† 心のデボーション 02351
「人よ彼さきに善事の何なるを汝に告たり ヱホバの汝に要めたまふ事は唯正義を行ひ憐憫を愛し謙遜りて汝の神とともに歩む事ならずや」 ミカ6:8 明治元訳聖書
「人よ、何が善であるのか。/そして、主は何をあなたに求めておられるか。/それは公正を行い、慈しみを愛し/へりくだって、あなたの神と共に歩むことである。」 聖書協会共同訳聖書
「誠実な人」
自分の考えを他人に強制したがるのは意外に自信のない人である。自分に自信がないので、他人に同意してほしいのである。そのため相手から拒絶されるとひどく心を傷つけられ、落ち込む。本当に自信のある人は、自分とは違う思考にも寛大で、それでいて他人に飲み込まれない。自分が正しいと思う事は、そのように行動することである。自分に「誠実」であることが、人への誠実さを教えてくれる。その人は決して孤独ではない。
(†心のデボーション02351)
† 心のデボーション 02352
「彼等はおのれの血のために埋伏し おのれの命をふしてねらふ」 箴言1:18
「彼らは、自分の血を流すために待ち伏せし、自分の命をこっそり狙っているにすぎない」 フランシスコ会訳聖書
「自分の命をこっそり狙う」
一緒に歩いてはいけない相手がある。待ち伏せしてこっそり網を張るような人で、結局、自分の張った網に自分がかかるような者で、彼は自分のいのちを狙って網を張っていたのである。自分の仕掛けで自分を絡めとるような者と歩けば、一緒に網にかかってしまう。
(†心のデボーション02352)
† 心のデボーション 02353
「彼らの神ヱホバ當日に彼らを救ひその民を羊のごとくに救ひたまはん彼等は冠冕の玉のごとくになりて其地に輝くべし」 ゼカリヤ9:16 明治元訳聖書
「彼らの神なる主は、その日、彼らを救い、その民を羊のように養われる。彼らは王冠の宝石のように、主の土地の上で高貴な光を放つ」 新共同訳聖書
「王冠の宝石」
「A gem cannot be polished without friction, nor a man perfected without trials. 宝石はこすらなければ磨かれることはない、人も同様に試練がなければ完成されない。」(セネカ Lucius Annaeus Seneca)
宝石は最初から宝石ではない。余分なところを落とされ、磨きに磨かれてはじめて輝きを発揮する。
(†心のデボーション02353)
† 心のデボーション 02354
「爾(なんぢ)もし俯伏(ひれふし)て我(われ)を拜(はい)せば此等(これら)を悉(みな)なんぢに與(あた)ふべしと曰(いふ)」 マタイ4:9 大正文語訳聖書
「イエスに言った。『もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むならば、これらのものを皆あなたにあげよう』」 フランシスコ会訳聖書
「礼拝」
「礼拝」は神に「πίπτω ピプトー 俯伏(ひれふす) 」ことである。「πίπτω ピプトー」は「身を伏せる、倒れる、落ちる、落下する」の意味がある。神に「落ち込み」「その側に倒れる」ことである。
(†心のデボーション02354)
† 心のデボーション 02355
「憐み、へりくだり」 Ⅰペテロ3:8 大正文語訳聖書
「あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。」 口語訳聖書
「鵜の真似をする烏」
ことわざに「鵜の真似をする烏水に溺れる」という。鵜の真似をして魚を捕らえようとする鴉は溺れてしまうことからきている。聞きかじりの知識で専門家を気取ると碌なことはない。Ⅰペテロ3:8の「謙虚 ταπεινόφρων」は「心の低い」の意味である。
(†心のデボーション02355)
† 心のデボーション 02356
「何事にまれ、徒黨また虚榮のためにすな、おのおの謙遜をもて互に人を己に勝れりとせよ。」 ピリピ2:3 大正文語訳聖書
「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。」 口語訳聖書
「上にみなす」
「自分よりすぐれた者と思う」は直訳すると「上にみなす」となる。それは、ことさらに自分を相手の下に置くことではない。「上にみなす」は、相手のどこに自分よりすぐれた点があるかを具体的に見つけだす行為である。
互いが相手を自分よりも「上にみなす」ことができ、それを認め合うことができて、はじめて、二人は対等になれる。その関係を「友」という。
(†心のデボーション02356)
† 心のデボーション 02357
「蟻は力なき者なれどもその糧を夏のうちに備ふ」 箴言30:25 明治元訳聖書
「ありは力のない種類だが、その食糧を夏のうちに備える。」 口語訳聖書
「トウキョウトガリネズミ」
「トウキョウトガリネズミ」は色々誤解があり、「トウキョウ」は発見地から「蝦夷」とすべきところを間違えて「東京」にしてしまい、本当は「ネズミ」ではなく、体重3グラムの「世界最小の哺乳類」なのだそうである。寒いと体温が下がるためカロリーをとり続ける必要があり、30分おきに食事をとり、3時間食べないと死んでしまうのだそうである。トガリネズミはあえて身体を小さくし、他のネズミが棲めないような隙間に潜り、少ない食料でも生きられるようになったのであろう。
(†心のデボーション02357)
† 心のデボーション 02358
「ただ汝ら主イエス・キリストを衣よ、肉の慾のために備すな。」 ロマ13:14 大正文語訳聖書
「あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。」 口語訳聖書
「一枚看板」
「一枚看板」は上方歌舞伎で主要な役者の絵姿を描いた飾り看板を指すことばで、大勢の中の中心人物を意味するようになった。また、武家では中間や小者に支給した着物を「かんばん」と呼んだことから、たった一枚の着物(一張羅)を「一枚看板」といったりもした。昔は、若い牧師はみな「一枚看板」だった。
(†心のデボーション02358)
† 心のデボーション 02359
「酒はあかく盃の中に泡だち滑かにくだる 汝これを見るなかれ」 箴言23:31 明治元訳聖書
「酒はあかく、杯の中にあわだち、なめらかにくだる、あなたはこれを見てはならない。」 口語訳聖書
「あと一本」
深夜、遠く離れた自動販売機に酒を買いに行くようになったら、間違いなくアルコール依存である。彼らは決して、酒をまとめ買いしない。「最後の一本」が飲みたくて、その都度、もう一本を買いに出かけるのである。断酒はこの「あと一本」をめぐる孤独との戦いである。しらふでは生きにくい人生があり、それをどう受け入れていくかの苦しい戦いでもあるのであろう。「自分で何とかなる」と思っている限りどうにもならない。
(†心のデボーション02359)
† 心のデボーション 02360
「請ふ汝過にし代の人に問へ 彼らの父祖の尋究めしところの事を學べ」 ヨブ8:8 明治元訳聖書
「先の代の人に問うてみよ、/先祖たちの尋ねきわめた事を学べ。」 口語訳聖書
「経験者は恐れる」
ホラーティウスの『書簡詩』に「Expertus metuit. 経験者は恐れる」ということばがあるという。「恐れ」は経験してはじめて身につく感覚である。「恐れ」の学習のない子どもは危険を避ける術を知らない。わずかの経験が人生を救うということもある。
(†心のデボーション02360)
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