心のデボーション350

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心のデボーション3491

「是は牡獅子のごとくに身をかがめ牝獅子のごとくに臥す誰か敢てこれを起さんやなんぢを祝するものは福祉を得なんぢをのろふものは災禍をかうむるべし」 民数24:9  明治元訳聖書

「彼らは雄じしのように身をかがめ、雌じしのように伏しているだれが彼らを起しえよう。あなたを祝福する者は祝福され、あなたをのろう者はのろわれるであろう」。 口語訳聖書

 「祝福」

「〔神が祝福される(εὐλογέω )者である〕あなたを祝福する者は〔神に〕祝福され、〔神が祝福される者である〕あなたをのろう者は〔神に〕のろわれるであろう」。(民数24:9)それゆえに、神の祝福を信じる者は人の祝福にも呪いにも謙虚である。(創世記12:1-3)

(心のデボーション3491)

心のデボーション3492

「すべての操守べき物よりもまさりて汝の心を守れ そは生命の流これより出ればなり」 箴言4:23  明治元訳聖書

「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」 口語訳聖書

 「心を見守る」

人に軽んじられているのではないかという感情には注意する必要がある。よく考えれば、軽んじている人はどこにもいないという場合も少なくない。心は実際にないことを想像し、それに怯える。空想の世界で傷つくことから自分を守るには、現実をしっかり見る必要がある。人に軽んじられているという感情は、自立していない自分への恐れからくることもある。その自信のなさが、人の目を必要以上に意識させてしまう。「見守るφυλακή」は「衛兵が要塞を守る」の意である。心に寝ずの衛兵をたてよ。(箴言4:23)

(心のデボーション3492)

心のデボーション3493

「憂患にしづむ者はその友これを憐れむべし 然らずば全能者を畏るることを廢ん」 ヨブ6:14  明治元訳聖書

「その友に対するいつくしみをさし控える者は、/全能者を恐れることをすてる。」 口語訳聖書

 「いつくしみ」

「友に対するいつくしみ(ἔλεος)をさし控える者」は「全能者(全能の神)を恐れることをすてる」。彼は全能の神のなされる不思議を知らない。友を慈しめ。全能の神があなたを愛しむ。(ヨブ:14)

(心のデボーション3493)

心のデボーション3494

「まことに神は一度二度と告示したまふなれど人これを曉らざるなり」 ヨブ33:14  明治元訳聖書

「神は一つの方法によって語られ、/また二つの方法によって語られるのだが、/人はそれを悟らないのだ。」 口語訳聖書

 「神の方法」

人はまず問題を合理的に解決しようとする。何がおきているのか事実を調べ、その原因を探り、対策をたてる。しかし、問題が心の深いところから来る場合には、合理的な分析や解決策がほとんど役に立たない。そのような時には、一時的に思考することをやめて、「神の方法」に聴くことである。自分がそれまで考えてもいなかったところで神と出会い、神に聴く。合理的な解決の行きづまったところから、真の解決がはじまるのかもしれない。「神は一つの方法によって語られ、/また二つの方法によって語られる」が、「人はそれを悟らない」。(ヨブ33:1)

(心のデボーション3494)

心のデボーション3495

「みよ神はわれをたすくるものなり 主はわがたましひを保つものとともに在せり」 詩篇54:4  明治元訳聖書

「見よ、神はわが助けぬし、主はわがいのちを守られるかたです。」 口語訳聖書

 「人の魂」

神は「自分の魂を保つ人」と共に在し、彼を助ける。(詩篇54:4) それによって魂は人として保たれる。「自分の魂を保つ」は、「神がその魂を人として保たれる」による。

(心のデボーション3495)

