われる。夕暮れどきに、森は刻一刻と黒くなり、里のあたりの家々に明かりが灯り、灯火に照らされてできる影が朧月の中に浮かび上がる。「火影」が見せるのは、そこに暮らす人々の安らぎであろう。「火影」という「世の光」もある。
(心のデボーション3519)
心のデボーション3520
「ここに王その右にをる者どもに言はん「わが父に祝せられたる者よ、來りて世の創より汝等のために備へられたる國を嗣げ。」 マタイ25:34 大正文語訳聖
「そのとき、王は右にいる人々に言うであろう、『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。』」 口語訳聖書
「あなたがたのために」
イエスは栄光の座につかれ、玉座の右に分けられた人々に「わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。」(マタイ25:34)と言われる。神の御国は、人の存在する以前から人のために「用意されἑτοιμάζω」ている。ἑτοιμάζωは「備える、整える、仕度する」の意である。すべての祝福はあらかじめ「用意されἑτοιμάζω備えられ、整えられ、仕度され」、受け継がれるのを待っている。
(心のデボーション3520)
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