心のデボーション242

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† 心のデボーション 02411

「ああ美しきかな、善き事を告ぐる者の足よ」 ロマ10:15 大正文語訳聖書

「善い知らせをもたらす者の足は何と美しいことか」 フランシスコ会訳聖書

 「足の業」

古代ギリシャの医師は旅をしながら仕事をしたという。人口密度がうすくて、一所に定住したのでは医師として生活ができなかったという理由はあったが、旅は病の中にこちらから入っていくことを意味した。イエス・キリストも三年の公生涯のほとんどを旅をされている。救いを必要とする人と場所に、こちらから出向くのが主の方法であった。癒しの働きは「手」よりも、まず、「足」の業である。

(†心のデボーション02411)

† 心のデボーション 02412

「蛭に二人の女あり 與ヘよ與へよと呼はる 飽ことを知ざるもの三あり 否な四あり皆たれりといはず」 箴言30:15 明治元訳聖書

「蛭にふたりの娘があって、「与えよ、与えよ」という。飽くことを知らないものが三つある、いや、四つあって、皆「もう、たくさんです」と言わない。」 口語訳聖書

 「蛭のふたりの娘」

アントラム栢木利美さんは、「幸せ」について興味深いお話をのせている。アメリカのテレビ番組に、生後6ヵ月の赤ちゃんのベッドの上に動く玩具を2つぶら下げたところ、赤ちゃんは笑って喜んだ。次におもちゃの数を10に増やすと赤ちゃんは声を上げて、手足を動かして喜んだ。その後で、おもちゃを最初の2個に減らしたところ、赤ちゃんの顔が曇り、泣き出してしまったという。人間は一度手にしたものを、それ以下にされると、喜べたことのあるものにも満足しなくなってしまう。(アントラム栢木利美『幸福をつかむ技術』より)

(†心のデボーション02412)

† 心のデボーション 02413

「曩にはキリストなく、イスラエルの民籍に遠く、約束に屬する諸般の契約に與りなく、世に在りて希望なく、神なき者なりき。」 エペソ2:12  大正文語訳聖書

「またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。」 口語訳聖書

 「神のない者」

「神のない者 ἄθεος」は「ἄ 否定+ θεος 神」で「神のない、神を持たない」の意味である。パウロは、神を持たないとは「神を無視する者」のことで、彼には希望がないという。

(†心のデボーション02413)

† 心のデボーション 02414

「エリサベツその挨拶を聞くや、兒は胎内にて躍れり。エリサベツ聖靈にて滿され、」 ルカ1:41 大正文語訳聖書

「エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、」 口語訳聖書

 「子どもへの喜び」

胎児は母親の規則正しい心音を受けながら安心感に浸っている。母親が少しくらいストレスを受けても、妊娠を心から喜んでいれば、胎児は自分に一種の防護壁をつくって、母親のストレスを中和してしまうこともできるそうである。大切なことは母親が妊娠をどう感じているかで、両親は胎児が母親の胎内で聞き耳を立てていることを忘れてはいけない。胎児も神を賛美することができるのである。

(†心のデボーション02414)

† 心のデボーション 02415

「終に言はん、兄弟よ、我らの爲に祈れ、主の言の汝らの中における如く、疾く弘りて崇められん事と、」 Ⅱテサロニケ3:1 大正文語訳聖書

「最後に、兄弟たちよ。わたしたちのために祈ってほしい。どうか主の言葉が、あなたがたの所と同じように、ここでも早く広まり、また、あがめられるように。」

 「走る」

パウロは福音が広まるようにと祈る。「早く広まり τρέχω トレこー」は「走る、駆ける」の意味である。神の言葉が走る。神の御言葉は何よりも早く私に駆け寄る。私が走るよりも前に、福音(よき知らせ)が走る。

(†心のデボーション02415)

† 心のデボーション 02416

「イエス、ヨハネの囚はれし事をききて、ガリラヤに退き」 マタイ4:12 大正文語訳聖書

「ヨハネが捕らえられたと聞いてイエスは、ガリラヤへ立ちのかれた」 新改訳聖書

 「囚われる」

「囚われる」の「囚」は「口 かこい」の中に「人」で、「捕られて牢に入れる」ことである。人を閉じ込める「口 かこい」がある。国主ヘロデはバプテスマのヨハネを人里離れた岩山の要塞という「口 かこい」に入れたがヨハネの宣教を「口 かこい」に入れることはできなかった。

(†心のデボーション02416)

† 心のデボーション 02417

「われ新しき誡命を汝らに與ふ、なんぢら相愛すべし。わが汝らを愛せしごとく、汝らも相愛すべし。」 ヨハネ13:34 大正文語訳聖書

「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」 口語訳聖書

 「互に愛し合い」

「一蓮托生」は、昔は此の世では結ばれない恋人があの世で結ばれようとするの意味であったが、元々は死後に、極楽の同じ蓮の花の上に生まれることを指したしたそうである。それが、善きにつけ、悪しきにつけ、運命を共にするとの意味に用いられるようになった。昔のままのほうが良いように思える。

(†心のデボーション02417)

† 心のデボーション 02418

「彼は自らも弱に纒はるるが故に、無知なるもの、迷へる者を思ひ遣ることを得るなり」 ヘブル5:2 大正文語訳聖書

「彼は自分自身、弱さを身に負うているので、無知な迷っている人々を、思いやることができると共に、」 口語訳聖書

 「思いやりの人」

「思いやる μετριοπαθέω」は「感情を抑制する、適度の(穏やかな)感情を抱く」で、「感情を和らげる」の意味である。大きな間違いを許すよりも、小さな間違いを怒らない方がむずかしい。大きな間違いには冷静で寛大になれてもちょっとした間違いが許せなくて、怒りを抑えられないのである。小さな間違いに対して「μετριοπαθέω 感情を和らげられる」ことのできる人が「思いやりの深い人」である。人の間に立てるのはそのような人である。

(†心のデボーション02418)

† 心のデボーション 02419

「何人によらず神がこれに富と財を與へてそれに食ことを得せしめ またその分を取りその勞苦によりて快樂を得ることをせさせたまふあれば その事は神の賜物たるなり」 伝道5:19 明治元訳聖書

「また神はすべての人に富と宝と、それを楽しむ力を与え、またその分を取らせ、その労苦によって楽しみを得させられる。これが神の賜物である。」 口語訳聖書

 「商い上手」

「商い上手の仕入れ下手。Stocking is unskilled though it is good at business.」という。商いは上手なのに、仕入れが下手では何もならない。だか、商いも仕入れも上手い人というのは今一つ信用ができない。

(†心のデボーション02419)

† 心のデボーション 02420

「さらば何を食ひ、何を飮み、何を著んとて思ひ煩ふな」 マタイ6:31 大正文語訳聖書

「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな』」 新共同訳聖書

 「何をまとうか」

ヤコブはベテルに祭壇を築き、家族とすべての家の者たちに「持てる異国の神々を取り除き、身をきよめ、着物を着替えるように」と命じた。(創世記35:1~2)偶像崇拝は「異なる装束」を人にまとわせる。神の民には、神にふさわしい衣服がある。

(†心のデボーション02420)

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