心のデボーション3496

「仁慈と眞實とを汝より離すことなかれ 之を汝の項にむすび これを汝の心の碑にしるせ」 箴言3:3  明治元訳聖書

「いつくしみと、まこととを捨ててはならない、それをあなたの首に結び、心の碑にしるせ。」 口語訳聖書

 「真理を離すな」

「いつくしみと、まこととを捨ててはならないἐλεημοσύναι καὶ πίστεις μὴ ἐκλιπέτωσάνLXX」。「捨てるLXXἐκλείπω」は「止む、無くなる、死ぬ」の意。「いつくしみとまこと」を全くの無力にしてはならない。「仁慈と眞實とを汝より離すことなかれ」(明治元訳聖書)。

(心のデボーション3496)

心のデボーション3497

「視よ、われ戸の外に立ちて叩く、人もし我が聲を聞きて戸を開かば、我その内に入りて彼とともに食し、彼もまた我とともに食せん」 黙示録3:20 大正文語訳聖書

「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」 口語訳聖書

 「ホルマン・ハント」

ウイリアム・ホルマン・ハント(1827~1910)の描いた「世の光」では、夜中に王衣をまとい茨の冠をかぶったイエスが左手に燈火をかかげ、右手で戸を叩いている。戸は永い間開けられたことがなく、蔦が絡まっている。イエスの足元には雑草がたかく生い茂り、幾つかの林檎(アダムとエバの林檎)がころがっている。暗い空には蝙蝠が飛んでいる。閉ざされた戸は人の「心」である。「戸」には取っ手がない。そのことに気づいた人にハントは「描き忘れたのではなく、わざと描かなかったのだ。戸は人の心を表わしている。本人が内側から開かなければ、誰も、たとえ神様でも外から開くことはできない」と答えたという。ハントは「世の光」の主題を黙示録3:20から得たと言われている。ハントの「戸」は外の危険から身を守るのではなく、内の闇を守って光の侵入を拒むためにある。この戸は外から開くことはできない。

(心のデボーション3497)

心のデボーション3498

「觀よはらから相睦てともにをるはいかに善いかに樂きかな」 詩篇133:1  明治元訳聖書

「見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。」 口語訳聖書

 「相睦む」

「はらから相睦てともにをるはいかに善いかに樂きかな」(詩篇133:1 明治元訳聖書)。「はらから相睦」はフランシスコ会訳聖書「見よ、兄弟が睦まじく住むのは」、新共同訳聖書「見よ、兄弟が共に座っている」と訳される。「睦まじく‎יַחַד」は「結合して、一緒に」の意である。「睦まじく‎יַחַד」共に居ることのできる人が「兄弟」である。

(心のデボーション3498)

心のデボーション3499

「汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし」 マタイ5:14 大正文語訳聖書

「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。」 口語訳聖書

 「世の光」

「世の光τὸ φῶς τοῦ κόσμου」という表現は弟子たちにアレクサンドリア Ακεξάνδρεια にあるという巨大な「灯台」を思い浮かべたかもしれない。前280年、エジプトのアレクサンドリア港口のファロス島の東端に建設された高さ180メートルの石積みの灯台は巨大な鏡で光を反射し、ファロス島周辺を航行する船を危険な浅瀬や暗礁から守ったという。その光は56キロ離れた海岸から見られたという。灯台は14世紀に二度の地震で全壊し、1480年ごろ跡地に残骸を使ってカーイト・ベイ要塞が建設された。

しかし、イエスの「世の光」は世界に輝く灯台ではなく、夜の部屋をにぶく照らす「燭台」だった。キリスト者は、世を照らすアレクサンドリアの巨大灯台であるよりも、小さな家の灯であることを何よりも喜ぶ者である。(マタイ5:14)

(心のデボーション3499)

心のデボーション3500

「死よ、なんぢの勝は何處にかある。死よ、なんぢの刺は何處にかある」 Ⅰコリント15:55  大正文語訳聖書

「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」 口語訳聖書

 「死の棘」

伝説によると、ギリシャの悲劇作家アイスキュロスは家が潰れるという予言におびえて野外で暮らしたが、空の鷹の爪から落ちた亀の甲羅に当たって死んだという。人はみな死にむかって歩く。しかし、死から逃げさえしなければ、死の棘(κέντρον)はさほどの力をもたない。

(心のデボーション3500)

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