心のデボーション245

デボーション1
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† 心のデボーション 02441

「汝がホレブにおいて汝の神ヱホバの前に立る日にヱホバわれに言たまひけらく我ために民を集めよ我これに吾言を聽しめ之をしてその世に存らふる日の間我を畏るることを學ばせまたその子女を敎ふることを爲しめんとすと」 申命記4:10 明治元訳聖書

「あなたがホレブにおいて、あなたの神、主の前に立った日に、主はわたしに言われた、『民をわたしのもとに集めよ。わたしは彼らにわたしの言葉を聞かせ、地上に生きながらえる間、彼らにわたしを恐れることを学ばせ、またその子供を教えることのできるようにさせよう』」 口語訳聖書

 「権勢症候群」

犬をわけもなく叩いたりして育てると、飼い主の手に負えないくらいに凶暴化することがある。逆にまるでわが子のように可愛がって育てても、見境もなくかみつく犬になることもあるそうである。犬がこのように育てられて凶暴化するのを「権勢症候群」という。犬は飼われている社会で自分の位置を教えられる必要のある動物なのだ。それがわからないと不安になり、凶暴化する。子どもが思いどおりにならないと凶暴になるのも同じ怯えからなのだろうか?

(†心のデボーション02441)

† 心のデボーション 02442

「さらば大牧者の現れ給ふとき、萎まざる光榮の冠冕を受けん。」 Ⅰペテロ5:4 大正文語訳聖書

「そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。」 口語訳聖書

 「アマランサスの冠」

ペテロは「群れを支配するのではなく、群れの模範となれ」と語る。そうすれば、大牧者(キリスト)が現れる時、「しぼむことのない栄光の冠を受けるだろう」。(Ⅰペテロ5:3~4) 「しぼむことのない」はギリシャ語「ἀμαράντινος アマランティノス」で、「枯れることのない不凋花アマランサス」のことである。「アマランサス」は丈夫な花で葉は食用になり種も食べられる。群れの模範になる人はいつまでも枯れることのないアマランサスで編まれた、朽ちない、不滅の冠が与えられる。

(†心のデボーション02442)

† 心のデボーション 02443

「二人ながら神の前に正しくして、主の誡命と定規とを、みな缺なく行へり。」 ルカ1:6 明治元訳聖書

「ふたりとも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた。」 口語訳聖書

 「落度なく」

祭司エリサベツとザカリヤは年老いていたが、「主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた」(口語訳聖書)。 「落度なく ἄμεμπτος」は「非の打ち所がない、欠点が見出せない」の意味である。老いたからこそできる務めがある。

(†心のデボーション02443)

† 心のデボーション 02444

「名は美膏に愈り 死る日は生るる日に愈る」 伝道7:1 明治元訳聖書

「良き名は良き油にまさり、死ぬる日は生るる日にまさる。」 口語訳聖書

 「人生の五計」

中国宋代の学者、新仲に「人生の五計」がある。「生計」いかに健康にいきるか、「家計」暮らしをどう維持するか、「身計」どう身を立てるか、「老計」いかに年をとるか、「死計」いかに死に死後に何を残すか、の五計である。

このうち、老計と死計を欠くと、生計、家計、身計は実りのないものになる。「死の日」が「生まれる日」にまさると信じられるかどうかである。

(†心のデボーション02444)

† 心のデボーション 02445

「わが欲する所は汝らが思ひ煩はざらん事なり。婚姻せぬ者は如何にして主を喜ばせんと主のことを慮ぱかり、」 Ⅰコリント7:32 大正文語訳聖書

「わたしはあなたがたが、思い煩わないようにしていてほしい。未婚の男子は主のことに心をくばって、どうかして主を喜ばせようとするが、」 口語訳聖書

 「思い煩わないように」

パウロはコリントの教会に「わたしはあなたがたが、思い煩わないようにしていてほしい。」と書き送る。

それは「思い煩わないようにしてくださる主」への信頼からでる言葉である。「思い煩わない ἀμέριμνος」は思い煩いが取り除かれた状態を意味する。

(†心のデボーション02445)

† 心のデボーション 02446

「己が故郷を求むる」 ヘブル11:14 大正文語訳聖書

「自分の故郷を求めている」 新改訳聖書

 「ふるさとの歌」

北朝鮮による日本人拉致問題に取り組む「救う会」の集会では、拉致被害者の帰国を願って「ふるさと」が歌われる。

兎追ひし彼の山
小鮒釣りし彼の川
夢は今も巡りて
忘れ難き故郷

如何にいます父母
恙無しや友がき
雨に風につけても
思ひ出づる故郷

志を果たして
いつの日にか歸らん
山は靑き故郷
水は淸き故郷

(†心のデボーション02446)

† 心のデボーション 02447

「然ばこれは汝の霊魂の生命となり汝の項の妝飾とならん」 箴言3:22 明治元訳聖書

「それはあなたの魂の命となり/あなたの首の飾りとなる。」 口語訳聖書

 「いなせ」

カッコのよい若者を、昔は「いなせ」といった。漢字で「鯔背」と書く。「鯔 いな」は魚のボラの幼魚で、鯔の背びれのような髪型を「いなせ」と呼んだ。成長するにつれ消えてゆくものかもしれない。

(†心のデボーション02447)

† 心のデボーション 02448

「家と資財とは先祖より承嗣ぐもの 賢き妻はヱホバより賜ふものなり」 箴言19:14 明治元訳聖書

「家と富とは先祖からうけつぐもの、賢い妻は主から賜わるものである。」 口語訳聖書

 「賢いい妻」

夫から反論されると自分の人格まで否定されたと感じてさみしくなるのはわかる。しかし、「私のことが気に入らないんでしょう」とすぐに横を向いてしまうのはどうか。反論されたら、まず、うなずければよい。夫が自分と違った見方をすることに、いちいち驚くことはない。うなずくは同意と違う。そういう考えもあるのねと軽く認めることなのである。その思慮深さは神からのものである。

(†心のデボーション02448)

† 心のデボーション 02449

「汝我面の前に我の外何物をも神とすべからず」 出エジプト20:3 明治元訳聖書

「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」 口語訳聖書

 「不思議な神」

「朝題目に宵念仏」という。朝は日蓮宗の「南無妙法蓮華経」を唱え、夕方は念仏宗の「南無阿弥陀仏」を唱えることだそうである。私の祖母は教会に誘うと礼拝の帰りに、ついでに神社におまいりするのが常であった。日本人の心には不思議な神が宿っている。

(†心のデボーション02449)

† 心のデボーション 02450

「わが歩はかたくなんぢの途にたちわが足はよろめくことなかりき」 詩篇17:5 明治元訳聖書

「わたしの歩みはあなたの道に堅く立ち、わたしの足はすべることがなかったのです。」 口語訳聖書

 「わたしの歩み」

私は高速道路で運転していると、何か自分がとんでもないことをしていると感じることがある。自分が生み出すことのないスピードに平然と乗っていられることが恐くなる。かく言いながらこの文章をパソコンで打ち出しているのも矛盾である。自分の足で歩き、自分の手で書くことを忘れてはならないのではないか。

(†心のデボーション02450)

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